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【短編小説】雑貨屋の傍にて

 ちょっと待っててくれ、と単独行動を取り始めたラスターが戻ってこない。のんびり構えていたノアも流石に不安になってきた。
 路地付近のこの区域は魔力を持たない人々が織りなす独特な文化が栄えている。惜しむらくは治安がやや悪いこと。往来を眺めるだけでも楽しいと言えば楽しいが、ラスターが戻ってこない不安が少しずつ大きくなる。何かトラブルに巻き込まれたのではないか、と……。
 ノアは雑貨屋の壁により掛かって、ラスターを辛抱強く待っていた。そのときだった。
 強烈な勢いで開いた扉から、顔を赤くした店主がナイフ片手に飛び出てくる。今すぐにでも貴様の首を刎ねてやると言わんばかりの警戒に、流石のノアも飛び上がった。
 ……どうやらこの店主、見知らぬ男が店先にずっと居座っていることに、不安を感じたらしい。
「友人を待っているだけなんです」
 冷静に告げたところで、頭に血が上った男はそれを聞き入れない。往来からワンテンポ遅れた悲鳴が上がった。流石に場所を変えなければとノアがその場を飛び退こうとした、そのときだった。
「旦那、ちょっといいかい」
 店先に置かれた台に、コツコツと銀貨をぶつけながら店主を呼ぶ者が居た。
「客か」
 血走った目の店主にひるむことなく、その客は喉をグウグウ鳴らした・・・・・・・・・・
「ボサッとするなよ、ノア・ヴィダル。俺はお前さんの死体を引きずる趣味はないんでね」
 素っ気ないコバルトの台詞に驚いたのはノアではなくて、店主だった。血走った目がノアを見て、コバルトを見て、またノアを見て、店主はナイフを落として家屋の中に引っ込んでしまった。
「……自分のしでかしたことにやっと気がついたみたいだなぁ」
 まだ僅かに揺れているように見える扉を見つめて、コバルトは陳列されていたリンゴに手を伸ばした。地面に落ちているナイフを拾い上げた彼は、コートで刃の汚れを拭き取った。
「……ありがとう、助かったよ」
「礼には及ばないさ、お前さんが殺されたら俺の呪傷キズを治す奴がいなくなる」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「まぁ、基本的にカルロス・ヴィダルに対しては好印象のアンヒュームが多いってことは覚えておきな。ヴィダルの名前を出せばある程度大人しくなるはずさ」
 ノアは目を丸くした。
「そうなの?」
「なんだ、知らなかったのか。アンヒュームにルーツという名前を与えたのはカルロス・ヴィダル、お前さんの父親だよ」
 コバルトはかっぱらったリンゴの皮を、器用にくるくると剥き始めた。
「知らなかった……」
 アンヒューム。古代語で「愛のない者」を意味するそれは、魔力を持たぬ者たちへの蔑称。それに対して昨今では「ルーツ」という呼称が広まっている。
 ノアはコバルトの手元に視線をやった。均一の幅を保ったまま、リンゴの皮が解けていく。呪いを受けて醜悪な小人の怪物になる前、コバルトは優秀な暗殺者だったらしい。ノアはその話を以前耳にしていたが、今、その片鱗を目の当たりにしているような気分になった。
「高名な魔術師でもあった新聞記者がね、お前さんの父親にこんなことを聞いた。『アンヒュームの連中をどう思いますか?』ってね。なんて答えたと思う?」
「……父さんのことだから、アンヒュームがなんなのか分からなかったんじゃないかな」
「ご名答」コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「カルロスは『アンヒュームって何?』と返した。その時点でインタビュアーは顔真っ赤だ。だけどヤツは大賢者から『アンヒューム死すべし』の言葉がほしかったんだろうね。アンヒュームは魔力のない人のことで……と説明した。そしたらお前さんの父親は『なるほど!』と納得してこう言った」
 コバルトはわざとらしい咳払いをして、喉を少し鳴らした。
「『ワタシからすれば、アンヒュームもあなたも大した違いはないね』だとさ!」
 コバルトは本当に愉快そうに喉を鳴らした。
「救いだったのさ……。全てのアンヒュームはあれに勇気づけられた」
 ノアの父は、魔術師として全てが規格外であった。この世全ての魔術体系をマスターするだけでは飽き足らず、新たな魔術証明を百以上見つけるも、その全てに証明を遺さなかった。「めんどくさくなった」「それより息子と遊びたい」とあの手この手の理由が書かれた「ヴィダル定理」を一冊にまとめた本は、学術書ではなくエッセイ集として扱われている。
「父さんに……ルーツの人たちを勇気づけようという意識はなかったと思うよ」
「だからこそよかったんだ」
 リンゴの皮がはたりと石畳の地面に落ちる。誰かが「蛇!」と叫んだ。
「アンヒュームは可哀想だとか、あのインタビュアーの鼻先をへし折ろうとか、そんな意志が一切見えなかったのがよかったのさ」
 皮をむき終えたリンゴを囓り、コバルトは満足そうに頷いた。美味いらしい。しばし咀嚼を続けた彼は、口の中のリンゴを飲み込んでから続きを語り出した。
「……更に、カルロスはこう続けた。『本来人間は魔力がなかったんだから、アンヒュームってよりはルーツでしょ』ってね。そこから魔力のない者たちは自分たちのことをルーツと呼び始めたのさ」
 コバルトはリンゴをゆっくりと囓る。ノアはコバルトの、大事そうに物を食べる様子が好きだった。もっとも、彼にそんな意図はないと思うが。
「まぁ、でも。俺はルーツという呼び方は少しくすぐったくてね」
「そう?」
「いいじゃないか。愛のない者、アンヒューム。上等上等ってね」
 コバルトはリンゴを囓った。彼の視線が雑踏に向いたので、ノアもそちらに視線をやった。
「遅かったね」
 ノアがそう声をかけたのと同時に、人混みがラスターを吐き出した。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)