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【短編小説】ただ一人、静かに。

 小雨が降り続いている。
 ノアもラスターも、「雨宿りになるような場所」を探す目的を忘れて、ただ茫然と立っていた。顔に雨粒が力なくぶつかり、体は嫌な湿り気に満ちている。
「どう、する?」
 ラスターがおそるおそると言った様子でノアに尋ねた。
「どうするって……」
 ノアも困惑気味である。
 二人は今、ニリィ村の入り口に立っていた。雨が止むまで滞在の許可を得ようとしていた二人は、その入り口で二の足を踏んでいる。
 その理由は単純明快。
 ニリィ村の入り口に立っている二本の柱。その先端に、ゴブリンの生首が突き刺さっていたからである。
「ただの飾り、ってことはないよね」
「ないな。むしろ新しいぞ」
 ノアは黙り込んでしまった。生首の濁った瞳がこちらを向いているのも合わさって、非常に居心地が悪い。迷うくらいなら出発した方がいいだろう。ノアはラスターに、近隣の村について尋ねようとした。その時だった。
「旅の方ですか?」
 村の奥から声がした。


   ただ一人、静かに。


 暖炉には火が輝いている。ノアとラスターは外套を脱いで、勧められるがままにソファーに腰を下ろした。
「急な雨でしたね」
 村娘は穏やかに話しかけてきた。ノアは「さすがにあの中を歩き続けるのは危ないと思って」と答えた。入り口にゴブリンの生首が飾られている以外はごく普通の村だ。ノアはほっと息をついて、差し出された紅茶を飲んだ。
 一方でラスターは、この村の異常性を確信していた。額縁の後ろ。暖炉の奥。あちらこちらに武器が隠されている。少し足を伸ばして絨毯を探れば、隠しナイフの存在が明らかになった。
「お口に合いませんか?」
 村娘の問いに、ラスターは曖昧に笑った。
「いえ、そのようなことは。……いただきます」
 ラスターはわずかな量の紅茶を口に含んだ。毒は入っていないらしい。実際、おかわりを決めているノアは今のところぴんぴんしている。
「雨がやんだら出発します、ありがとう」
「あら、泊っていっていただいても構いませんのよ」
「急ぎの用事があるんです」
 ノアにしては機転がきいているな、とラスターは思った。
「そうだったんですね。魔物退治屋さんってどこも忙しいのかしら」
 そうこうしているうちに、にわかに外が騒がしくなった。
「ジュリーたちが戻ったぞ!」
 男の声に、村娘がぱっと顔を明るくした。まるで英雄の凱旋に向かうかのようにして、彼女はノアたちをほったらかしにして外へと飛び出していった。
「……血の臭いがする」
 ラスターがぽつりとつぶやいた。ノアはゆっくりと立ち上がり、窓から外の様子を見た。
 外は活気に満ちていた。村人たちは各々上着やタオルを頭に被り、興奮した様子で何かを迎えている。その当事者の手にはゴブリンの生首があった。
「今日は三匹だ!」
 その生首のうち、ひとつはずいぶんと小ぶりだった。子供のゴブリンだろう。
 ゴブリンといっても様々な種類がいる。商隊を襲ったり田畑を荒らす輩もいるが、穏やかにひっそりと暮らしているものだっている。ノアたち魔物退治屋が退治するのは前者のゴブリンだけだ。人に危害を加えないのであれば退治する旨味はない。とはいえゴブリンの外観でその区別がつくわけでもなく、「我々は人を襲いませんよ」といわんばかりにふるまっていた集団が、突如凶暴化する場合だってある。ゴブリンを見かけたら殺せという主張が賛否両論になるのは当然と言える。
 ノアは振り向いた。ラスターの意見を聴こうとしたのだ。だがそのラスターはいつの間にか姿を消していた。まさか、と思ったノアがもう一度窓を覗くと、そこにはゴブリン退治の英雄と話をしているラスターの姿があった。穏やかに談笑しているように見えるが、ラスターの目は笑っていなかった。
「このゴブリンは山の向こうに住んでいたやつを狩ってきたんだ」
「へぇ、わざわざご丁寧に山を越えてまで」
「そうさ。遠出をしてくれない魔物退治屋と違って、俺たちはゴブリンのいる場所ならどこにでも飛ぶからな」
 前言撤回。談笑ではなく牽制合戦だ。
「この前は水源の方に、その前は森に。商業都市の近くにまで遠征したことだってあるぜ」
「私たちはみんなゴブリン退治のプロなのよ。その中でもジュリーは特に腕がいいわ」
 ジュリーと呼ばれた男は、ラスターにゴブリンの退治方法を教えている。暗殺に近しい戦闘スタイルのようだ。
「ゴブリンはな、結構鈍感なんだ。背後からこうして近づいて……」
