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【短編小説】話せばわかる

 魔物、といってもすべてがおぞましい見た目の生き物であるとは限らない。進化の過程において「人に媚を売る」生存戦略を選んだものもいる。愛くるしい見た目をしていればしているほど、「駆除」の選択に異を唱える者が増えるのは道理だ。例えそれが、何十何百もの人を殺していたとしても。
「どうしておたくの魔物退治屋は化け猫ちゃんを殺そうとするんですか?」
 そんな苦情がノアのところにも届いたが、ノアは猫型の魔物退治の仕事をしていない。ラスターに聞いても知らないという。となれば可能性があるのは……。



   話せばわかる

 誠実に依頼をこなせば魔物退治屋の評価が上がる。
 ヒョウガが思いついた「ノアへの恩返し」は実際功を奏している。ノアからも各地のギルド経由で感謝の手紙が届いており、ヒョウガは手ごたえを感じていた。賢者の剣探しが難航していたのでとっさに思いついた手法ではあったものの、困っている人を助けることができる上にノアの役にも立てる。まさに一石二鳥。
 今回の依頼もそんな恩返しの一つになるはずだった。
「本当にありがとうございました。あの大きな化け猫は村人を定期的に襲っていまして……依頼を受けてくれる方もいなくてですね」
「ひとまず目についた個体は倒しました。でも、全滅はしていないと思います。魔物除けの道具を畑や家の周りに置いたり、持ち歩いたりするといいかもしれません」
 ヒョウガが頬を少し赤くしながら、一生懸命説明をしている。村人とのやり取りはまだ慣れていない様子ではあるが、随分と様にはなってきた。
 村長はヒョウガの手を握って全身全霊の感謝を示してくれる。そこまではよかった。だが――。
「どうして化け猫ちゃんを殺したんですか?」
 都市部からやってきた愛護活動家が、文句を言いにやってきたのだ。
 もともと言い争いは苦手なヒョウガが怯んだのを見て、コガラシマルが助け舟を出す。村人が襲われていたこと。追い払ってもやってくること。火も恐れず罠も意味をなさなかったこと。それらを丁寧に説明しても、女は鼻穴を膨らませて怒った。
「化け猫ちゃんは頭がいいんです。ここに来ちゃだめだよぉ、って教えてあげたら逃げていくんです」
 女の猫なで声にコガラシマルは嘲笑を繰り出すところであった。化け猫は頭がいいから「この村を襲っていい」ものだと思うのだ。若い連中が森に出ている時間帯に女子供や畑を狙うのだ。
「そ、そうやって教えても来るから……」
 ヒョウガの呟きに、女は目を吊り上げた。地面と垂直になるのではという勢いにコガラシマルですら若干引いた。
「根気よく教えないとダメ! 一回言っただけじゃ分からないんだから!」
「ヒョウガ殿、出発しよう。ああいう手合いは何度言ってもしつこくついてくる」
 強烈な皮肉を吐いたコガラシマルにヒョウガは思わず彼の手をはたいてしまった。
「では、村長、失礼します」
 ぺこっと頭を下げたヒョウガは、そのまま逃げるようにして村を出た。活動家の女はまだ村長相手に何か騒いでいたが、その声は徐々に小さくなっていく。村長が食い止めているのだろう。
「びっくりした」
 村の姿が見えなくなったころ、ヒョウガは胸に手を当てながらつぶやいた。まだ心臓が跳ねている。
「ああいうの、ノアも相手したことあるのかなぁ」
「おそらく我々よりは、あのような愚か者をやり過ごした経験は多いであろうな」
「そっか……」
 ふう、と息を吐く。空を見やると雲が出てきた。下手すると雨になるかもしれない。悪天候では魔物の接近する気配を察知しづらくなるため、早急に街道に出る方がいい。
 が、どうやらそうもいってられないらしい。
 風が獣の鳴き声を捉える。どんなに優秀な魔物退治屋でも、特定の生息域に住まう魔物を殲滅させることはできない。コガラシマルが音もなく刀を抜いた。ヒョウガも構えを取った。化け猫は賢い。二人の死角を捉えるなど造作もない。だからこそこちらも手を打てる。コガラシマルが飛び出そうとしたのを、ヒョウガが制する。猫の気配とは別の何かが近づいている。
 愛護活動家の女だった。思わず構えを解こうとした二人だが、女の後ろに別の影があるのを見て姿勢を戻す。女は化け猫に追われていた。必死になって逃げていた。
「どうする。ヒョウガ殿」
「どうする、って……」
 化け猫は本気で走っているわけではなさそうだった。獲物を弄んで暇をつぶしているのである。
「あの化け猫も村の方から来たのではないか?」
 女が「たすけてぇー」と叫んだ。化け猫の爪に服が引っかかっている。
「コガラシマル」
 主に名を呼ばれた精霊は、それだけで彼の意図を察する。化け猫の爪が女の背中に傷をつける前に、コガラシマルは刀の一撃を化け猫に食らわせた。化け猫は「ぎゃっ」という鳴き声を上げて地面に横たわった。女はしばらく地面にうずくまっていたが、化け猫からの攻撃が来ないことに気づくと体を起こした。
「ケガはないか?」
 遅れてやってきたヒョウガに対し、女は荒い呼吸を数度繰り返す。
「早く村に戻った方がいいと思う。これから天気が悪くなるだろうから。もしかして歩けない? 立てる? 村まで送――」
「何も殺さなくてもよかったじゃない!」
 思わず飛びのいたヒョウガをコガラシマルが支える。女は憎々しげに二人を見つめて、怒りに任せて立ち上がった。ぼろ布と化しつつある服は女の上半身を隠すつもりはないらしく、見苦しい肉体が露わになっている。ヒョウガは地面に視線を逸らした。見たくもないし、見るべきでもないものだからだ。
「あなたたち、何も話を聞いていなかったのね」
 女はやや大げさな仕草で「呆れた」という感情表現をした。すかさずコガラシマルが食って掛かった。
「我々が助けに入らなければ、そなたは今頃あれの餌だったと思うが」
「そんなことない。あの化け猫ちゃんは賢い子だから、話せば分かるのよ」
「だがそなたは賢くないらしい」
 ヒョウガが勢いよくコガラシマルの方を向いた。
「話しても分からぬのだから」
 着物の裾を引っ張って黙るように告げたがもう遅い。女は瞬きを数度繰り返す。顔はみるみるうちに赤くなった。このまま爆発してもおかしくなかった。
「話しても分からないのは、あんたも同じでしょうが!」
 女が地団太を踏む。ヒョウガが一歩後ずさる。
「こ、コガラシマル。行こう。雨が降ってくる」
「そうであったな。このようなところで時間を無駄にするべきではない」
 犯罪者、暴力野郎、×××――ものすごい罵詈雑言が飛んでくる。コガラシマルはヒョウガの耳をふさぎたくなった。教育に悪い。しかしヒョウガもすでに齢十六。そのような子ども扱いは彼の機嫌を損ねるだけだ。
 二人はそそくさとその場を後にした。女はずっと二人のことを睨み続けていた。追いかける体力が残っていなかった上に、殺されたかわいそうな化け猫ちゃんを丁重に葬らねばならない。
「ごめんね、ごめんね……」
 女は化け猫の死骸を見た。
 ……見たはずだった。
 あの精霊の一撃を食らって死んでいたはずの化け猫は、女の目の前で優雅に伸びをしている。にゃあ、と言って爪を出している。
「あ……化け猫、ちゃん」
 女の顔からほてりが逃げる。冬の寒さが体を震わせる。それでも女はやらねばならない。話せば分かるのだ。話せば分かる。ここで化け猫を殺したらあの残虐な連中と同じになる!
「いい? む、村は襲っちゃダメなのよ。そうしないとっ、怖い人にひどい目に合わされるからね。さっきの一件で分かったでしょう? いたいよーいたいよーってなりたくないでしょ!!」
 木々がざわめいて、野鳥が一斉に飛び立った。



