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【短編小説】奇跡の子 -後編-

↓こちらの続きです

「ヴィダル……というと、あの」
 ノアが小さくため息をついたことに、ラスターだけは気づいていた。
「はい。カルロス・ヴィダルの息子です」
 そして、メースの目に一瞬だけ侮蔑の色が見えたのを、ラスターは見逃さなかった。
「そう、それで……何の御用ですか?」
「ここで診療所を始めたのは、いつ頃からですか?」
 穏やかに語りかけるノアに対し、メースの態度はどこか棘がある。
「それを聞いてどうするつもりですか?」
「……あなたの治療を受けた人たちが、どうなっているかご存知ですか?」
 ふふ、とメースは笑った。
「みんな、晴れ晴れとした顔で帰っていきますよ」
「その後の話をしています」
「それからも何度か来てくださる方がいますが、何か?」
 ラスターは、少し身構えた。この女の敵意がどこから来るのかが分からなかった。
「あなたの治療を……治癒の魔術を受けた人たちが、どうして体調不良になっているのか分かりませんか?」
「……さあ? そもそも私の魔術のせいなのですか? カルロス・ヴィダルの息子さんには何か違うものが見えているのかしら」
「診療所を畳むことを考えて下さい」
 ラスターが思いっきりノアの方を見た。
 ……もう少し早く気づいてさえいれば、ラスターはノアの暴走を止められたかもしれない。しかし、このときのラスターは知らなかった。常に穏やかな物言いの彼に、明確な「地雷」が複数・・あるということを。
「……あなたの治癒魔術は、不完全です」
 ズバズバと、容赦のない言葉がメースを抉っていく。
「魔術の展開の初手から間違っている」
「……まあ」
 メースは口元に手を当てて、くすくすと笑う。
「でも、怪我は治っていますよ」
「治っているように見えているだけです」
 ふ、とメースは口元を歪ませた。
「それで?」
「それで?」オウム返しに尋ねたノアに、メースはニコニコと笑いながら告げた。
「この診療所を閉じてしまったら、この区域に住む人たちは誰が治療してくださるのですか? 私がいなくなったら、この区域に住む人たちの怪我や病気は、誰が治療してくださるのですか?」
「君の魔術は治療になっていない」
 ラスターがノアの手をつつく。そこでノアは、自分の口調が乱雑になりかけていることに気がついた。
「怪我は治っていますよ。きちんと傷は塞がっていますし、怠そうにしていた患者様は軽い足取りで帰っていきます。それに……不完全でも怪我を治してくれる人と、人を治せるのにだまーって見てるだけの人と、どっちが正しい行いをしているのか、幼児にも分かると思いますが」
「君のやっていることは治療ではない!」
 噛みつくノアに怯む様子を見せず、メースはちらりと時計を見た。
「では、明日こちらに来てくださるかしら?」
「ここに?」
 口を開いたのはラスターだった。
「そこでじっくりと、かの有名なカルロス・ヴィダル大先生の息子さんから色々とご教授願いたいですね」
「……そこでノアをただ働きさせようって魂胆か?」
「そんなつもりはないですよ。だって、……あの変人の息子なんかに、私の大事な患者様をお任せするなんて出来ませんから」
 ラスターは残念に思う。こちらの地雷が先に爆発していたら、もう少し穏やかに事を運べただろう。
「俺の父は、俺に『他人の親は馬鹿にするな』って教えてくれた素敵な人ですよ。……あなたのご両親とは違って」
 ――こんな感じでじんわりと、爆発してもらえたら分かりやすかったのに。
 メースの顔が露骨に曇る。ラスターは、思わず心の中で口笛を吹いた。
「行こう、ラスター」
 やや急いた足取りのノアにラスターは何も言わず従う。少し背後を窺うと憎々しげにこちらを見つめるメースの姿があった。
「随分と嫌われてたみたいだけど」
「いつものことだよ」
 ノアは慣れた様子で答えた。
「父さん、めちゃくちゃな人だったから。伝統的な派閥の魔術師からは煙たがられてるんだ。俺もその煽りを受けてる」
「でも、ノアの親父さんが変なことをしてたとしてもノアには関係ないだろ」
 少しの沈黙があった。ラスターはちょっと考えて、
「それに、いい親父さんじゃないか。あんないいことを教えてくれるなんてさ」
 自然に、話題を変えた。
「……厳密に言えば、ちょっと違うかな」
 ノアは少し息をついてから続けた。
「他人を馬鹿にするときは他人をキチンとバカにしなさい。他人を攻撃するのに、他人の友達や親を攻撃してはいけないよ、って言われた」
 ラスターが思いっきり吹き出した。
「まぁ、真理ではあるな」
「母さんに思いっきり頭をはたかれてたけどね」
「それで? この後どうするんだ? あんたにしては随分と荒い説得だったけど」
「コバルトとアングイスに協力をお願いしよう。簡単な話だ」

