うろ覚え書評第18回 「学歴・階級・軍隊 高学歴兵士たちの憂鬱な日常」 高田里惠子 著
テーマ:エリートたちの「後ろめたさ」
概要紹介
なんというか説明しづらい本なので、版元である中公新書の説明文を引用する。
という本なのだが、結論や意見に向かって真っすぐと進んでいく構成ではなく、寄り道がやたら多くて長い。
そのせいなのか1章や1節は面白いのだが、全体としてまとめてみようとしたときに、1章や1節がバラバラに存在しているような印象を受けてしまう。
あと、「軍隊」とタイトルにはあるのだが、本の中で取り上げられるのは「陸軍」がほとんどである。
また、この本において「軍隊経験」とは「戦闘経験」ではない。「兵営生活」であることも、注意してほしい。
ということで、この本全体を論じるのは私には難しいので、第2章「エゴイストを撃て」から感じたことを述べていこうと思う。
「エゴイストを撃て」
この章では、兵営生活におけるエゴイズムに高学歴兵士がどう直面したかという話をしている。
皇軍では、「公に尽くす犠牲的精神」が称揚されたわけだが、実際の兵営生活においては「軍隊は要領」=「自分が生き残るためにはあらゆるズルとコネを総動員すること」も重要視された。
そして、戦前の教育を鑑みてみれば、多かれ少なかれ、男子たるもの卑怯であってはいけないという意識を皆持っていたわけだ。
(特に旧制高校出身者はエリートである事が約束された人たちであったがゆえに、なおさらそういったズルとコネを使う事への忌避観も強かったろう)
現に学徒出陣者の中には、在学徴収延期が廃止されたことを聞いた時に、戦場にかりだされる絶望感とともに、特権が廃止された事への安堵感をおぼえたと語る者がいる。
そういう高学歴兵士たちが、実際の兵営生活で「ズルとコネ」が重視され、さらには自分がそれに馴染んでいくという経験をしたのは、後々まで心にしこりを残したのだろう。
そして、筆者はこのことを「戦争の残酷さ」と呼び、この様に定義している。
はっきりと言ってしまえば、兵営生活は高学歴青年たちに「自分はエゴイスト」であるという自己嫌悪を十分に感じさせたのだろう。
しかし、ここで兵営生活から離れてみると、そもそも「要領よく軍隊や戦場から逃れた」高学歴青年たちがいるのだ。
たしかに飛行隊員には高学歴者が多く、学徒将校たちは使い捨てと言える状況であった。
一方で、後方勤務の陸軍経理部将校や海軍主計科士官になれるのも高学歴者だけであった。
更に言ってしまえば、理系や医系の学生たちは、技術者や医者として
戦争に貢献する事を期待されたため、兵隊として取られることは少なかった。
それ故に、理転や医転した学生や、後方勤務を志望した文系学生たちもいたわけだ。
つまり、戦中派世代の戦争体験といってしまいがちだが、その「戦争体験」は人によって大いに違う。
二等兵として戦場で地獄を見た者、二等兵だったが戦場には行かなかった者。
後方勤務者であった者。技術者や医者だった者、そしてそもそも徴兵検査に合格しなかった者が一つの世代にいたわけだ。
そして、兵隊にとられなかった学生たちは、「後ろめたさ」を抱えて戦後を生きてきたわけだ。
同時に兵隊にとられた学生たちは、「上手いことやったな」とか「エゴイストだな」という感情を、兵隊にとられなかった学生に抱いたのだろう。
いや、兵隊にとられ戦場で地獄を見た学生も、「生き残った自分は多かれ少なかれエゴイスト」なのだという感情を抱いたのだろう。
そのことの証左となる証言を紹介して終わる。
1924年生まれで1941年に旧制一高入学の歴史学者 土田直鎮(東大教授)の言葉だ。土田は特別操縦見習士官に自ら志願し、しかし生き残った人物だ。
彼の学徒出陣二十五周年の回想記は、以下のような書き出しから始まるそうだ。
私の感想とか妄想
さて、ここまで、戦争がエリートたちに自己嫌悪や後ろめたさという感情を与えたことを紹介してきた。
で、勝手な妄想なのだが、戦後日本の平和主義に、このエリートたちの後ろめたさや自己嫌悪もかなり貢献したのではないだろうか。
戦後日本の平和主義は、「庶民の素朴な厭戦感情」と結びつけて語れることが多いが、そもそも庶民がどれほど厭戦感情を持っていても、軍を持つことや軍隊を派遣する事とは何の関係もない。
そう考えると、生き残ったエリートたちの後ろめたさ、自己嫌悪もまた、戦争や軍隊から日本を遠ざける要因だったのかもしれない。
エリートならば、一丁前に国防がどうのとか、愛国心がどうのとか、国際情勢がどうのとかを、級友たちと語ったりもしただろう。
しかし、実際に戦時中に自分がとった行動は、そういった立派な言説とは、全く逆の卑怯でエゴイズムに満ちたものだったら、戦後どの様な思いを持つだろうか。
さらに、級友たちの中には、愛国心を発揮して兵隊になり死んでいった者たちもいただろう。
もしかしたら、そういった級友たちの中には、平時の時にはそういった立派な言説とは無縁の物もいたかもしれない。
こういった経験は、生き残ったエリートに、勇ましい言説を自己抑制する効果を与えたのかもしれない。
戦後でも勇ましい事を言うエリートはいたが、彼らも心の奥には「でも自分は生き残ったんだよな」という感情はあったろう。
平和運動に従事したエリートだって、「でも自分は生き残ったんだよな」という思いがあったろう。
そして、そういう表向きの言説と自己の分裂が、ある意味では認められていたのだろう。
しかし、平和が長く続き、世代が交代する中で、こういった分裂したあり方は不誠実な物として捉えられる。
そして、勇ましく立派な建前にみちた言説が増えていき、その言説と自己を一体化するエリート青年が増えていくのだろう
(こうした青年こそ、筆者の言う「ある程度の誇りと自信、そしてある程度の愛国心」を持ち合わせているのだろうから)