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【短編小説】コバルト、風邪をひく

 朝、気持ちの良い目覚めを迎えるなんてことは滅多にない、どころか全くない。が、それにしても酷い有り様であった。
「…………」
 熱が体表に淀む。腹の底から登る寒気が閉じ込められてゆったりと循環するのが分かる。コバルトはため息を付いた。そしてふるふると体を震わせた
 昨日からの風邪が悪化した。それだけならまだなんとかなる。呪傷の影響で風邪やらなんやらにかかりやすくなっている挙げ句治りにくいようなので、別にどうということはない。
 ……しかし、問題が一つ。
「体調を崩したんだって?」
「一人じゃ心細いだろ?」
 ノアとラスターがこちらを覗き込んでいる。

   コバルト、風邪をひく

 なにかの悪夢かと思って、コバルトはそのまま寝たフリをした。即座に額に冷たいなにかが乗っかる。
「熱があるねぇ」
「こんなに大人しいんなら常に熱があってくれないかな」
 ……落ち着かない。
「ラスター、そんな事言わないの」
「いやぁ、ついうっかり」
 ノアがそのままなにかでこちらの顔の汗を拭いてくる。いよいよコバルトは耐えられなくなった。
 勢いよく起き上がる。ノアが驚いてビクッとしたのを見て、ラスターがニコッと笑う。あとはよく見た部屋だ。ゴミしかないつまらない部屋。もとは掃除人が住んでいた。地区の床をブラシで磨いていた男だ。
「お前さんたち一体何しに来た? 俺は今体調と機嫌が悪いんだが」
「アングイスの依頼で来たんだ」
 ノアが何も悪びれることなく答えた。「コバルトが下手に出歩かないよう見張っていてほしいって」
 あのヤブ医者め! という悪態を飲み込むことはせずに思いっきり吐き出した。ついでに咳が出てくる。すかさずノアが背中をさすってくるが、それすらコバルトを苛つかせた。
「お前さんたちは仕事がないのか!? そのへんのゴブリンでも退治してろ!」
「弱ってるところを見られたくないんだって」
 すかさずラスターの通訳がすっ飛んでくる。それがまたコバルトの神経を逆撫でする。アングイスがラスターめがけてメスをぶん投げる気持ちが今ならとても良く分かる、とコバルトは思った。
「とにかく寝てないとダメだよ。ご飯は食べた?」
「お前さんたちの顔を見ていたら食欲が失せた」
 コバルトの皮肉をそのまま受け取ったノアは、手元の紙に「食欲不振」とメモを取る。
「俺は病人なんだ、さっさと部屋を出てってくれないか。治る病も治らん」
「でもなあ」
 ラスターがノアの方をちらりと見た。
「アングイスから君の取説をもらったんだ」
 ノアは紙切れをコバルトに差し出した。
「破かないようにね。ものすごい厳重な呪術が展開されてるから」

 コバルトの取扱説明書
※呪いをかけてあるので壊さないこと! 万が一コバルトに見つかっても破かれない用の呪い※

・目を離さない(すぐどっかに行くから)!
・優しく見守る!
・むかっとくることを言われたらすぐに叱る(調子に乗るから)一言うと百返ってくるが勢いで押す!
・ご飯を食べてるときはせかさない!
 ※野菜のスープを出すとわりと黙って食う
・薬を飲ませる!
 ※身体拘束魔術で流し込めば良い
・体調が良くないから基本的には性格がとても終わっている。慈愛の心で。無理なら黙って寝かせる!
 …………

 その先にもズラズラとまぁ好き勝手にあれこれ書かれている。コバルトは強靭な精神力で紙を引きちぎりたい衝動を抑え、ノアに取説を突き返した。
「ありがと」
 ノアは呑気に礼を言ったが、コバルトは勢いよく布団に潜り込んでしまった。
「ご飯は?」
「寝る」
「寝るって」
 ラスターの不要な通訳が、頭の上を抜けていった。
 しばらく目を閉じていると、二人の気配が消えたのが分かる。外に出たのだ。病人と同じ部屋に延々といるのは自分にも風邪の感染リスクがある。賢明な判断だ。
 ベッドから身を起こし、そっと窓に手をやる。鍵はすんなり開いた。ふん、と鼻を鳴らす。しかし力をぐっと加えても窓が開かない。コバルトは外を見た。僅かな空間のゆらぎが見える。思わず舌打ちをした。壁を殴る。
「障壁魔術張ってあるから窓からは出られないよー」
 ノアの声が背後の方、部屋の外から飛んできた。コバルトは不貞寝した。扉が開く音がして、額に何か冷たいものがのっかった。酷く疲れた。酷く疲れた。もともと不眠ではあるが肉体が弱っているおかげか睡魔はすぐにやってくる。
 ああ、酷く疲れた。



