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【短編小説】ティニアの花とキュローナ村のひみつ -その後の二人-

 ヒョウガは震える手でペンを置いた。
「読んで」
 傍に控えていたコガラシマルが、彼の書いた手紙に一通り目を通す。やや支離滅裂だなという印象があったが、読解を困難にするほどのものではない。
「どう? 書き直した方がいい?」
「おそらくは問題ないと思うが……」

   ナナシノ魔物退治屋代表 ノア様

 キュローナ村付近はもうすごいことになっています。ティニアモドキが枯れたのを皮切りに他の植物、なんなら動物もばったばったと死んでいます。コガラシマルは冬の精霊なので確かに動植物を死に追いやるなんて結構簡単なことですが、ちょっと湖で泳いだ程度でこんな状態になるわけがないです。
 ティニア村の人たちも不安そうにしていますが、動植物がばったばったと死んでいるのはキュローナ村の水源の先のことなので、コガラシマルを疑う人がいなくてほっとしています。

 手紙を確認していたコガラシマルの眉間にしわが寄り始めるが、ヒョウガはそれどころではなかった。

 この先オレたちが逮捕されたりとか、そういった心配はないのでしょうか。本当に大丈夫ですか? コガラシマルは「問題ない」と言い張っていますがオレはとても心配です。

「ヒョウガ殿!」
「やっぱりダメか?」
「いや……正直、このような内容の手紙であれば出す意味がないかと」
「なんで!」
 コガラシマルは頭痛を覚えた。確かにキュローナ村は大惨事だ。一番誰が悪いかと言われたら塗料をぶちまけた活動家連中ではあるが、同時にティニアモドキをティニアの花だと偽って観光客を騙し続けたツケがキュローナ村に回っているのも事実。
 結果、キュローナ村と活動家連中はなんと結託。自分たちが垂れ流した塗料のせいで動植物を殺した事実を消したい愚か者どもと、観光客を騙し続けていた愚か者どもがぎゃーぎゃー騒ぎながら実態調査。
「……そもそも、某が泳がなければ事態がこじれずに済んだのではなかろうか」
「いや、泳いで正解だよ」
 優し気な村人がお茶をもってやってきた。ご丁寧にコガラシマルの分には氷が浮いている。
「あそこで泳いでいなかったら、余計に『噴水を凍らせた氷のせい』になっていただろうから」
 ヒョウガがぽかんとしたので、村人はにっこり笑った。
「つまり、『明らかに冬の魔力の影響で枯れたティニアモドキが存在する場所』があるってことが重要なんだ。君の精霊さんがティニア湖で泳いだのがきっかけで溶け出した冬の魔力には、蛇やカエルを殺すまでの力はないからね」
「で、でも結局オレたちのせいになりそうじゃ……」
「大丈夫。ティニア村は君たちの味方だから」
 添えられていたお茶菓子を見て、ヒョウガの目が輝いた。アマテラス国名物の羊羹だ。
「……素直で、いい子だね」
「普段からこのくらいの切り替えができれば、よいのだが」
 村人はお茶とお茶菓子をテーブルに置いて、さらに新聞を置いた。コガラシマルが軽く頭を下げると、村人は「ごゆっくり」と言って部屋を出ていった。速攻でお茶とお茶菓子に舌鼓を打っているヒョウガの横で、コガラシマルは新聞を手に取った。身にまとう風のせいだろう。カサカサと音が鳴っている。

 ティニア湖から冬の魔力検出

 喉元まで出かかった暴言をなんとか飲み込み、コガラシマルは優雅に新聞を持ち上げた。ヒョウガに見えないようにするためだ。冷汗がこめかみを伝う。幸いヒョウガは気づいていない。幸せそうに栗羊羹を食べている。

