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【短編小説】ラベンダーのあと
↓読むと解像度が上がる話
ノアが寝ている。
疲労がたまるとよくあることなのだが、問題はその場所である。最初のうちは「またか」と思っていたラスターも、最近では「おっ」と思うことが増えていた。足音を消してそっと近づくが、起きる気配はない。このパターンの場合、起きるのはいつだって少し遅めの朝だ。そこでノアは初めて気が付く。
「また、間違えてラスターの部屋で寝た」と。
様々な依頼をこなしているうちに、様々な悪意にも触れる。昔に比べたら「些細」だと笑っていても、その棘は確実に精神を蝕む。今日は早く寝よう、と言って部屋を間違えるくらいには。
ノアの睡眠を邪魔しないように、ラスターはベッドの隅に腰かける。何もない部屋だ。見られて困るようなものはない。そんなものを分かりやすく置いておくわけもないという意味で。ベッドの傍に細々と並ぶ植物の鉢。加工方法によって毒にも薬にもなる。何か書き物ができるようにと置かれた机の上には手遊びの竹細工やら木彫りの鳥やらが置かれている。罠や小細工の小道具を作るついでに作ったオモチャだ。木くずが散らばっているのが見えた。あとで片付けなければならない。ノアの部屋から勝手に借りた本が三冊。これはバレたらちょっと何か言われるかもしれない。
ノアが寝返りを打つ。こちらに気づく気配はない。若干魘されているようにも見えた。
暗がりで手を動かす。取り出したのはラベンダーのポプリだ。ガラスの小皿に少量を移し、ノアの顔のすぐ傍に置いてあった小テーブルに置いた。こうすれば香りがノアの方にも届く。悪夢に効くかは分からないが安眠の手助けにはなるだろう。
夜風が聞こえる。何かを威嚇するかのようにして、冬の声色で吠えている。
コバルトはノアのことを「繊細」だと言ったが、ラスターはその表現をあまり好きにはなれなかった。繊細なのではない。自分たちが鈍感になってしまっただけなのだ。何かとても嫌なことがあったときに「人を殺す」選択肢が自然に浮いてきてしまう人間の方がおかしい。ノアは偉い。できるだけ多くの人々が傷つかない手段を探す。対してラスターはそうではない。限られた人々を護るのに手いっぱいで、その他大勢を気遣う余裕はない。コバルトに関してはもっと酷い。その他大勢を気遣うどころか切り捨てる覚悟で事に臨む。
冷たい酸素を吸う。白い息を吐く。タバコを吸っているように見えた。借りた本を手に取って、月明かりにページを晒す。王道の冒険譚だ。勇者が魔王を倒す。彼と旅路を共にする仲間に魔力ナシがいないという言いがかりは結構な騒動になった。
アンヒューム。生まれつき魔力を持たない人間に対する蔑称。最近では「ルーツ」という差別的なニュアンスを含まない呼称も広まってはいるが、世間からの扱われ方に変化はない。少なくとも、当事者であるラスターはそう思う。
小説は大変に面白かった。言いがかりの騒動がなければもっと素晴らしい作品として名をはせていたことだろう。ノイズの要素がある。下巻の序盤でとってつけたかのようにして一行に加わった孤児の盗賊が、勇者に名前を呼ばれることなく雑な扱いのままドラゴンに食われて死んでしまうのだ。
ラスターは思わず笑ってしまった。こんな扱いをされるくらいなら黙って魔力ナシ不在のまま話を進めてもらう方が遥かにマシだ。
窓ガラスが揺れた。結構な音がした。ノアの方を見ると、寝ぼけた眼が開いている。ラスターは何も言わなかったが、さすがに違和感を覚えたのだろう。顔がこちらを向く。もう言い逃れができないのでラスターは素直に「おはよう」と言った。
ノアはしばし呆けていた。何が起きているのか分からないでいた。夢に後ろ髪が引かれているのならそのまま寝てもらってもいいのだが、そうはいかなかったようだ。ノアは跳び起きた。彼はようやっと、自分がどこにいるのかを理解できたらしい。
「俺、またやらかした?」
「寝てていいよ」
「よくないよ」
ベッドから出ようとしたノアを、ラスターは押さえつける。あのときとは逆だな、と思った。ぼふ、と鈍い空気の音がした。布団の中にこもっていたぬくもりが初冬に冷えた部屋に溶けていく。もったいない、とラスターは思う。
「いいから寝てろよ、あんたのために出したラベンダーのポプリが無駄になる」
「君の寝る場所がないだろ!」
「あるよ」ラスターはけろっと嘘をついた。だが、これだけ雑な嘘ではノアには通用しない。実際、
「そうやってすぐ嘘をつく!」
と怒られた。
「嘘じゃないさ」
