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【短編小説】斬釘截鉄 #5

 重い瞼を開ける。
 身体のパーツが全て間違ってくっついているのではと思ってしまうくらいに、動くのが億劫だった。周りが騒がしい。遠くで何かが、違う。近い。近くで誰かが自分の名前を呼んでいる? 誰が?
「ノア!」
 切羽詰まったラスターの声は、意識を覚醒させるに十分だった。
 辺りを見回す。見知らぬ倉庫の中だ。ギルドの人々や地区の情報屋たちがせわしなく動いている。頭をつついているのはネロだろう。怪物の見た目をしているコバルトは、よっぽどのことがなければ地区の外には出てこない。代わりにネロがこうしてやってくる。
「ここは?」
「アルシュ港の倉庫だ。あんたはシラヌイにさらわれてここに閉じ込められてたんだ」
「シラヌイに……」
 言われてみればだんだん思い出してきた。彼の頬の傷を治した直後に意識が飛んだような気がする。
 ノアは改めて周囲の状況を見た。既にどっぷりと夜が更けている。魔力のランプがあちこちに設置されており、それで明かりを確保しているようだ。アルシュの行方不明事件の被害者たちが、覇気のない顔で壁に寄りかかっていたり、まだ眠っていたりしているのが見える。
「起きた?」
 まだ朦朧としているような気がするノアに、シノが声をかけてくる。ノアは「うん……」とハッキリしない返事をした。
「なんか、本調子じゃなさそうね」
「そうだな。いつものノアなら『あれ? どうしてここに?』とか言いそうなもんだからな」
「その調子じゃ治癒の魔術はお願いできそうにないわね」
「治癒の魔術?」
 ふわふわしながらノアが問いかける。そして、魔力の調子を見始めた。意識はぼんやりしているが、頑張って集中すればギリギリなんとかなりそうだ。
「誰かケガをしているの?」
「まぁ、そこまで酷くはないのだけれど」
「酷くないかぁ?」ラスターがおどけた声で言う。「鼻血で顔面血塗れで、腕にヒビ入ってる状態が酷くないケガってことはないだろ」
「マシな方でしょ」シノは肩をすくめた。
「アレを相手にして内臓が無事なら軽傷よ」
「案内して。俺の治癒の魔術で治療できないケガもあるけど、鼻血を治すくらいなら」
 シノの基準に合わせていたら命がいくつあっても足りない。アカツキは倉庫の奥の方ですやすや眠っていた。彼の下にはマットのようなものが敷かれている。ギルド職員の誰かが簡易寝具を用意してくれたのだろう。そのすぐ傍で治癒の魔術を展開していた人物は、ノアの気配に気がついてこちらを向く。
「オマエたちも来たのか」
 そう言ってにやりと笑ったアングイスは、アカツキの方を示しながら続けた。
「ケガは魔術で治しておいたぞ。随分派手にやられていたな?」
「きっと戦いの最中で眠りについちゃったのね。その間に殴る蹴るをされてたんだと思うわ」
「その犯人はどうした?」
「あたしが幻術でおしおきしておいたわ」
 シノは意地悪な笑みを浮かべた。
「すっかり怯えちゃって。所詮は霧を司る精霊よね。いくら海と嘘の加護を受けていたところで、本家本元の幻に敵うわけないじゃない」
 やたら自慢げに見えるシノの姿に、ノアはコガラシマルの姿を重ねた。人を種族で括るのはどうかと思うが、それでもやはり精霊族は「自分の能力に関するプライドが高い」のかもしれない。
「……あれ、アングイスはどうしてここに?」
 ノアの問いに、アングイスは鼻を鳴らした。
「オマエと同じだ。あのデカイ精霊族に連れていかれたんだ。往診の帰りに『医者か?』って聞かれて、また急患かと思ったら気を失った」
「……いくら魔術の腕がお粗末な精霊でも、至近距離で幻術撃てばなんとかなるってことね」
 シノは外を見た。なんとなく、夜明けが近いなと思った。


 ぱっと眠気が消える。目が覚める。身体はどこも痛くない。何もされなかったのだろうか?
「起きた?」
 姉がいる。すぐ傍にノアとラスター、アングイスの姿もあった。こちらが尋ねる前に、姉がぺらぺらと状況を説明してくれる。シラヌイは連行されていったようだ。ギルドの公式自警団がしょっ引いていったらしい。そりゃあ、商業都市の住人たちを精霊自治区に拉致してアマテラスと戦わせようとしていたとなれば下手すりゃ外交問題にまで発展する。事態を重く見るのも当然か。
「それにしても、あのなきむしシラヌイ・・・・・・・・がよくもまぁこんなことを企めたわね」
 そう言って姉は笑っていた。
「なきむしシラヌイ?」
 すかさずラスターが食いついてくる。
「あー、あいつね。子供の頃はすごく泣き虫だったの。アタシが少し怒るだけで大泣きして大変だったのよ」
 姉の「少し怒る」というのは幻術を用いたお仕置きを含む。それを知っているのはここではアカツキだけだ。
「ま、少し休んだらちょっと手伝ってちょうだい。ギルドもすったもんだなのよ」
 姉は手をひらひらさせた。仕事が溜まっているのかもしれない。ひとまず事件は一件落着。後は語ることもない。そんなところか。
「ねーちゃん!」
 だが、それでおしまい、とはならない。
 ……呼ばれた姉が振り向く。何、と言われる前に、こちらから切り出す必要がある。
「おれ、決めた。島には――」
 決めた、と切り出したときに一瞬の殺気が見えたが、それより早く続きを紡ぐ。
 姉は黙って聞いていた。そして「そう」と一言返事をした。


 港の倉庫の屋根の上で、ほっとした様子の二人組がいた。
「杞憂に終わったようだな」
「うん。ほんとによかった」
 シノから「アカツキが島に戻ろうとしたら氷漬けにしてでもいいから連れ戻して」と頼まれていた二人――ヒョウガとコガラシマルは、金色に染まる海に目を細める。
「オレたちの出番、なかったなぁ」
「……その割には随分と嬉しそうだ」
 ヒョウガはへへへ、と笑った。コガラシマルの言葉を否定しない彼は、にこにこと笑いながら海の向こうを見る。
 ……朝が来るのだ。世界を金色に染めた、清浄な始まりの時が。


斬釘截鉄 完

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)