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【短編小説】ノアと亡き夢の花屋 #4

こちらの続きです。


(――元々、小細工は俺の担当じゃない)

 無秩序に集まっていたドライフラワーたちが、ラスターの手によってきれいにまとまっていく。ワインレッドのリボンをかけると、素朴な花束の出来上がりだ。店先で商品を並べていても、客が来なければ意味がない。だが、生花と違ってこれは少しだけ色が持つ。
「ラスター、ちょっといい?」
「ノア、ちょうどいいところに!」
 ラスターはにこにこと笑いながら、ノアにドライフラワーの花束を見せた。どうやら、ノアがリンに剣を向けたことは忘れている……のではなく、まるごとなかったことになっているようだ。
「リンはちょっと出かけているんだ。肥料を買いに。俺が行くって言ったんだけど、あいつ言い出したら聞かなくてさ」
 ノアはカレンダーを見た。順調にバツのついた日が増えている。今日はちょうど何かの記念日らしい。赤い丸が付いている。これもシノの干渉の影響なのだろうか。だが、ニセモノのリンがいないのなら好都合だ。
 ラスターは勝手にしゃべっている。ノアの反応を見ることなく、枯れた花の束を見せて笑っている。
「きれいだろ? これからもっと乾燥させるんだ。そうすればもっと味が出る」
「うん、きれいだね」
 ラスターは花束を壁に下げた。こうすることでより乾燥が進むそうだ。
「そういえば、ノアはどこを旅しているんだ?」
 テーブルを雑に片づけて、紅茶を淹れながらラスターが問いかける。手元のカップに満ちる液体は、夜の間際の日没の色に似ていた。
 ノアは注意深く息を吸い込んだ。
「俺は、本当は旅人じゃないんだ」
 ラスターが目を見張った。何かを警戒しているかのような動きだ。この仕草をノアはよく知っている。
「本当は魔物退治屋をしている」
「一人で?」
 ノアは首を横に振った。ラスターは少し視線をそらした。
「誰と組んでいたんだ?」
「とても素敵な人だよ。俺よりもずっとずっと、警戒心が強くて、世渡り上手な人。植物の世話が好きで、コーヒーも紅茶も好き。手先が器用で、いろいろなものを作ることもできる」
 ラスターが沈黙を作ったので、ノアがそれを壊す。
「例えば、花束とか」
 ラスターの頬を、汗が一筋流れ落ちていくのがノアからも見えた。
「なんか、まるで……俺のことを言っているみたいだな?」
 目の奥に動揺が見える。ノアの心臓は跳ね上がった。
 確実に、一手一手を詰めている。
「……その人の名前は、ラスター」
 ラスターは沈黙した。ノアはじっと、視線をそらさずにいた。
「……あんたには悪いが、俺はあんたの知るラスターじゃない。俺はずっとここで花屋をしていたんだ」
「本当に?」ノアは一気に畳みかけた。
「その花屋はいつ始めたの? 今年で何年目になる? いままでに来たお客さんで一番印象的な人は?」
「…………」
 動揺が、形になる。
 カチャン、と鋭い音がした。ラスターがカップを落とした音だ。白いテーブルクロスにじわじわと広がる紅茶を、ノアもラスターも気にしない。
「リンさんとは、何をきっかけに出会ったの?」
「リンとは、俺が彼女の花の採取依頼を受けたのがきっかけで」
「採取依頼?」
「そうだ。ギルドで依頼を探していたときに……」
 目が泳ぐ。
 記憶が混ざる。
 生じた矛盾が罅を広げる。
「ギルドで、依頼を……何を? 魔物退治を、俺はそのとき、一人で……」
 はくはく、と何かをつむごうとする唇が空虚な抵抗を示す。
「一人で……」
 その気づきを得ようと、ラスターの記憶が正しくつながろうとしたその瞬間だった。
「違いますよ」
 夢の世界が、本性をあらわにした。
 赤が空間を抉る。そこに黄が割って入り、青がそれを足蹴にする。濁った色彩がデカルコマニーのように広がっていく。邪悪な意思がラスターの夢を支配する。空も野原も花屋も消えた。異様な何かが悪夢を壊したのではなく、ここは元からこうだったのだ。ノアは、ラスターの無事を確認しようとした。腹の奥から冷や汗が出るような焦燥は、少し間違っていれば恐怖となっていただろう。