 動植物の死亡に因果関係なし。

 小見出しの一文にほっと息をつく。

 一方モドキには多少の影響か。


 続いた一文で再び心臓が跳ね上がる。寿命が縮む、とコガラシマルは思った。

 ティニア湖やティニア湖を水源とするエリアで大量のティニアモドキが枯死している現象に関して、専門家のラント・プラー氏は「確かにティニアモドキは枯れているように見えるが、球根が生きている可能性がある。今回検出された冬の魔力がティニアモドキを枯死させたのであれば、キュローナ村の第二浄化装置以降のエリアも含めた全域でティニアモドキは元に戻らないだろう。すぐに確認する方法もある。無作為に選出したエリアに春を思わせる熱の魔力を注ぎ続けて、ティニアモドキの成長を比較する方法だ」

 コガラシマルは心の中で毒づいた。春までこのやきもきが続くなんてゴメンである。この専門家がとっとと対照実験を始めてくれればいい。そうすれば自らの潔白が証明できる。ヒョウガも精神を消耗させずに済む。

「だが、仮に球根が生きていたとしても衰弱している可能性は否定できない。それに、仮に実験でどのティニアモドキも発芽しなかった場合は冬の魔力の主を探す必要がある」

 コガラシマルはちょっと苛ついた。記事の近くには噴水に投下された塗料の説明がある。専門用語が多かったものの、相当しつこい毒性を持っているらしい。それと自分の冬を同一のものとして扱われるというのは気分のいいものではない。
「コガラシマル」
「いかがされた、ヒョウガ殿」
「オレたち、本当に大丈夫なのか?」
「問題ない。某の冬は確かに生命を死に追いやる類の性質ではあるが、このような悪趣味な毒とは違……」
 そこまで言いかけて、コガラシマルは気が付いた。とっくに羊羹を食べ終えたヒョウガが新聞をのぞき込んでいることに。記事を読んでいることに。
「ほんとに、問題ないのか?」
 コガラシマルはその場に横になった。
「某わるくない!」
 大の字で寝転がって駄々をこねる精霊(容姿端麗身長約一八〇センチ)を見下しながら、ヒョウガも新聞の文字を追う。ごん、と鈍い音がした。どうやらコガラシマルがテーブルの脚を叩いてしまったらしい。その時だ。ヒョウガが飛び上がる。彼の視線は新聞記事の下部……広告欄にあった。
「コガラシマル!」
 寝転がる精霊を足で小突いて起きるように指示すると、彼は素直に上体を起こした。
「これ! この広告!」
 それは三流ゴシップ雑誌の広告だった。著名人の不祥事や根も葉もない噂を煽るだけ煽って人々の好奇心に嫌な風を送る類のものだ。コガラシマルの欲しい情報はここにはない。が、今回ばかりは話がちがったらしい。