 目を覚ます。窓が青空を切り取っている。時計を見ると午後の二時前。額の上のタオルはまだ冷たい。
 ノアが、笑っている。
「人の寝顔を見ていて楽しいかい?」
「お腹すかない? ご飯食べる?」
「…………」
 ここで「はい」と答えるのは癪ではあったが、実際腹は減っており食欲もある。
「飯は食いたいが、一人にさせてはもらえないのか」
「薬を飲ませろ、ってアングイスが」
「薬!」
 コバルトは思い出した。アングイスの薬という響きだけであのクソ不味い味が喉の奥から這い上がってくる。腐った卵と玉ねぎを混ぜてもっと強烈な臭いにした粉薬の味が旨いわけがない。昨日は材料がないという理由で服用を免れたが、今日はそうもいかないらしい。あんなもの飲むなら死ぬ方がマシだと怒鳴ったことがあるが、アングイスに「医者の前で死ぬと言うな!」と激怒されて終わった。
「お前さん、あの粉薬を見たか?」
「うん。今は魔術で嗅覚をシャットアウトしてる」
「……魔術師は便利だね」
「ラスターは匂いを嗅いだのと同時に泣いて逃げたよ」
「あいつは何しに来たんだか」
 ふう、とため息を付く。ノアが「待ってて」と言って部屋の外へ出ていった。
 随分と熱は引いた(ということにしたい)。もう大分身体は楽になったが、まだ体調不良の残骸が内臓で燻っている(と思いたい)。とにかくあの、拷問を粉にしたかのような薬を飲みたくない。
 窓の外には変わらず障壁魔術が展開されていて、コバルトはため息を付いた。これがなければとっくにここから逃げ出して、一人でじっくりと療養できていた。
 部屋の外から気配が近づく。ノアがスープの匂いとともに部屋へと入ってきた。
「なんだ、それは」
「たくさんの野菜をとろとろに煮込んだスープだよ」
 ノアはにこにこしている。コバルトは渋々、といった様子で器とスプーンを見た。
「自分で食べられる?」
「無理、って言ったらどうするんだ?」
「食べさせてあげるよ」
 ノアが行動に移す前に、コバルトはスープとスプーンをかっぱらった。そのままゆっくりと食事をする。流石に美味い。疲れた体に野菜の甘味がしみていく。とろとろの玉ねぎを舌で潰して飲み込む。
「美味いね」
「そう? よかった」
「熱で味覚が鈍っているのかもしれない。アングイスのスープをここまで美味いと思ったのは初めてだ」
「あ、それは俺が作ったんだ」
「そうかい、通りで」
 数度頷く。アングイスの食事は「健康にいい、味は二の次」というのを平気で叩きだしてくる。まともに味のするスープという時点で涙が出るのは当然だろう。
「おいしい?」
 ノアがニコニコしながら聞いてくる。
「二度も言わん」
 コバルトは意地悪な答えを告げた。それでもノアは笑っていた。
 食器を空にして、もう一度眠ろうとする。ノアが洗面器とコップを持ってきた。うがいをした方がいい、と言う。コバルトは素直に従った。