「!」
 悪意が、伸びる。黒い茨がノアを殺そうと飛びかかる。即座に剣を抜いたノアは茨を斬り伏せるも、その隙に、リンはラスターを捕まえていた。腹の奥底からふつふつと伸び上がるのは憎しみというより怒りに近しいものだった。ノアがラスターの名を呼び、ラスターの唇がリンの名をつむぐ。脱力した体はなすが儘。うつろな瞳は彼女しか映さず、そこにノアの居場所はない。リン以外のすべてを拒絶させるかのようにして、彼の体に茨が這う。
「何も考えないで。あなたはただのお花屋さん。私と一緒にこの世界で永遠に楽しく暮らすんです」
「この、世界で……」
「そうですよ。この世界で、永遠に」
「えいえんに……」
 リンは無言でほほ笑んだ。ノアはやはり、本物のリンはこんな顔をしないのだろうな、と思った。
「おやすみなさい。ラスターさん。目が覚めたらハーブティーを飲んで、ふたりきりで・・・・・・シロツメクサの冠を作りましょう」
 ラスターは沈黙したままだ。ノアは焦った。奴はもう一度ラスターを悪夢に引きずり込む気だ、もっと深く、もっと暗い場所に、ラスターを連れ去る気だ!
 剣を振る。魔術も問題なく発動する。炎を出せばラスターも燃えてしまう。的確にあの茨と魔物だけを消さなければならない、が――追いつかない。距離が縮まらない。そうしている間に茨の浸食は進む!
 黒い茨がいよいよラスターの胸元に触れようとしたとき、
「……リンは、優しい子だ」
 彼は、口を開いた。
「え?」
 自らを抱き寄せる細い手を握り、ラスターは彼女に預けていた体を起こそうとする。棘が皮膚に食い込んで、小さな傷を作る。黒い煙が小さく立ち上るが、ラスターはお構いなしだった。
「わかっている。わかっていたんだ。あんたはもうどこにもいない。もういないんだって。それなのに、俺はずっと、」
 茨がちぎれていく。ノアはその光景を窺いながら、気まぐれに襲い来る茨を切った。
 ちぎれた茨は地面に落ちて、黒い煙となって消える。リンは明らかに動揺していた。ノアの目がラスターを捉える。息を飲む。理由も分からず、剣を強く握った。
「ラスターさん、いいんです。目を逸らすことは悪いことじゃないんです。だって、ほら? 今、ここに私がいます。それでいいじゃないですか?」
 ノアは障壁魔術を展開したが、茨はそれをたやすく貫いてしまう。こっちが茨に囚われたらもう取り返しがつかなくなる。ノアはなんとなくそう思った。シノからの指示がこないのも、おそらくこの空間が悪夢という本性をあらわにしたからなのだろう。
「さあ。もう一度素敵な夢を作りましょう。私とラスターさんは、森の奥のお花屋さんで一緒に暮らすの。もう痛いことも苦しいことも考えなくていいんです」
「……そうだな」
 リンの口元が大きく歪んだ。が、それは一瞬のことだった。
「でも、あんたはリンじゃない。リンじゃないんだ……仮にそうだとしても、」
 口角から血がこぼれる。彼女の顔が一気に困惑へ染まる。
「ここは、もう、俺の居場所じゃない……」
 愛用の短剣・・・・・を、ニセモノのリンへと突き立てたラスターは今にも泣きそうになっていた。
「あんたは誰だ? あいつの姿を借りて、俺に……」
 ノアは息を飲んだ。ラスターが見慣れた姿になっている。幸せな花屋ではなく、ただの盗賊になっている。
「俺に、もう一度あいつを殺させたいのか?」
 リンは首を横に振る。ラスターの手が震えた。彼女はリンではない。これほどまでに似ているのに。何もかもが記憶の中の彼女本人だというのに。本物ではないのだ。
 ラスターは短剣を引き抜いた。もう一度、ダメ押しの一撃が必要だ。リンは笑っている。彼女の傷口から茨の束が飛び出して、ラスターを覆いつくそうとする。視界がかすんでいく。このまま目を閉じればもう一度あの夢に戻ってしまう・・・のだろうか……。
 そのとき、視界の端から何かが生えてくるのが分かった。それはラスターの横顔スレスレのところを通り過ぎ、リンの顔を貫いていた。
 彼女の顔が、見たこともない形で歪む。ラスターはゆっくりと振り向いた。
「望み通りにはさせない」
 憤怒に満ちたノアの顔が、まっすぐにリンを押さえつける。
