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【短編小説】「私の絵はもうどこにもない」-エリック・ハイドの苦悩と絶望-


(この番組は二〇××年五月二十日に放送されたものです)

 U美術館所蔵。「天空よりの祝福」エリック・ハイド。
 天使たちがやってくるのはどんよりと曇った空。
 雨に濡れた薔薇の園には、妊婦の姿があります。雨粒を抱いた葉が輝く様子とは対照的に、妊婦はこれから訪れるであろう困難を思っているのか、暗い表情を隠そうとはしていません。
 元々高い評価を得ていたエリックでしたが、この「天空よりの祝福」によって、彼の名声はより一層高まりました。しかし――。これが彼の苦悩と絶望の幕開けだったのです。


「私の絵はもうどこにもない」
-エリック・ハイドの苦悩と絶望-


 芸術の扉 第一五三回
 司会:齋藤吉城
 司会:高橋かな子

「こんにちは。芸術の扉、本日のテーマはエリック・ハイドですね。高橋さんはエリック・ハイドのことは――」
「大っ好きです」
「熱心なファンでいらっしゃると」
「家にレプリカですけど、飾ってあります。芸術の扉でエリック・ハイドをテーマにする日をずっと待っていました」
「そうだったんですね。……本日は、エリック・ハイドの絵画研究一筋三〇年、T美術大学から寺崎孝夫教授にもお越しいただきました。寺崎さん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」


「『天空よりの祝福』から始まった名声は、いったいどうしてエリック本人を蝕む絶望となったのでしょうか」

 エリックの名声は、本人が望んだ展開で得られたものではありませんでした。彼は友人から心ない言葉を投げかけられたことにより、ショックで精神を病んでしまったのです。

 精神不安を抱えた後、エリックの絵画は異常なほど評価されます。それを見た友人が「あれは俺のおかげなんだ」と周囲に吹聴して歩き、しまいにはゴシップ雑誌の取材まで受けることになります。激怒したエリックが三日で描き上げたのが、「花弁をこじ開ける」でした。

 U美術館所蔵。「花弁をこじ開ける」……。
 瑞々しいバラの蕾に手をかける男が、花びらに手をかけて、バラの中身をさらけ出そうとしています。
 無理矢理開かれたバラが落とした花弁は、涙のようにも見えます。
 このキャンバスの後ろに、エリックは自身の精神を蝕む言葉を投げた友人宛の、怒りのメッセージを残しました。

(「花弁をこじ開ける」のキャンバスの裏に書かれたエリックのメッセージ。
「君が花弁をこじ開けてしまったせいで失われたものも沢山ある。勿論君が花弁をこじ開けなければ得られないものもあったかもしれない。しかしそれ以上に失われたものが多すぎるのだ。バラの蕾が膨らむ様を、花が咲いた後に見ようとしたところで不可能だというのに、芸術家がそのときにしか生み出せない作品を君はズタズタに傷つけてダメにしてしまったのだ」)

 この絵が発表されたとき、民衆は驚くほど静かでした。しかしそれはエリックの才能が成した平穏だったと、U美術館館長のアイザック・ミュトーさんは語ります。

「エリックの『花弁をこじ開ける』は多くの芸術家の共感を呼びましたが、絵画を鑑賞する側の人々にとっては言い訳にしか聞こえなかったようです。『評価されるようになったんだからいいじゃないか』『エリックは絵が描けるだけの元気がある』という意見が多数派だったんですね。しかし、その不満を黙らせるだけの実力とエネルギーがこの絵に宿っていた。それが人々にもそれとなく伝わっていた。だからあまり大きな騒動にはならなかったんです」――U美術館館長、アイザック・ミュトー。


(「花弁をこじ開ける」のキャンバスの裏に書かれたエリックのメッセージ。
「君が無理矢理にこじ開けたバラは、自力でその歪みを元に戻そうと頑張ったのである。間違っても君の実績ではない。繰り返す。間違っても君の実績ではない」)

