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【短編小説】めぐる弾圧 #3

 こちらの続きです。

 交渉。ミナーボナ運動参加者を立ち退かせるためにこちらから条件やら何やらを提示して、彼女らを納得させる。文字にすれば容易であるが、実行となると困難だ。
「そういえば、地区の代表って誰なの?」
「いない」ラスターの目が外をとらえる。窓に人影がある。
「反乱起こされたら困るとかなんとかで、作らせてもらえなかったからな。昔は蒼鷹っていうカリスマ暗殺者がまとめてたこともあったが、あいつ行方不明だし……」
 なるほど、とノアは納得した。だとすれば地区側から交渉するのは無理な話だろう。地区の占拠に不便を感じている立場を別に用意した方がいいかもしれない。いわゆる「仲裁」というやつだ。
「ただ、俺たちが仲裁の席に就けるかは分からない」
「まぁ、確かに。ポッと出の魔物退治屋がそんなこと言ってもな。しかも片方はアンヒュームと来た」
 ノアの目が鋭く光ったが、ラスターは無視した。
 静寂が重い。にぎやかなのは外だけだ。銃声が聞こえたがノアもラスターも動く気はなかった。ここでミナーボナ夫人が撃たれたらそれはそれでアリだな、とラスターは思った。
 ノアの表情はうかがえない。のっぺりとした影につぶされている。
「死んだかな」
 独り言を装って、ラスターは言った。
「どうだろう」
 ノアの声色はいつも通りだった。ラスターの口元が緩く弧を描く。
「もし交渉するとすれば、どうする?」
「俺としては、君が傍にいてもらえるのであればこれほど心強いことはないのだけれど」
「それだと難癖つけられるぞー」
 ラスターはからからと笑ったつもりでいたのだが、実際に喉から出てきた音は空気がひしゃげた音だった。コバルトが喉を鳴らした時のそれに似ていた。
「まぁ、俺本体が傍にいられなくとも、方法はある」
 ラスターのペンダントから、闇が伸びる。影の魔物であるフォンならば、テレパシーを使って二人の意思疎通を手助けすることができる。
「それと……ちょっといいことを思いついた」
 ノアは少し胃が重くなった。ラスターの言う「ちょっといいこと」はたいていの場合「ちょっと」でもなければ「いいこと」でもない。だが、遠くから聞こえる――あれを人の声と言っていいのかよく分からないが――訴えが聞こえなくなるのであれば、悪魔に縋るのもアリかもしれない、とノアは思った。