 次に目が覚めた時は夜だった。額のタオルはまだ冷たい。頻繁に取り換えているのかと思いきや、わずかに魔術の気配がある。あまり頻繁に部屋に出入りするとコバルトなら起きてしまうという気遣いがあるのかもしれない。
 その気遣いを台無しにするやつがいた。
「コバルト、生きてる?」
「お前さんの声を聴いて死んだ」
 近くの椅子に腰かけていたラスターは、コバルトの返答を聞いて飛び上がった。
「ひどくない? 何で俺に対してだけ塩対応なの?」
「俺は寝ていたいんだ」
 熱はだいぶ引いている。明日には復活するに違いない。呪傷の痛みも相当引いていたので、寝てる間にノアが何かしら解呪を展開してくれたのだろう。
「ひどい……ラスターちゃん何もしてないのに」
「お前さんの場合は呼吸をしているだけで罪だ」
「何で!?」
「うるさくするなら他でやってくれ。病人おれは寝たいと言ってる」
 ラスターは肩をすくめて、ポケットから何かを取り出した。
「あーん」
「なんだ、それは」
「いいから、あーん」
 ニコニコと笑うラスターに、コバルトは渋々口を開ける……わけがなかった。
「お前さんが飲め」
 そう言い放つと、コバルトは布団に潜り込んだ。己の熱と汗に満ちた空間の向こうで、ラスターが騒ぐ声がする。「普通そこは素直に口を開けるところだろうが!」という怒鳴り声が聞こえる。やっぱり薬だろう。唯一評価するとすればアングイスの粉薬を捨てて別の薬を持ってきてくれたことか。どのみち飲むつもりは毛頭ないのだが。
 ラスターの声が遠のき、扉が閉まる音がする。コバルトはゆっくりと布団から顔を出した。枕元に落ちていた冷たい濡れタオルを再度額に乗せる。熱は引いているのだ。後は寝ていれば間に合う。
 ……外が騒がしくなる。扉が開く気配がある。
「コバルト、薬を飲んで」
 ノアの声がした。コバルトは寝たふりをした。これならノアを騙せる。ラスターには通用しないが、ノアを騙せれば足りる。
「眠ってる」
「違うって、これ寝たふりだろ」
「そうなの?」
「見れば狸寝入りって分かる」
 二人の会話が聞こえる。
 ……寝たふりが、ふりではなくなるのにそう時間はかからなかった。



 翌朝。
 気持ちの良い目覚めを迎えるなんてことは滅多にない、どころか全くない。が、それにしては随分とマシな方だった。
「コバルト、おはよう」
「ああ、おはようさん」
「調子はどう?」
 ノアがニコニコと笑いながらスープを持ってくる。見た目がアングイスお手製のアレとは違うので安心して食べることができる。
「もういつも通りだ。お前さんのおかげだよ」
「熱を測ろうか」
 体温計を差し出すと、コバルトは素直に計測を始めた。身体に微弱な魔力を注ぎ、それを用いて体温を計測するタイプの体温計なので十数秒で結果が出る。見事に平熱だった。ノアがほっと息をついた。コバルト本人よりも安心しているように見える。
「よかった。薬を飲ませ忘れたときにはヒヤッとしたけど、元気になってよかったよ」
「あんなもんを一回飲み忘れるだけで死にかけてるようじゃ、もうあきらめた方がいいだろうに」
 コバルトはそう言って、スープを飲んだ。が、ふと疑問が頭の中を駆け巡っていく。
「ラスターはどうした?」
 その問いかけに、ノアは遠い目をした。それだけで、彼の末路が分かった気がした。
 ……コバルトとノアのいる部屋の隣のさらに隣。アングイスは呆れた顔をしていた。
「コバルトのバカ! コバルトのバカぁああ!」
 ベッドの上ではラスターがヒイヒイ言っている。
「何で俺に移すんだよ! 何で俺に移すんだよ!」
「昔から風邪を治すには他人に移すのが一番とは言うが、そもそも感染症対策を怠ったオマエが悪い」
 アングイスはそう言って、ゴリゴリと薬草をすり潰している。別にラスターが悪かったわけではない。ラスターの運が悪かっただけだ。部屋に入ったときの条件はノアもラスターも同じで、きちんと風邪対策に魔術だって展開していた。
「だが安心しろ、今日からワタシがつきっきりで看病してやる。まずはお手製の粉薬だ。匂いがキツいが何とかなる。よく効くぞ」
「嫌だ! 死にたくない! 死にたくない!」
「つべこべ言うな! 子供か貴様は!」
「嫌だぁああああああ!」
 ラスターの断末魔が部屋を貫く。ノアとコバルトは顔を見合わせたが、二人にできることはない。
「薬は甘い方がいいね」
「甘い薬ってあんまりおいしくないよ」
 二人の雑談は、ラスターのところに届くはずもなかった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)