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【短編小説】嘘のない場所で

 下記の記事は読んでおくと解像度が上がる話ですが、読まなくても楽しめるようになっています。



 寝息が聞こえる。小さく、小さく。シノもアングイスも眠っている。この中で目が冴えているのはノアとラスターだけだ。コバルトはどこかに出かけて行った。
「眠れないの?」
 ノアが小さく囁いた。二人は寝床近くの小さな椅子に座って、ぼんやりと夜の部屋を眺めていた。
「いつものことさ」
 ラスターが答えた。
「あんたは?」
 ノアも答えた。
「俺も、眠れないんだ」
 夢の騒動は終わった。未だ夢にとらわれていた人々もいたが、シノの活躍で救われている。アングイスもそうだ。つらい記憶を引っ張り出すことにはなってしまったが、きちんと現実に戻ってくることができた。
「目を閉じるのが怖い、なんておかしな話だよね」
「そういうもんだよ。あんなもん見ちまったら誰だっていやになる」
「……ねぇ、ラスター」
「なんだ?」
「どうして俺は、夢に囚われなかったんだろう」
 ラスターは答えられなかった。魔力があったから、と言いたくなったがアングイスはしっかり捕まっている。商業都市の機能が停止していたことを考えても、何かしらの条件があったとは思えない。
「ノアは意志が強いから」
 ラスターは適当なことを言った。ノアは目を細めた。笑っているようにも見えたし、呆れているようにも見えた。
 犬の遠吠えのようにして、銃声が聞こえる。ノアが椅子から立ち上がったが、ラスターはそのままだった。地区ではよくあることだ。決して治安がよいといえないこの場所で、夜中に出歩くものは限られている。帰る家のない野良猫か、人殺しか泥棒か。誰かが殺されるとか、何かが盗まれるとか、そういった事件は地区ではあまりにもありふれた日常である。
 とはいえ、不用意に銃の音をさせるべきではない。
 三日月の、薄暗い夜の中でコバルトは肩をすくめた。こんな面倒なことになるならとっとと地区から追い出しておいた方がよかった。
「容赦ないのね」
 腹から血を流し、うずくまりながらシノが言う。
「本物じゃないって分かってりゃ、余計に加減する意味がないだろう?」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
「本物は今頃アングイスのアパートで寝息を立てているはずだが、それも嘘か?」
「あなた、魔術には詳しいの?」
 シノの問いに、コバルトは鼻で笑った。
「いいや、全く」
「それなら、寝ているあたしがニセモノで、今ここにいるあたしが本物って線を考えなかったの?」
 コバルトは小さく「ふむ、」と呟いた。
「もしそうだとすれば、リアリティが足りないね」
 コバルトはシノに向けて、二発目の銃弾を発射する。血が飛ぶ。胸に銃弾が食い込むが、彼女は平然としている。コバルトはそれを見て「ほらね」と言った。
 シノは胸と腹に銃弾を食らっているとは思えないくらいに、饒舌に言葉を紡いだ。
「あたし、あなたのことは割と仲間みたいなものだと思っていたけれど」
「地区の平穏を脅かす輩は全て敵だ」
「平穏?」
 コバルトは、左手に持っていた布の塊を示した。
「お前さん、俺がこいつを殺すのを止めようとしただろう?」
 布の隙間から、腕がだらりと落ちている。小さな赤子の手が、力なく垂れ下がったまま動かない。
「当たり前でしょう」シノはかみついた。「子供を、それも赤ん坊を殺すなんて、誰だって止めに入るわよ」
 コバルトの表情は動かなかった。ただただ冷淡にシノを見つめている。
 地区にはもとより捨て子が多い。
 その大半が魔術の名門家系で生まれたアンヒューム――生まれつき魔力を持たない者だ。出来損ないの我が子を殺せば罪になるが、捨ててしまえば罪には問われない。それがバレてしまわない限りは。