 商業都市アルシュの郊外。
 そこに建てられた、なんの変哲もない家屋がミナーボナ運動の拠点である。
 ノアはギルドの依頼書を片手に、単身そこに赴いていた。
 応接間の中央にはやや小さなテーブルがあり、二人分の紅茶を置くのが手いっぱいと言った様子。すぐそばにはメイドが菓子の入った籠をもって待機していたが、ノアが菓子を断るとすぐにその場を立ち去ってしまった。正面にはミナーボナ夫人の顔がある。少しやつれてはいるが、目には光がある。対話をしようとする意志がある。
「お久しぶりです」
 ノアが口を開くと、ミナーボナ夫人は小さな声で「お久しぶりです」と答えた。わざとではない。今の彼女にはこれが精いっぱいなのだ。
 菓子入りの籠を持っていたメイドが再びやってきて、「失礼します」というや否やノアに霧吹きをかける。聖水だ。それも強力な。ノアは霧吹きをかけられている間、息を止めた。
「ルルー、そのあたりでおやめなさい。お客人に失礼です」
 注意を受けた従者は少しむっとした顔になった。ノアは唇を薄く開いて、久々の呼吸を味わった。
「地区入り口の封鎖を解除してほしいと、依頼を受けました」
 そして、ミナーボナ夫人に依頼書を手渡した。
「バレるかな?」
 ――一連の様子をフォンから聞いているラスターが、正面で難しい顔をしているコバルトに問う。アングイスはネロに餌をやっていた。大型の鳥向けに作られた健康重視の餌である。ネロは時々コバルトを睨んでいたが、コバルトは涼しい顔でそれを黙殺した。
「バレるってのは何がだ? お前さんの魔物がノアの鼻の奥に逃げこんだことがか?」
「聖水の霧吹き食らったときはヤバいと思ったけどな」
 ふん、とコバルトは鼻を鳴らす。対してフォンは淡々と交渉の様子を実況してくる。ラスターが作った偽の依頼書はひとまずミナーボナ夫人やその周辺にいる人々に信用してもらえたらしい。地区に住む「ゼニス・ラウ」という架空の人物が申請した「地区の入り口を封鎖している運動集団を片付けてほしい」と書かれたその紙において、ノアの指紋が唯一の真実である。この偽の依頼書と、「アルシュの地区孤児院設立反対署名」「ミナーボナ運動組織の帳簿」を使って、魔術師連中が子供を捨てることがなくなるように仕向けるのがノアの仕事である。
 胃が重い。その目的を果たすのはかなり難しい、というノアの意見は「自信を持て」というコバルトの言葉で切り捨てられた。そういう意味ではない、とノアは言い出せなかった。そもそも多数ある魔術師の名家のうちのたったひとつ、そこの当主の嫁を納得させたからと言って捨て子が減るのなら、王都はアンヒュームが大手を振って出入りできるようになっている。
 ミナーボナ夫人はため息をついた。「ご迷惑をおかけして、本当に……」と言いかけたところで、例のメイドが「ローラ様!」とミナーボナ夫人の名を呼んだ。夫人は一度口をつぐんだが、ゆっくりと首を横に振った。
「本当は、分かっていたんです。こんなことをしてもあの子が戻ってくるわけではないって」
 ミナーボナ夫人は目から涙をこぼし、従順そうな態度を示している。ノアは拍子抜けした。想定と違う反応に困惑した。それはメイドも同じだったようで「ローラ様、しっかりしてください!」と声を張り上げる始末である。ただ、フォンを通じてこの交渉を聞いているラスターとコバルトは顔を見合わせた。
 ――この世で一番信用できないのは、すぐに泣く女。
「すみません、泣かせたかったわけではないのです」
 コバルトが舌打ちをする。ノアの口調が柔らかくなっている。「ラスターが行った方が確実によかったんじゃないか」という一言をすんでのところで飲み込んだ彼は、代わりに喉をぐうぐう鳴らした。ラスターは押し黙っている。あえて「ノアだけを向かわせる」選択をしたのだという空気が、二人の間に重く漂っている。アングイスが心配そうな目を向けてきた。ネロは変わらず餌を食っていたが。
 ノアは迷った。
 コバルトが望むのは地区の捨て子をなくすこと。地区の治安を守ること。
 だが、それが「過去との矛盾」を突きつけることにより達成されたとき、ミナーボナ夫人はどうなる?
 行き場を失ったままの子供たちは?
 その疑問が生まれたとき、ノアの口からは自然にこの言葉がこぼれていた。
「あなたの目的を果たすために、孤児院の設立を考えてみませんか」
 コバルトが嘆息する。ガラスを膨らませるかのようにして、長い長い息を吐く。
「なぁ、ラスター」
 コバルトが手を虚空に伸ばす。アングイスの傍で甘えた声を出していたネロが、ぱっと飛び立ってコバルトの腕に止まった。シアンに光る三つの目がやや恨めしそうだ。
「孤児院ってのは、誰のためにあるんだろうな」
「……孤児のためじゃないのか」
 ネロがコバルトの耳たぶをかじる。わざわざピアスの位置を狙っている。しかしコバルトは微動だにせず、ネロの攻撃を受け続けていた。
「本当に孤児のためか?」
 無意味だと判断したらしいネロは攻撃をやめておとなしくなった。視線が不満にあふれている。
「俺はね、連中は免罪符がほしいだけだと思ってる」
「免罪符?」
 コバルトは、ネロの足に手紙をくくりつけた。
「子供を捨てることに罪悪感を覚えたくないだけだ。考えてもみろ。ガキを捨てていたのは魔術師だけじゃなかった」
 ラスターは慎重に息を吐いた。コバルトの言う通りだ。歴史の流れの中、貧困を理由に女の赤ん坊を捨てたアンヒュームだってごまんといる。だが、我が子を捨てたアンヒュームたちは子供のために孤児院がほしいだのなんだのとは言わなかった。なぜか? 赤ん坊を捨てなけば自分たちが餓死するからだ。
「生きるのに何かの肉を食うのも、赤ん坊を捨てるのも、命を消費するという観点では同じだろう。だが、魔術師連中が赤ん坊を捨てるのは生きるためじゃなくて名誉を守るためだ」
「…………」
「孤児院設立が本当に、連中にとっての問題解決の手段だとしたら……俺は魔術師ってやつらを軽蔑するね」
 コバルトは窓を指し示して「帰ってきたらナッツをやる」と囁いた。ネロは目を輝かせて、恐ろしい勢いで窓から飛び出していった。
「フォン、ノアに伝えてくれ。孤児院設立じゃ意味がない。変えるべきは魔術師側の意識だ。そもそも子供を捨てるって時点で――」
「魔術師の名家の意識なんて、そう簡単に変わりませんから」
 フォンがノアの声を伝える。ラスターは絶句した。その後、意識の緩やかな混乱に何とかして抗う必要があった。フォンが嘘を言っているのではないか、とさえ思った。
「それならば、まず子供たちの安全を確保するのが先だと思います。……たとえ、あなた方が、ッ!?」
 ……フォンは、あくまで「状況を説明する」ことしかできない。ラスターはコバルトを見た。コバルトは鼻を鳴らした。アングイスが不安そうにしているが、ラスターは何も言えなかった。

 フォンが、云う。
 ――交渉会場に、カラスの魔物が乱入した。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)