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過食のトリガーを考える

先日の誕生日で
無事33歳を独身のまま迎えた
ポンコツの私が通る。
両親よ、すまん。
バージンロードはまだまだ遠い。


さて、過去投稿で過食について
ざっくりとおおざっぱに書いたが
今回はひとつだけに焦点を置く。

これだけ覚えておいて欲しい。



禁断や禁止は過食の最高のスパイスである。



どういう事か説明しよう。


私は誕生日に決め事をした。

  • 食べたいものしか食べない

  • カロリーや栄養バランスは全力無視

  • 好きなだけ食べる

以上。
これを心に決めて、誕生日を迎えた訳だ。


日付が変わった時に食べ始めた物


勇み足で食べ始めた。
いつもの過食ならこれくらいは楽勝だ。

何ならこの後に再度コンビニに行く。



が、何かおかしい。



チョコボールを1箱開けたあたりで
気持ちが萎え始めた。

いつもなら「もっともっと!!!」と
脳内でドーパミンが出て
トランス状態で次々食べるのに

何か気分が乗らない。


たべっ子どうぶつを食べても
チョコパイを食べても
感動もなければ快感もない。



まぁ結論から言えば、全部食べたんだが。

なかば惰性的に口に運び
思い描いていた感動は訪れないまま
トータルカロリー的には2000kcalくらいで
収まってしまった。



これがどういう現象なのか考えてみた。

例えばの話だ。


我慢や禁止事項を守るたびに
ハッピーターンの粉が降ってくるとする。


普段、食事のカロリーを決めて我慢する
その段階で過食衝動にスパイスがかかる。

それに加えてトレーニングをする
さらにスパイスがかかる。

食事制限で脂ものもお菓子もダメ
追加でスパイスが(以下略)


そうして目の前に降り積もった
山盛りのハッピーターンの粉
無視し続けられる人が
いったいどれだけいるのだろうか。



まぁ少数いるだろう。

そういう人はそもそも太っていない。



一度でも太ったことがある人にしか
この話はピンとこないと思う。


粉が山盛りになればなるほど
食べた時の快感は大きい。

目の前に積もれば積もるほど
崩れ方も盛大になる。



過食とはそういうものなのだと思う。

我慢と禁止がスパイスとなり
過食のトリガーになってしまうのだ。



だから
自由に食べても良い日に
我慢をしないで食べた時は
感動も快感も訪れず
ある程度の所で勝手に止まったのだろう。


と言うことは
心にハッピーターンの粉が
降り積もってさえいなければ
ヤケクソになって食べることも
少なくなるということだ。



その為には「禁止、我慢」は極力しない。



禁止と我慢はハッピーターンの粉

別の物で例えてもいい。

禁止と我慢はハンバーガーが降ってくる
禁止と我慢はチョコレートが落ちてくる

想像できれば何でも良い。



自分の中にそれが積もってきてないか
確認しながら生活してみたらいいと思う。


今後は私も
そうやって生活しようと思った。

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