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【短編小説】怪物のオムライス -Side xxx-

(追い詰められた人間は、大抵の場合、帰りを待つ人が居ることを忘れている)


(呼吸ができずに咽せてしまった君を、指差して笑う輩を殺して何が悪い?)



 ノアとラスターは、しばらくそのままでいた。互いに何か話を切り出すこともせず、じっと静寂に身を置いていた。外は相変わらずにぎわっている。ここだけが静寂に切り取られている。誰かが壁に石を投げた。心無い暴言を投げた。醜い笑い声が聞こえる。テーブルの木目が不思議な曲線を描いていて、まるで眩暈めまいみたいだとノアは思った。こんな状況でなければ、大して気にならない模様であるはずなのに。
 耐えられず、ノアは話題を切り出すことにした。
「お店の人は……」
「遺体か?」
 ラスターがさらりと言った言葉に、ノアはぎょっとした。分かっていても、突きつけられるとつらいものがある。
「同業者に連絡して夜のうちに運んでもらった。今頃コバルトが――対面してるんじゃないか」
 ラスターはそう言って、手元でメモ用紙を弄った。ノアの位置からはよく見えなかったが、黒いマジックで何か書かれているようだった。
「そうか……」
 ノアはこぶしを強く握った。誰かが壁を蹴る音がした。
「……悪かったな、ノア」
 今度は、ラスターが口を開いた。
「コバルトが心配して、あんたに頼んだんだろ。もっと早く戻ればよかったな」
「大丈夫。気にしないで」
「……ノア、聞いていいか?」
「……うん」
「王都って、どんな場所なんだ?」
 ノアは顔を上げた。
「教えてくれよ。王都ってどんな場所なんだ? あんたの目には、どう映ってる?」
 ラスターはほほ笑んでいたが、無理な表情であることにノアは気づいていた。目元にはやり場のない悲しみと、どうにもならない怒りが混ざり合っている。
「王都、は……」
 ノアはゆっくりと口を開いた。尋問を受けているような気分になったが、ノアはこの問いの模範解答を知っている。
「魔術師にとってこれほど素晴らしい都市はないよ。常に清潔で、騎士団の拠点でもあるから治安もいい。住んでいる人たちもみんな王都が大好きだ。海洋都市や商業都市から常に高品質な品々が届くし、何一つとして不便はない」
 ラスターの目が少し見開かれた、瞳が徐々に困惑に染まっていくのが分かる。
「学術都市に引けを取らない環境が整っている。王都の魔術学校では優秀な魔術師の卵を各地でスカウトするんだ。他の魔術学校に圧をかけてるなんて噂もあるよね。集められた子供たちは血筋でクラス分けがされる」
「…………」
「他の都市ではよく見られるルーツの暴動なんかもないよ。騎士団だって優秀だ。所属していたことがあるからよくわかる。みんな王への忠誠を誓い、悪を排除する実力者が集っている。彼らは私生活のすべてを犠牲にしてでも職務を全うできる、優秀な人たちだ。自分の親や家族を守るために自分の親や家族を犠牲にできる人。彼らは本当にすごいんだ。王都の平穏を乱すルーツの村をいくつも――」
「ノア」
 ラスターがノアの名を呼んだ。怒りも悲しみも、彼の中からとうの昔に去っていた。
「――壊して、秩序を守った」
 それでも、ノアは言葉をつづけた。目元がわずかに痙攣した。
「あんたもそうだったのか? アンヒュームを――……」
 禁忌であることは重々承知だが、ラスターはこの問いを投げずにはいられなかった。心臓が高鳴る。嫌な脈打ち方だ。やっぱり投げなければよかった。投げるべきではなかった。
「俺にはできなかった」
 ラスターはほっと息をついた。息をついてから、そりゃそうだよな、と思った。共に行動していれば、彼の人となりをある程度理解できる。例え王の方針であれど、ノアなら罪なきアンヒュームを狩ることはしないだろう。
「君も言っていたよね。ラスター」
 ノアの声に、息が、詰まる。
「彼がしたことは、店を開いて、ご飯を作って、お客さんをもてなしただけ。騎士はその人を殺すことをためらわない。なぜなら彼がルーツだから」
「だったらどうして、ビトスは首を吊ったんだ? 何故、騎士はビトスを殺さなかった?」
 ノアはほほ笑んだ。無理のある笑い方だった。ラスターの胸がずきりと痛む。
「ルーツの血で……王都が、…………」
 ……絶句、という言葉はこの瞬間のためにあるのではないか。ラスターはそんなことを考えた。余裕があるものだ、と自嘲するのも、この現状をどこかで客観視したいという願望によるものだろう。
「俺にはこの店を作った人の気持ちが痛いほど分かる」
 ノアはもう、自分を何とか取り繕うとする努力を放棄していた。ラスターは呆然とした。なんと言えばいいのか分からなくなった。
「自分の力で何か大きな変化を起こせるんじゃないかって夢を見た。自分の大切なものがこれ以上傷つかずに済むように、成し遂げるための力を無邪気に信じていた」
 ノアはまっすぐ正面を見据えたまま言葉を続けた。外からひどい暴言が聞こえてきた。どうやら王都の住民は昼食を終えた後、この店に誹謗中傷を投げる習慣があるらしい。
「理想を打ち砕かれてもそれに気が付かないまま、自分の大切なものを失ってやっと気づいて、でも手遅れだった。残ったのは理想の燃えがらとぐちゃぐちゃになった自分だけ。俺はみんなを守る騎士にはなれなかった、それどころか酷く傷つけただけだ」
 ラスターはいよいよ席を立った。ノアの傍に歩み寄った彼は、ノアの手を取った。極限にまで潤み、もう容量超過となった目を覗くと、自分の顔が映っている。妙に歪んだ己の顔はどこか悲しげに見えた。
「……帰ろう」
 ラスターは手に、ほんの僅かな力を込めた。
「ここは俺たちの居場所じゃない」
 ノアは、頷いた。



(夢を追う奴等はたいてい足下を見ないで走るので、気がついたときにはもう崖から落ちていることが多いのだ)


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)