 精神不安の苦しみから逃れるために作った作品が――「スィパール精神病棟の看護婦」「藻掻く女」「タシュム伯爵の薔薇」全てエリック・ハイドという画家を語る上で欠かせない絵画ばかりです。

「エリック・ハイドが精神不安を解消させるために、医者の世話になっていたことを知る人物は少なく、精神病院に入っていくエリックを見た事情を知らない友人たちは『絵のアイディアを探しているのかな』なんて思う人が殆どだったようです。エリックは自分の受けた傷を本当に理解できる人間は殆どいないと思っていたため、彼は絵画に没頭するほか無かったのです」――U美術館館長、アイザック・ミュトー。

 高まる評判の一方で、エリックは昔自分の描いた作風に回帰するために制作に没頭します。
 彼の残したスケッチブックには、かつての彼が描いたスケッチの模写が大量に残っていました。
(画像左が旧作のバラ、右がその模写)
 エリックの苦しみを知った画家であり、彼の親友――アルフィー・エドワード・ハワードは、当時のことを手帳にこう書き記しています。
「芸術家の苦しみを理解できるのは芸術家のみで、その中でも共感を持って完全な理解を出来る者となるともっと少なくなる。私の最愛の友(※エリック)のために、私ができることがない。もしも過去に戻れるのならば、あの馬鹿な暴言野郎の心臓にナイフを突き立ててやるのだが」


「高橋さんは、エリック・ハイドの熱心なファンであると先ほど仰っていましたが……」
「はい。本当に彼の――絵画という芸術の極致に至った際の、プライドの高さと謙虚な姿勢が同居するあの強い優しさが大好きなので、絵にも……特に『連作・銀貨』がお気に入りです。精神不安後の影が落ちた感じも非常に好きなのですが、同時に初期のものが描けなくなってしまったという絶望を――おそらくエリック本人は『それは共感ではない』なんていいそうですけれど、ともかくもう二度と自分の好きなものを自分の好きな表現で作れないという悲しみが、絵からもじんわり伝わってくるんですよ」
「それもまた、一種の魅力というのが皮肉ですね」
「ええ。初期のエリックは、不条理に力強く生きる人たちをよくモチーフに選んでいました。編集者に嫌われたせいで売れない作家ですとか、物乞いをする少年に銀貨を恵む青年とか。あくまで彼は希望を描いていたんだと思っています。ですが否応なしに作風が変わった結果、エリック自身が強く生きられなくなって、初期のモチーフを使えなくなったという……」
「そこに理解者がいないというのが、またつらい話ですね。寺崎さんは如何ですか?」
「エリックを理解していた芸術家仲間というのは割と居たんですよ。ただ、アルフィー・エドワード・ハワードと特に親交があったため彼にばかり注目が集まりがちですが……。詩人のテリー・グランドがこの時期逮捕されていますが、これはエリックに暴言を吐いた人物を本気で殺しにいくつもりだったようです」
「そうだったんですか!?」
「そうなんですよ。テリーは逮捕されるときに『何故俺をしょっぴくんだ、もっと相応しい奴がいるだろう! 俺の友人を傷つけた奴だ、あの残酷な暴言野郎だ! 出てこい!』っていうようなことを言って暴れて、警官を一人ぶん殴っちゃったんです。これで罪が重くなって、三年間牢屋で過ごすことになるという……」
「エリックはこれを知っていたんですか?」
「アルフィーが隠し通したみたいですね。こんなの知ったら、エリックはもう立ち直れないだろうって思ったみたいですが……」
「確かに、とどめを刺してしまう形になってしまいそうですね」
「さて……望まない形で芸術の境地に至ったエリック・ハイドは、ついに最後の作品に向き合う決意を固めます」


 エリック・ハイドの最後の作品「朽ちる」
 どこか力のない筆致で描かれた葉は、今まさに枯れ果てようとしているように見えます。バラの花びらは、花瓶の置かれたテーブルに近づくほど色彩を失い、奥側に居るくたびれた老画家――エリック本人は、諦めたように白紙のキャンバスの前で項垂れています。