「ラスターにリンを殺させる未来も、君が生きながらえる未来も、どちらもあり得ない」
 ずるり、と引き抜かれた剣が鈍い輝きを放つ。浄化の魔術の類らしい。
「君は、俺に、殺されて、死ぬんだ」
 リン――というより、最早彼女の原型を保つことすら諦めた魔物は、緩いスライムのようにしてその姿をだらしなく沈めていく。茨は枯れ、森は消え、花屋は崩れた。もう、この悪夢の空間は誰のものでもなかった。それだというのに、往生際が悪い。魔物は自らの姿を茨に変え、なんとしてでもラスターを引きずり込もうとする。
「ラスター!」
 ノアが咄嗟に展開した障壁魔術を、茨が物理的に破壊しようとする。が、そのとき、茨の向こうから何かがやって来るのが見えた。光が見える。しかしそれだけだ。気配の類を感じない。
 それでも、ノアは――。
「……君は」
 彼女・・の存在を認識していた。
 柔らかいクリーム色の光がふわふわと人の形を作る。彼女は指先でそっとノアの障壁魔術に触れた。
「うわっ!」
 強烈に、引っ張られる。感覚で分かる。魔術が強化されている。夢の中で、あり得ない形の術式が作動している!
「ノア!」
 よろめいたノアをラスターが支える。障壁魔術を強化した彼女は、ラスターが最もよく知る笑顔で手を振る。そして、ノアに向かってぺこりと頭を下げて、こう告げた。
 ――ありがとうございました。
 ノアの障壁魔術ごと、本物リンは自身の偽物を包み込む。断末魔が聞こえたが、それはもう人の声にはほど遠い騒音であった。
 ノアは、ラスターがリンを好きになった理由がよく分かったような気がした。ほんの、少しのふれあいとはいえ十分すぎる情報だった。
 邪悪の淀む空が消える。静かで温かい闇が満ちる。花屋も、花壇も、消えている。星が見える。静かに輝いている。藍色の、無限の夜が広がっている。
「……どこに行った?」
 その場に座り込んだラスターは、立ち上がる気力がないように見えた。
「大丈夫?」
 ノアの問いにラスターは答えなかった。バツの悪そうな顔をして、リンの姿を借りていた化け物のいた場所を見つめている。
「世話かけたな」
「全然。このくらい大したことないよ」
 ふと、ノアは何かを握っていることに気がついた。手を開くと、淡い黄色の可愛らしい花がころんと転がった。花びらがふわふわとついていて可愛らしい。
「これ、何の花か分かる?」
 ノアは、深く考えずにラスターに花を手渡した。
「……モッコウバラだな」
「花言葉は?」
 何の気なしにノアは質問を投げたが、ラスターは答えなかった。渡されたモッコウバラをじっと見つめている。
「ラスター……?」
 ラスターはやはり答えない。代わりに、
 ――二人とも、聞こえる?
 天から声が下りてくる。シノの声だ。ラスターは「何で?」という顔をしていたが。
「聞こえるよ! 魔物を倒せたと思うけど、どう?」
 ――どうもこうもないわよ!
 ノアが硬直する。ラスターの目が点になる。
 ……シノの後ろで、コバルトが狂ったように笑い転げている声が聞こえる。
 ――あたし、言ったよね!? ここにいるラスターにあなたのことを・・・・・・・思い出させて、って! 誰が本物のリンのことを思い出させて、って言ったのよ! 誰が魔物を退治しろって言ったのよ! もう少しで宿主が精神崩壊するところだったんだから!
 ノアが勢いよくラスターの方を見た、ラスターはまじまじとノアを見た。
「俺、そんなヤバかったの?」
「記憶にないの?」
「なんか、ぼんやりしてる。めちゃくちゃ疲れた時の、判断力が鈍った時の感じ……。でも全然。気分としては全く問題ナシ」
 ノアは頭の先から爪の先までラスターを何度も眺めた。
「問題ない、って」
 ――だまらっしゃいバカ二人!
 食い気味の説教に二人はおとなしくなった。
 ――ともかく戻ってきて。
「どうやって?」
 ――もうそこは普通の夢の中よ。夢の住人なら目覚め方が分かるから。現実への戻り方が多種多様すぎてあたしじゃ判断できないの。頑張ってね。
「そんなことある?」
「あるらしいなぁ」
 ラスターは立ち上がった。
「多分こっちだ、ノア」
 そして、静かな暗闇が広がる空間を歩き始めた。