 翌朝。
 優雅に目覚めたメースは、外に集まる患者を診て優越感に浸る……どころではなくなった。自分を必要としてくれる相手が増えてくれるのはありがたく、奇跡の子の噂も充分に広まったのならそれに超したことはない。
 しかし、多すぎる。患者があまりにも多すぎる。
 ――君の魔術は治療になっていない。
 カルロス・ヴィダルの息子が言っていたことを思い出すが、それを差し引いたとしてもこの患者数の増加はおかしい。引きつった笑みをなんとかほぐして「ごきげんよう」と外に出たメースは、目当ての人物をすぐに見つけた。
「当てつけのつもり?」
 患者たちに顔を見られないよう気をつけながら、メースは目当ての人物――ノアに対して声を荒げた。
「おはよう。今日は君の治療を受けるためにこんなに沢山の人がやってきたんだよ」
 そう言ってのけたノアは自分の喉に指を添える。
「何をするおつもり?」
「君の承認欲求を満たすために、この地区の人を利用されるのは嫌だからね」
 指先に集った風の魔力が、喉に注がれていく。ノアの呼吸が一帯に響く。
「おはようございます、患者の皆様!」
 声が伸びる、ぐんぐんと伸びている。集団の一人一人にキチンと届くくらいに、十分に伸びている。
「本日は奇跡の子の治療活動に私、ノア・ヴィダルが精一杯サポートをさせていただくことになりました!」
 メースはふん、と鼻を鳴らす。こうなったらカルロス・ヴィダルの息子を過労死寸前まで酷使してやろう。いざとなったら悲劇のヒロインぶって、アイツに全部なすりつけてやろう。
 しかし、メースは知らなかった。
「ヴィダルって、あの……カルロス! カルロス・ヴィダルか!」
「アンヒュームおれたちに『ルーツ』という新しい名をくれた……!」
 ――魔力なき者たちの間では、カルロス・ヴィダルは英雄扱いされているということを。奇跡の子なんかよりも、ずっとずっと尊敬されているということを。
 メースという女は、知らなかった。

 奇跡の子の診療所を眺めることができる部屋で、ラスターは窓から外を覗く。双眼鏡で様子を窺えば、メースの一挙一動にダメ出しをするノアが見えた。
「しかしあんなギリギリでよく動けたなぁ、あんたも」
「なかなか無茶な依頼だったが、不可能な話ではなかったね」
 喉をグウグウ鳴らしながら笑うコバルトの傍で、アングイスはご機嫌にソーセージを囓っている。
「――区域全ての診療所を休みにするよう頼んでくれ、なんて……大胆なことをするもんだな! アイツがぶっこわした患者の始末を全部アイツがやるってなったら、大変だぞー!」
 時折、アングイスは手元の簡易ポットを自在に操り、魔法薬の生成作業を進めた。効能は勿論、魔力を回復させる薬だ。近場で常に生産を続け、それなりの量になったらラスターが差し入れに走る手はずになっている。
「薬飲みながらといっても、かなりの重労働だと思うけどな……」
 ラスターは再び、双眼鏡を覗き込んだ。二人の唇の動きで、何を言っているかが大体分かる。

 ――基本治癒魔術の初動は炎魔力の出力三十五。これは固定!
 ――わ、分かってる……!
 ――もしかして出力の度数を感じることができないのかな、それなら素直に道具を使って。出力パロメーターっていう機械があればいいんだけど、俺は必要ないから持ってない。

