見出し画像

【短編小説】帰郷

 子供の頃の冒険譚なんてたいしたものではないのだが、その日の私たちは地平線の向こう側を目指して延々と自転車をこいでいた(私は荷台に座っているだけだったが)。彼の目には海が広がっていた。水影を携えた彼の薄い蒼の瞳は私のお気に入りだった。
 私たちが追い求めた地平線が海に飲まれて白波をざぶさぶと吐き出す様は、まるで長年見知った友人が見るも無惨に変わり果ててしまったような得体の知れない虚無に似ていた。自転車を止めた彼が潮水へ足を踏み出したので私もそれに倣った。彼の脚が鱗に覆われるのと、私が水面をひたひた歩くのは同時で、彼は泳いで、私は歩いて青い地平線を追いかけた。ガラス張りの床を歩く気分で下方に目をやると銀色に輝く鰯の群れがあった。規則正しく蠢く塊がぶわりと動く。巨大な影が身体をひねるのが見えた。
 結局、得られたものは小さなフレームに収まる一枚の記念写真だけだった。カメラを持っていたのは私だった。日が暮れそうになったのでもう帰ろうと呼び掛けたところで返事はなく、ああそれが答えなんだなぁと納得した私は写真を撮って一人で陸へと戻った。彼がどこにいったのが分からないが私は少しだけサドルの高い自転車をこぎながら親への言い訳を考えたりしていた。
 私はその写真を、写真を飾っていたフレームごとゴミ袋へと押し込んだ。
 フレームにくっついていた貝殻の飾りがひとつどこかへ消えてしまっていたし、この写真はいつか捨てなければならないと私は頭のどこかで理解していた。脱力感にしばし手を止めて、私は無意味な思考に身を浸す。――来世は鰯がいい。銀の群れを作る無個性になって、藍色の影に溺れるのだ。そうすればあんな写真がなくとも、また地平線を一緒に追いかけることができるはずだから。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)