(白いキャンバスにうっすらと描かれた文字)
Wi la pukacli U orviqend私はもう描けない
(エリックの生まれ故郷、X国のR地区で使われていた特殊な言語)

 かつて詩人を志していたエリックは、キャンバスの裏に自作の詩やエッセイを記載することが多々ありました。この「朽ちる」にも、エリックはメッセージを残しています。

「あの一件以降、私は作品を作ることで、私がかつて作っていた作品を探し続けていた。しかし、もうどこにもない。どこにも見当たらないのだ。如何にバラを瑞々しく描いたところで、かつての私が作り出していたものの、足下にも及ばないのだ――教えてくれ、友よ。私の絵はどこにある?」

「朽ちる」を完成させた一週間後、エリックは自身のアトリエで死亡しました。拳銃で自身の頭を撃ち抜いたのです。十一月十一日……彼が三十四歳になった日のことでした。
 エリックのスケッチブック、最後の一冊の最後のページを、U美術館で見ることが出来ます。

(バラが花びらを散らす絵)
Alfi ie ynnuga shuqendアルフィー、許してくれ
Wi la kummbreq du phatcheq私の絵はもうどこにもない
(エリックの生まれ故郷、X国のR地区で使われていた特殊な言語)

 この五年後、アルフィー・エドワード・ハワードが完成させた巨大絵画「葬式」、この絵の中央には……。

ERICエリック」――(棺の中央に刻まれた傷)。
(この絵で、棺に手を添えている人物――アルフィー・エドワード・ハワードの足下には、赤い絵の具の着いたペインティングナイフが転がっている)


「最期は……なんだか悲しい終わり方でしたね」
「無理矢理開かれたバラは結局早く散る運命だったのでしょうか」
「エリックは最期まで自身の筆は折れていないと言っていました。しかし心はもう折れてしまっていたんですね。彼は芸術に関してとてもプライドが高い人だったので、心が折れた程度で筆を折ってたまるかと、躍起になっていた面もあると思います。『朽ちる』の前に制作されたスケッチには枯れかけたバラのスケッチが何百枚とあって、ここから『彼は既に自殺を心に決めていた』と解釈する研究者もいます」
「私は……なんだか最後の挑戦にも見えました。エリックは『朽ちる』に全てを託したような感じがします」
「『この絵が上手く描けなかったら死のう』という解釈でしょうか?」
「はい。なんというか、最期まで自分の作品が大好きで、自分の作品に厳しい人だったのかなという印象がありますね」
「高橋さんはアルフィーと同じ考えなんですね。アルフィーはエリックの葬儀の時に『お前の最期の絵にはお前が愛したお前の絵の萌芽が見えていた』と言って泣いたそうです」
「ちなみに、寺崎さんはどういった解釈をしていますか?」
「私もアルフィーや高橋さんと同じですね。というのも、スケッチブックの最後のページだけ筆圧が少しだけ強いんです。それで、こう、ネガティブな言葉が書かれてはいますけれど、そこは後になって書かれたものだと思うんです。少なくとも、バラのスケッチと同じ時期に書かれたものではない。どっちが先かはまだ分かっていないのですが……」
「どちらにせよ、エリックは自分の愛した絵を取り戻すことができなかったと」
「本人はそう思っていたようですが、この……『朽ちる』の下の方、よく見ると新しい葉が見えるんですよ。これは回帰と再生――エリックが一番望んだ『希望』なんです。それを画面に取り入れている。アルフィーはそれに気づいた。でも、描いた張本人であるエリックは気がつかなかった」
「アルフィーがエリックの葬式をテーマに巨大絵画を制作したのも頷けますね」

(この番組は二〇××年五月二十日に放送されたものです)
 今回紹介したエリック・ハイドの展覧会が、T美術館で開催予定です。

 エリック・ハイド展 悲哀と希望の果てに
 T美術館 二〇××年六月十二日~八月二十日(最終日は午後五時まで)


 次回の「芸術の扉」は――。
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 是非、ご覧ください。 

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)