だったらそれを真実にすればいい。ラスターはノアを抑え込みながら自分もベッドにもぐりこんだ。
「あの時のベッドよりも狭いが、無理があるってほどのことじゃないだろ?」
「な……!」
「いいっていいって。ヘンなことしないから」
「そういう意味じゃ……」
おやすみ、とラスターは呟いた。素直な奴はいい。ノアはすっかりおとなしくなった。反抗する気力がないのだ。ラスターが逆の立場だったときは、正直眠りに落ちるまで抗う気満々だった。ノアはすっかり眠っている。ラスターは本を読もうとしたが、もうベッドから脱出する気力がなかった。勇者がどうなったのかは明日のお楽しみだ。孤児の盗賊のことなんざ忘れて魔王を倒してハッピーエンド。
きっとそうだ、そうに決まっている。
翌日。本を返却しに来たラスターに、ノアは「どうだった?」と質問を投げてきた。
「孤児の盗賊の扱い、ひどくないか? 犬死にしただけだろ」
へらへらと笑いながら、ラスターは本棚に本を戻す。結局思った通りの結末だった。孤児の盗賊のことなんざ忘れて魔王を倒してハッピーエンド。めでたしめでたし。よかったね。
次はどの本がいいだろうかと考える。しばらく冒険譚はいい。日常の……ちょっとした純文学がいい。
「犬死になんかじゃないよ」
ノアの声が、後ろから聞こえる。ラスターが先ほど戻した本を手に取り、ノアはページを開く。終盤。エピローグ。
「盗賊のジャックがドラゴンに食われた後、勇者は魔王を倒す。そして何事もなかったかのようにして凱旋する。このシーンで、勇者は魔術師の方を見るんだ」
「そりゃ、魔術師に惚れてたってことじゃないのか?」
「これは相当読み込まないと分からないんだけどね」
今度は序盤のページを開く。小説の舞台になっている大陸の地図と、交易都市の地図だ。通りの名前まで細かく掲載されている。
「エピローグで、勇者たちの凱旋ルートは、こう」
ノアの指が、地図をなぞる。
「魔術師は勇者の右隣にいた。そしてビリー通りからエフラ通りに差し掛かる瞬間、勇者は魔術師の方、つまり右側を見るんだ。その視線の先には――」
ノアの指が、「地区」と書かれたところで止まる。盗賊ジャックが暮らしていた場所だ。ノアはラスターの方を見てから、ページを本編に戻した。そこにはこんな記述があった。
――勇者は魔術師の方を見て、思いを馳せた。
「この『思いを馳せた』というのは魔術師宛てじゃなくて、ジャック宛てだって言われてる」
「なるほどね。そういう解釈もあるわけだ。でもまだ足りない。勇者が魔術師の方を見ていない理由は?」
「そもそも勇者は魔術師に惹かれていないんだ」
「そうきたか」
ラスターは頭を掻いた。確かに凱旋の後、勇者は一人で旅に出る。魔術師も僧侶も置き去りにして、たった一人で旅に出るのだ。
「俺が思うに、ルーツの人たちが騒ぐ前からジャックは加入する予定だったんだよ」
ラスターの頭の中で音がした。ぱちり。それが電流の音なのかパズルのピースがはまった音なのかは分からない。が、淀んでいた何かがおとなしくラスターの体を通り抜けていったのは確かであった。
「……ああ、そういうことね。アンヒュームがああだこうだと騒いでしまったから、逆にジャックの扱いが慎重になったってわけか。騒動で過激になりつつあった魔術師の読者を黙らせるために」
「そう。だからさっきの解釈も俺のこじつけかもしれない。でもそうでなければ、通りの名前を描写に入れたりわざわざ地図を掲載することはなかったと思う」
ふーん、とラスターは他人事のようにして思った。言われてみると勇者はドラゴン退治の際に「足がすくんだ」という描写があった気がする。その隙をついたドラゴンからかばう形で盗賊は退場する。
「……とはいえ、これは俺の解釈であって、作者がどう考えていたのかは分からないんだけどね」
「俺としてはあんたの解釈の方がいい。綺麗だ」
「そう? ありがとう」
「案外、大半の物事ってそんなもんなのかもな」
ラスターは本の背をなぞる。冒険譚の作者は他にも様々な著作を遺しているらしい。
「どういうこと?」
「外野の解釈によって意味が大幅に変わる」
そのうち、タイトルに惹かれた一冊を取り出す。表紙を見て思わず苦笑する。これも似たような冒険譚に違いない。ノアが「それ、おもしろいよ」と言った。
「また借りても?」
「いいけど、残りの二冊をちゃんと返してね」
「バレてたか」
はは、と笑う。ノアが肘でこちらを小突いてくる。ラベンダーのポプリの匂いが、ほのかに鼻腔を撫でていく。
今日は夢にドラゴンが出てきそうだと思った。
気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)