見出し画像

【短編小説】前の絵

 最近、絵の感想をよくもらう。
 たいていの人は嬉しいコメントをくれるのだが、一部の人からはちょっとどうかと思う内容のコメントが来る。
 それは「前の絵の方が好きでした」というものだ。今までド素人丸出しの絵ばっかり描いていた私が、いきなりプロのような絵を上げるようになったから、というのもあるかもしれない。しかし、私が「前の絵」を描いていたころには、そんな言葉はちっとも来なかったのだ。いいねだって一つ二つつけばいい方で、たいていは誰の目にも止まることなく消えてしまう。人が多い時間帯を狙ってアップロードしたところで、結局効果はなかった。
 今日も「前の絵の方がよかったよ」というメッセージが来たが、私はそれを削除しようとして手を止めた。
 そのメッセージを送信してきた相手は、私が尊敬する絵師だった。
 私は彼(彼女かもしれないが、私にはその絵師の性別を見分けるだけの情報がない)の絵が好きだが、彼の人となりも好きだった。正確に言えば、彼が絵に向き合う時の姿勢も好きなのだ。彼レベルの有名絵師になれば、彼が何をしていても気に食わないというクレーマーも出てくる。彼はそのクレーマーを全員コテンパンにぶちのめしていた。といっても暴力や暴言に頼ったものではなく、外部からの悪意を持った刺激に対しても、彼は凛と背筋を伸ばして絵を描き続けていたのだ。
 だから私は、彼がそうしていたようにして彼からのメッセージに対処した。
「今の私の絵を好きだと言ってくれる人がたくさんいるので、私は今の絵を作り続けます」
 前の絵がよかった。前の絵の方がよかった。それだけではなくうれしいコメントもくる。「前の絵」を描いていたころにはもらえなかった、「素敵です」とか「とてもきれいです」とか、そういった内容のコメントが形や表現を変えていっぱいやってくる。文句を言う人たちのために絵を作っているわけではない。私の絵を「いいね」「スキ」「最高」と言ってくれる人がいるのなら、私が筆を置く道理はないのだ。
 まぁ、今は筆を使って描いていないので、筆を置くなんてことはないのだが。
 彼からの返事を待つ間、私は新作に手をかけた。先日教えてもらった技術を試してみたかったのだ。この絵をファンは気に入ってくれるだろうか。いや、そういう考えはよくない。私は私の見たいものを見るために絵を作る。外野の声なんて二の次だ。
 制作に取り掛かろうとしたそのとき、彼からの返事が来た。たった一言「残念です……」というメッセージを見たとき、私は思わず彼を嘲笑した。返事を送る気にはならなかった。こういうときに大切なのは切替である。今、作りたい絵のことを考えるのが一番だ。

 私は、AIイラストツールを立ち上げた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)