 ナナシノ魔物退治屋の依頼報告書を入手!
 明らかになるキュローナ村の邪悪な陰謀
 踏み台になって消えた村……当事者独占インタビュー

「……ふっ」
 勝利を確信したコガラシマルが笑いを零した時、ヒョウガは床を見つめていた。先ほどまで誰かさんが大の字になっていた床だ。
「言っただろう、ヒョウガ殿。我々は何も悪くないと」
「しまらないなー」
 ヒョウガは息をついた。報道合戦の渦中にいる以上、あまり迂闊な行動はできない。ティニア村の人たちの厚意に甘えても構わないのであればしばらく滞在する方が賢い。もちろんタダでとは言わない。キュローナ村の噴水がばらまいた魔力に呼び寄せられた魔物は熊一匹では終わらないのだ。
「ヒョウガさん! 魔物が来ました」
 噂をすれば、といったところか。慌てた村人が勢いよくドアを開けて叫ぶ。
「種類は?」
「例の熊です! すでに集落の近――」
 開けっ放しの窓から冬の精霊が飛ぶ。煽られた新聞が勢いよく壁にぶつかった。
「村人はみんな避難してるか?」
「はい。慣れていますから」
「分かった」
 外から強烈な風が舞い込む。思いっきりやってくれて構わないというのはティニア村全員の希望でもある。居場所がバレたらどうしたものか。村の人たちに迷惑がかかるのではないかと悩んだヒョウガに対し、村人はケロッとしていた。
「もしも外から変な奴が来たら、おばちゃんが追い払ってあげるから!」
 と言って、鍋のふたとお玉を構えた村人もいた。
 ふと、ノアの言葉を思い出す。噴水を凍らせた氷が解けたとき「問題ない」と言っていた。ラスターの言葉が続いて思い浮かぶ。
 ……まずは人を信じるところから。
 熊の姿が見える。すでにボロボロだ。そのすぐ上空ではコガラシマルが涼しい顔で魔物を見下している。熊は充血した瞳で空の剣士を睨むのに忙しく、近づいてきたもう一人の存在――ヒョウガには気づかない。
 だから不意打ちが決まる。鉄よりも強固な氷で熊の動きを止める。その際、首のあたりを凍らせないよう気を付けなければならない。熊が吠えた。吠えてもどうにもならない。
「手助け、感謝する」
 いつの間にかコガラシマルが隣にいた。
「終わったのか?」
「無論」
 熊の頭がゆっくりとずれて、地面をわずかに転がっていった。肉は食用。骨は武器。皮は服。余すところなく利用される。
「今夜はごちそうだぞー」
「やったー!」
 村の避難所から、そんな声が聞こえてきたような気がした。
「いやー、ほんとお強いですね!」
 村人の一人がキラキラと目を輝かせてそんなことを言った。褒められたのはコガラシマルのことなので、別にヒョウガには関係のない話だ。だけど、彼が褒められるのはヒョウガにとってもうれしかった。
「あれだけ強い剣士さんなら、賢者の剣とかも使いこなせそうですね」
「賢者の剣?」
「あれ、知らないんですか。大賢者カルロス・ヴィダルが息子のノアに遺したとされる魔道具ですよ」
「ノア……」
「あ、そうです。あなたと行動を一緒にしていた、あの男の人ですよ」
 村人はヒョウガの様子には気づくことなく、丁寧に説明をしてくれる。
「賢者の剣はどんなものなのかはわかっていないうえに、存在していないという見解が根強いのですが……あの大賢者が遺した魔道具ということで、追い求める人々は多いみたいです」
「その人たちは、賢者の剣をどうするんだ?」
「え? えーっと、そうですね。自分で使いたいって人もいるでしょうし、換金目的の人もいると思いますよ。なんせ大賢者が高級素材をふんだんに使って作ったとされる剣ですからね。価値は相当ですよ」
「ふーん。…………」
 熊を解体していた男連中が何かを叫んでいる。村人は慌てて「失礼します、」とその場を去った。倉庫のほうで何か道具を取りに行ったようだ。
 賢者の剣。本来ノアが手にするはずだった行方不明の品。
 もしもそれを、ノアに手渡すことができたのなら……それは何よりも素晴らしい恩返しになるのではないだろうか。
「ヒョウガ殿?」
「なぁ、コガラシマル。ノアに内緒で……賢者の剣、探してみないか?」
 精霊はちょっと驚いた仕草をした。
「探すといっても、いったいどこを探すというのだ?」
「分からない……でも、オレたちがこれからも旅を続けるなら、そのついで、って言ったらアレだけど……」
「動いてみなければ分からぬことも多々ある。旅のついでで見つかる品とは思えぬが、そのくらいの心構えがちょうどよかろう」
 不安げな表情がぱっと明るくなったのを見て、コガラシマルの肩から力が抜ける。村人たちが熊の肉をせっせと運んでいる様子が見えた。魔物の肉は基本的に食用としては不向きであるが、数少ない例外がこの熊である。なんなら普通の熊を食うより美味い。
「あ、でも、お前が賢者の剣ほしがるなよ?」
「某、剣の使い方は分からぬ」
「え? 刀とは違うのか?」
「杖と棍棒くらい違う」
 そっか、となぜか小さな声で納得するヒョウガに、村人の声が飛ぶ。
「じきに夕飯ができるぞ!」という文言を聞いた少年は、精霊も驚くスピードで気分を切り替えて、足取り軽く駆け出した。


 ……しかし結局、不安が拭えたわけではないヒョウガが、あの支離滅裂な手紙をノアに出したというのはまた別の話。


ティニアの花とキュローナ村のひみつ 完

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)