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【短編小説】賢者の剣 #3(最終話)

 こちらの続きです。

 ラスターに駆けられた呪術は解除できたものの、ノアは酷く憂鬱だった。
 まさか裏社会の人間も賢者の剣を狙っているとは思わなかった。父としては夏休みの工作気分で作った剣のはずなのだが、世間からすれば国宝級のお宝というワケか。そもそも魔術に使う武具にはきちんと専門家がいるので、父のようなはっちゃけた魔術師が趣味で作る道具より、魔道具のプロがその専門知識を生かして作った道具の方が良質で価値が高い。そんなことすら知らないのだろうか。いや……そうではない。ああいう連中は、カルロスが関わったものなら何でも欲しいのだ。
 女の魔力がラスターに残っていないかを、ノアはもう何度も確認している。しかしいくらやっても不安が拭えない。魔力用の回復薬を飲み干したところで、玄関の扉が派手に開いた。
「ノア! ラスター! 無事か!」
「コバルト!?」
 左足を引きずりながらやってきたコバルトの口元から血が零れる。ノアは慌てて治癒魔法を発動させた。
「変な感覚はない? 痺れとかチリチリする痛みとか」
「なんにもないね。お前さんはほんとにいい腕をしている」
 コバルトはそう言って、玄関の鍵をかけた。
「もしかして、君も襲われたの?」
「そりゃそうさ」コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「俺が襲われてお前さんたちのことをゲロったからこうなっているし、ラスターはああなっている」
「……どういうこと?」
 コバルトはニヤっと笑った。
「ノア・ヴィダルは初級魔術しか使えない弱い魔術師。強い呪文は何も使えない。弱々しくて臆病そうに見える――とまぁ、そんなことを伝えたのさ」
 コバルトは床に腰掛けた。ノアは椅子を用意しようとしたが「高すぎて座れない」という一言で断られた。
「まさかあそこまで大真面目に賢者の剣を狙うバカがいるとは俺も思っていなくてね、ラスターにとっても想定外だったんだろう。許してやってくれないか?」
「許す? 何を?」ノアは目を丸くした。
「許してもらうのは俺の方だよ。俺と関わっていなければ、君たちは怪我をせずに済んだ」
 ノアはラスターの肩を撫でた。先ほどまで呪いが根を張っていたそこは、もう何の痕跡も残っていない。ラスターはすやすやと眠っている。まるで眠るのが義務であるかのようにして。
 コバルトはラスターに近づくと、少し目を丸くした。彼のペンダントからフォンが姿を現し、まるで威嚇するようにして身体を大きく広げる。
「起こすだけだ」
 コバルトはそう告げて、瓶を取り出した。
「休ませてあげて」
「そうもいかないんでね。許してくれ。あと……息を止めた方がいいぞ」
 コバルトはそう言って、瓶の蓋を勢いよく引き抜いた。その際に、なんとも形容しがたい臭いがふわりと漂ったのがノアにも分かった。
 コバルトは瓶から立ち上る黄緑色の気体を、ラスターの鼻目がけて思いっきり吹いた。
「んげぇ!?」
 強烈な悪臭に飛び起きたラスターを見て、コバルトは即座に瓶に蓋をした。一発ぶん殴ってやるという顔つきをしていたラスターだったが、身体を蝕んでいたあの痛みが綺麗さっぱりなくなっていることに気がついて機嫌を直した。
「あんたが治してくれたのか?」
「肩を回してみて。しこりのようなものが関節に残っていたりしない?」
「問題ないぞ」
 ラスターは指示通りに腕をぐるぐると回す。そのついでにコバルトの頭を思いっきりぶん殴っていた。
「扱いが酷いな!」
「貴重な安眠を妨害した罰で死刑」
「それよりラスター、情報をやる」
 コバルトは懐から紙の束を差し出した。ラスターはひったくるようにしてそれを受け取った。