 そして、地区には捨て子を受け入れる体制が整っていない。当然、たまに心優しい住民が拾って育ててくれることもあるが、子が育ちあがるペースよりも捨てられるペースの方がはるかに高い。余った赤子を拾うのは地区の暗部に巣食う犯罪者集団や、同じく地区に捨てられた子供たちだ。結果、犯罪の英才教育を受けて手の施しようがない極悪人に育ち、住民の生活を脅かすことになる。
 だからコバルトは捨て子を殺す。夜の地区を歩いてゴミ捨て場を確認し、赤子がいれば撃ち殺す。これがコバルトにとっての日課のようなものだった。
 それをシノが見た。彼女は当然事情を知らない。赤子を殺そうとする彼を止めるべく立ちはだかるも、コバルトはシノの想像よりも容赦なく彼女に発砲した後、悠々と子を殺した。
「それでお前さんは何なんだ? いったい何しに来た?」
「悪夢に囚われた人を見つけたから助けに来たのよ」
「じゃあそっちに行ってやりな」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
「俺に構ってる場合じゃあないだろ」
「あんたの、」
 シノは、そこで一度言葉を切った。平和ボケしているらしい野良猫がにゃあと鳴いた。おそらくあれも捨て猫だ。
「あんたの手に持ってる、その赤ん坊が、悪夢の中にいたのよ」
 コバルトは赤ん坊の死体を見た。といっても布の奥から血を流している塊に、赤ん坊の姿を描く労力をかけたりはしない。
「ならいいじゃないか」
「いいって、何が?」
「お前さんの仕事はなくなった」
 コバルトは丁寧な動きでシノに赤ん坊の死体を示す。ただの布の塊に見えるだけの代物。しかし、シノはそこに赤ん坊を見る。明るい未来へ進むことができるはずだった、生まれたての命の塊を……。
「お前さんは悪夢に囚われた奴を救えた。俺は地区の平穏を守れた。一石二鳥だ」
「子供を殺すのが地区の平穏を守るため行動ってこと?」
「そうだ」
「信じられない。そんなのあまりにも――」
「文句があるならガキを捨てた親に言いな!」
 シノの言葉を遮り、コバルトは吠えた。
「お前さん、そういうのが得意だろう? 人の中身の一番やわい部分に土足で入り込んで悪い夢でも見せてやればいい! それの捨てた子供ガキが飢えと寒さに泣いている様子でも送り付けてやればいい! それで子供ガキが減るならこっちだって万々歳だ!」
「だからって、あなたが子供を撃ち殺していいってことには――」
 銃が吠える。三発目の銃弾はシノの脳天を貫く。が、魔力で出来上がった幻の彼女には通用していない。けがをしている風に見えるのも彼女の演出であって、実際にダメージを受けているわけではない。
 が、そんなことはコバルトも分かっている。
「今のは特別製の銃弾を込めてある。魔力の流れを阻害する薬品が弾の表面に塗られているやつだ。威力はそのままに、だが魔術師相手に一発でもぶち込めれば一気に有利になる類のものさ。お前さんにはどうだろうな?」
 答えはない。
 薬の効果は即座に現れている。シノの分身は上半身が完全に溶けている。脚だけがそのまま立ち続けているのが不気味だが、コバルトはもう一発同じ弾をその脚に向けて撃った。
 舌打ちをする。
 ……弾を無駄に消費した。
「!」
 数発の銃声にラスターですら違和感を覚えたそのとき、シノが飛び起きた。隣で眠っているアングイスは起きる気配がない。
「シノ、どうしたの?」
 彼女は返事をせず、ゆっくりと手を胸に置いた。何かに撃たれたかのような動作にノアは妙に緊張するが、見たところ怪我はない。
「悪い夢でも見たのか?」
 今度はラスターが質問を投げるが、彼女は答えない。
 ノアとラスターは顔を見合わせた。二人は辛抱強く彼女の答えを待った。いたずらに時が過ぎ、空の際が白くなってきたころにコバルトが戻ってきた。
「なんだ、ずいぶんと早起きだね」
 そう言って、喉をぐうぐう鳴らした。シノは信じられないものを見る目でコバルトを見たが、当の本人は彼女の視線を完全に無視して、薄汚れたソファーに寝転がる。寝息は立てない。彼も不眠症持ちだ。とはいえ体を休める効果ぐらいはあるだろう。
「……悪い夢を見ているのね」
 シノはコバルトの方を見た。また誰かの銃声が聞こえた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)