 ラスターはコバルトを手招きした。
「出力パロメーターってある?」
「なんだそれ」
「魔力の出力と属性を計ることができる装置かなにからしい」
「お前さん、アンヒュームの居住区にそんなものがあると思うのかい?」
「ですよねー」
 ラスターは再び双眼鏡を覗く。

 ――魔力を出してから治癒の基本術式を展開。このとき必要なことは?
 ――痛みや痺れが生じないかどうか尋ねる……。
 ――正解。もしもそういった症状が見られたら?
 ――魔力の出力を下げる。
 ――違う、即座に術式の展開を中止して、安静にさせること。外傷の場合は応急処置で傷口を塞ぐ。応急処置のやり方は分かるよね? そして三十分は様子を見る。心拍数と顔色、本人の申請。そして、……。

「ノアの親父さんも、人に物を教えるときはあんな感じだったのかなぁ」
「いいや、違うね!」
 アングイスが魔力回復薬の瓶を五本、テーブルに置きながら答えた。
「治癒魔法は人の命に関わる術だ! だから手厳しくなってるだけだろう!」
「そうなのかなー」
 ラスターが双眼鏡を覗いたそのとき、ノアがペンを掲げた。魔力回復薬の瓶をくれ、という合図だ。
「それじゃ、ちょっと配達に行くかー」
 ラスターは再度様子を窺う。メースが涙目になっているのが見えた。
 ……こりゃ早々に逃げ帰りそうだな、というラスターの予想は的中した。
 朝の九時から夕方六時まで。ノアのスパルタによりチンケなプライドごとズタズタにされたメースは、翌朝姿をくらませていた。診療所の看板をペンキで塗りつぶし、閉院しました(綴りが間違っていた)という雑な張り紙を残して。
 ……だからといって、この地区の人々は特に困らなかった。有償と言っても銀貨十数枚の治療は中心市街地付近で開院している医者よりも格段に安く済む。メースが投げた匙で傷つく人はおらず、むしろ彼女がさっさと逃亡してくれたおかげで、被害はあれ以上拡大せずに済んだ。
「しかし……随分と大胆な策だったね、ラスター」
 メースの診療所の看板を「ざまあみろ!」と言いながらへし折るアングイスを見つめつつ、コバルトはそんなことを言った。
「患者が逆上して襲いかかってきたらどうするつもりだったんだい」
「俺じゃない、ノアの策だ」
 コバルトはラスターからノアへと視線を移す。ノアは頷いた。コバルトは少しだけ目を見張った。
「へぇ? お前さんにしては雑なやり方だねぇ」
「コバルトが教えてくれたんだよ? いざとなったらヴィダルの名前を出せばなんとかなるって」
 ラスターの顔が勢いよくコバルトに向いた。
「そういう意味で言ったわけじゃなかったんだが……お前さん結構大胆なことをするね」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らす。が、その音もどこか覇気がない。本気で困惑している様子であった。
「だが結果として地区の医療は護られた! これは喜ばしいことだぞ、コバルト!」
 くるくると回りながらコバルトにじゃれつくアングイスは、ザクロの瞳を輝かせながらノアに微笑んだ。ノアもにっこりと微笑み返す。コバルトだけは苦い顔をして、ずれた帽子の位置を直していた。
「看板は壊したし、これでもう奇跡の子騒動とやらはおしまいだな!」
「そうだね。結構早く終わってよかったよ」
 バラバラになった看板の破片に、ノアは僅かな魔力の残骸を見た。それは間違いなくメースのもので、軌跡は文字を刻んでいた。ノアの知る限りで最も侮辱的な暴言を綴っている。
 どうやら、魔力を持たない者には見つからないだろうとメースは踏んだらしい。
 ノアは破片を手に取ると、火の魔術でそれを燃やしてしまった。
「……何かあったか?」
 ノアの左手から立ち上る煙を見たラスターが問いかけを投げてきたが、ノアは曖昧に笑って誤魔化した。


――依頼完了

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)