 ノアが目を開いたとき、真っ先に小さな青空が見えた。寝すぎたときの倦怠感に酷く似たものが体にこびりついているが、それよりも商業都市アルシュが元に戻った喜びの方が大きい。見慣れた空に見慣れた場所。あの異様な雰囲気の欠片はどこにもない。
「起きたか、ポンコツ」
 皮肉を投げてきたコバルトに、ノアは何も言えなかった。代わりに、
「別にポンコツでもなんでもないわよ、誰だって夢を見るんだから」
 意外なところから援護射撃が飛んできた。ノアは体を起こそうとしたが、シノに止められた。
「もう一度寝た方がいいわ。あなた、随分と消耗してるから」
「いいよ、このくらいすぐになんとかなるから」
「ラスターだってすぐに二度寝にはいっちゃったのに、あなたが平気なワケないでしょ」
 ノアはふと、すぐ傍の気配を見た。ラスターが穏やかそうに眠っている。いつもの寝顔だ。義務のようにして眠っている。口元が動く。カラメルリンゴパイ、と言っている。
「寝ればいいの?」
「今ならいい夢もサービスしてあげる」
 ノアは苦笑した。
「そのいい夢が、カラメルリンゴパイ?」
「嫌?」
「全然」ノアは観念して目を閉じようとした。
「ねぇ、シノ」
「なぁに?」
「モッコウバラの花言葉って、知ってる?」
 シノは少し考える素振りをして、答えた。
「……『あなたには私が必要です』、だけど」
 そっか、とノアは思った。そのくらいなら教えてくれたっていいじゃないか、とも思った。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 夢から覚めたら、花屋に行こう。モッコウバラを買って、ラスターに贈ろう。
 花屋にあるか、分からないけど。



 ……夢を見た。それが夢だと分かったのは勘のようなものだが、これは夢に違いなかった。
 夢の中で、ラスターはノアの手を引いた。花畑の中にこれ見よがしに置かれたテーブルは随分と洒落たデザインだった。お姫様にあこがれる女の子は、皆こういった場所でお茶をするのが夢かもしれない。多分これはシノの趣味だ。
 テーブルにはホールのカラメルリンゴパイがあった。一切れ分がすでになくなっている。ラスターを見るとにこにこ笑っている。口角にパイ生地のかけらが付いていた。つまみ食いをしたらしい。
 カラメルリンゴパイは食べても食べても減らなかった。二人はおなかいっぱいになるまでカラメルリンゴパイを食べることができるらしい。不思議な夢だ。そして、なんとも子供っぽい。
 ラスターも同じ夢を見ているのだろうか、と考えたらノアはなんだか少しだけおかしくなった。


ノアと亡き夢の花屋 完


(何故自分が悪夢に囚われなかったのか、ノアは分からない。ただ、何かしらの夢を見た記憶はある)

 ※近日公開予定※

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)