 ひゅうひゅう、と冬の風が渡る。季節を考えるとおかしな話ではないが、ヒョウガは異変に気付いていた。
「コガラシマル、調子悪いのか?」
「何故?」
「風が強いんだよ。これ、お前の風だろ。オレの魔力制御が不安定だったりする?」
「いやいや、そなたのせいではない。これは某があえて起こしているもの。余計な魔物が我々を襲撃しないように、先にこちらの位置を知らせているのだ」
 ふーん、とヒョウガは素直に納得した。精霊族の中でも強い力を持っているコガラシマルの牽制であれば、よっぽどバカな魔物でない限りこちらには寄ってこない。
 ……と、ヒョウガは考えたのだろう。コガラシマルは口元にわずかな笑みを浮かべた。もちろんそういった目的もあるが、真の目的は他にある。
 ――あの化け猫は、今頃どうしているだろう。少し強く叩きすぎたのでうっかり殺してしまったかもしれないが、それならそれでいい。どのみち体が多少丈夫であればあの程度の一撃で死にはしないはずだ。今頃、女の話をおとなしく聞いて住処に戻っているかもしれない。さもなくば――いや、それはあり得ない。
 女が言っていたのだ。話せば分かると。
 まさか、それを主張していた本人が食われたなんて間抜けな話はないだろう!
「さっきの人、大丈夫かな」
「化け猫は倒してある。問題なかろう。万が一別の化け猫に襲われたとすれば、悲鳴の一つや二つが聞こえる」
 木の枝が断たれ、地面に落ちた。風によって作り出された真空が刃となって、弱い枝を切ったのだ。こうすれば外の余計な音が聞こえなくなる。女の悲鳴も、骨をかみ砕く音も、肉を引きちぎる音も、すべて届かなくなる。
 ヒョウガは木の枝が落ちたことに気づいていない様子だった。が、少し立ち止まって後ろを向いた。何もいない。誰もいない。コガラシマルの風が木の葉を叩きつける様子だけが目に入る。
「いや、村に戻れたかなーって」
「あれだけ強かな者が、村に戻れぬわけがなかろうよ」
 そっか、とヒョウガは納得し、前を向いて歩き始めた。
 ふわり、と髪が広がる。風がとまった。「もういいの?」というヒョウガの問いに、コガラシマルは頷いた。
 実際、ほどなくして二人は街道に出た。雨はまだ降り始まっていなかった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)