 それにしてはやたらオーバーな動きで、首を刈り取るらしい。
「へぇ」
 ラスターの返事が適当になっているが、ジュリーたちには伝わっていない。彼は顔を赤くして、興奮気味に喋りだした。
「この周辺にゴブリンが増えてきたってのに、魔物退治屋は何もしてくれないんだよ。実害がないとか言ってさ」
「だから、私たちが退治してるってわけ」
「生首を飾ってるのは?」
「あれは俺のアイディアさ。万が一ゴブリンたちが逆恨みしてこっちに襲い掛かってきても、仲間の生首があったら士気が下がるだろ?」
「へぇ」
 やはり、返事が適当である。
「魔物退治屋はさ、退治して終わりだろ。俺たちはきちんと後のことも考えているんだ。そりゃ初めて生首を見たら人もびっくりしちゃうけど、ゴブリンにやられるよりはマシだからな」
 遠くで何かが吠えた。ノアの体が硬直する。聞き間違いか? と思ったが、そんなことはないらしい。ラスターも気づいているようだ。彼の目が一瞬、ほんの一瞬森を捉えた。村人は誰も気づいていないらしい。ノアは思わず外に飛び出た。そして相棒の名を呼んだ。
「ラスター」
 ラスターは待ってましたと言わんばかりににこりと笑った。
「出発する?」
 付き合いが長いので、ノアはこの答えを予測していた。
「ジュリーさん、ゴブリンがここに攻めてきます」
 ラスターの口元が笑みに歪む。ノアは構わず続けた。
「おそらく、目的は仇討でしょう。先ほどゴブリンの雄たけびが聞こえました。あれは仲間に対する合図の一種で――」
 ぷ、とジュリーが吹き出した。ノアの言葉が詰まる。
「おいおい、嘘をつくならもっとまともな嘘をついてくれよ!」
「ジュリーの実力に嫉妬しちゃったのかしら」
「魔物退治屋から魔物退治を取ったら、何も残らないからなぁ」
 忠告に野次。再度ゴブリンの声が聞こえる。ラスターがノアをつついた。
「行こう。雨も上がった。用事に間に合わなくなる」
 声に焦りが見える。それもそうだ。ここにいても聞こえるレベルの雄たけびとなれば、その群れの規模は相当に大きい。
「……紅茶、美味しかったです。ありがとうございました」
 村人は誰も、ノアたちを見送ろうとはしなかった。新しい生首をどこにかざるかでいっぱいいっぱいだったのだ。
 村から出た瞬間、ノアもラスターも息苦しさを覚えた。森に充満する殺気が誰のものなのか、説明はいらない。
 ジュリーたちは、村を守るためにゴブリンの群れを襲撃し続けていた。そして、犠牲者の首を村の入り口に飾っていた。それは確かにゴブリンたちへの牽制になっていたかもしれないが、同時に「我々が君たちの同胞を殺しました」という自己紹介でもあった。
 人を襲うゴブリンかそうではないゴブリンかの見分けは難しい。村の近くに住み着いたという事実だけではどちらなのかは分からない。だが、ノアたちのようにプロの魔物退治屋ならば、ゴブリンの群れがどのような棲み処を作り上げたかで判別がつく。
 それが「本拠地」であれば人を襲わない類のゴブリンだ。
 人を襲うゴブリンは、たいていの場合別のところに本拠地を持ち、村の近くに襲撃用の拠点を作るからだ。
 ラスターの足が止まる。ノアも遅れて足を止める。ゴブリンの群れが草むらに隠れているのが見えた。全員が武器を持ち、憎しみのこもった瞳で一点を見つめていた。
 森に三度目の雄たけびが響いた。三度目。襲撃開始の合図である。ノアとラスターが見つめる集団も、棍棒や杖を構えて全速力で駆けだした。何匹かのゴブリンはこの拠点に残るらしい。彼らも弓や杖で武装している。その中で一匹だけ、武器を持たない者がいた。彼が手に持っていたのは貝殻のネックレスだった。
 ノアとラスターは同時に振り向いた。火の手が上がっているのが見える。
「村人の首が、飾られたりするのかな」
 ラスターが嗤いながら呟いた。
「見せる相手もいないのに?」
 自分でも驚くくらいに冷徹な声でノアは答えた。思わず口元を抑える。ラスターが優しく背中を叩いてきた。
 思ったよりも早く、四度目の雄たけびが聞こえた。勝利宣言だ。ラスターは手近な木によじ登り、ニリィ村の方を見た。ニリィ村はもう存在していなかった。家も人も何もかも、完膚なきまでに叩きのめされていた。
 ラスターはほっと息をつく。人の生首は飾られていないようだ。視線を下にやると、ノアが不安そうにこちらを見上げている。そのすぐ傍で、ネックレスを持ったゴブリンがうずくまっているのが見える。
 泣いているのだ。ただ一人、静かに。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)