「ほんとはそれを渡しておしまいの予定だったんだが、まさか御本人がやってくるとは思わなかったね」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。そして、ノアにも紙束を見るよう促した。
 ノアは指示されたとおり、ラスターの傍に寄る。ラスターも気がついて、中身を見せてくれた。あの女の写真と、細かな文字が好き勝手に書かれていた。少し癖のある文字で読みづらさはあるが、全く読めないわけではない。
 ラスターがこちらを見たので、ノアは頷いた。ページが捲れると、破壊された遺跡の写真が並んでいる。
「アイツは呪術や闇魔法を専門とする女暗殺者だ。本名は不明。各地を巡って賢者の剣を追い求めているそうだ」
「目的は?」
「呪術師としての道を究めるため」
「しょーもな。本でも読んでろ」
 ラスターが毒を吐く一方で、ノアは顔を曇らせた。
「ご家族が心配かい」
 コバルトの問いに頷いたノアは、最後に手紙が来た日を思い出そうとした。昨日だ。返事はこれから書こうとして、そして……。
「次に狙われるとしたら、運がよくとも悪くともお前さんだよ、ノア」
「どうしてそう言い切れる?」
 震える声で問いかけるノアの手を、コバルトが握った。
「あれはお前さんの剣だからだ。お前さんに関係する場所にしかない。つまり、お前さんの手元に確実に渡るような細工がどこかにあるはずだ。賢者の剣を追う輩はみんなそう踏んでいる」
 酷く角張っている手はお世辞にもさわり心地が良いとは言えなかったが、それでも今のノアにとっては何よりもありがたい支えであった。
「…………」
「お前さんの兄弟はそうやってプレゼントを受け取ったんだろう? 魔力か何かを媒介にして」
「ロゼッタは……俺のすぐ下の妹はルーツだから、その手法は使えなかった。……それよりも、コバルト……呪傷が悪化していない?」
 コバルトは小さく息をついた。
「俺の心配はあとでいい、呪傷コイツとはお前さんよりも長い付き合いなんだ。そんなことより、ちょいと自分の顔を鏡で見てみるといい」
 すかさずラスターが手鏡を差し出してきた。そのとき、彼の手首にある腕輪の宝石が消えているのに気づいて、ノアは倒れそうになった。実際、少しふらついたかもしれない。
 手鏡に、自分の顔が映っている。しかし、特におかしなところはない。
「……顔に何かついてる?」
 ノアが恐る恐る尋ねると、コバルトとラスターは同時に叫んだ。
「顔色だよ!」
「顔色だ!」
 そこでやっと、ノアは自分の顔が土気色を通り越したひどい色になっていることに気がついた。ラスターとコバルトが喰い気味に叫んだ理由が分かる。
 コバルトは小瓶を取り出し、ノアに気づかれないように封を開けた。ラスターは黙ってその様子を見ている。立ち上った白い煙をふっ、とノアの方に吹き付けると、ノアのまぶたが下りた。
「少し寝た方がいいね」
「ノアには甘いんだな、あんた」
「あんな顔色の人間を起こしたままにする方がおかしいだろ」
「俺の事はたたき起こしたくせに」
 くにゃりと体勢が崩れるノアを支えながら、ラスターは唇を尖らせた。コバルトはそれを鼻で笑った。
「賢者の剣は定期的にブームが沸き起こる。そんなにデカい現象にはならないと思うが……まぁ手を打つに超したことはないだろうね」
「……できるのか?」
「やるんだよ」
 コバルトがラスターの胸部を小突いた。
「お前さんにしては随分と弱気だねぇ。ドゥーム派の連中の脳天ブチ抜いたときの威勢の良さを思い出してほしいくらいだ」
「脳天ブチ抜くだけで落ち着くなら簡単だな」
 ふん、とコバルトは鼻を鳴らした。 自分よりも体格のよい男を担いで運ぶのはなかなか骨が折れた。しかし彼はラスターにかけられた呪いを完璧に解除したのだから、重いだのなんだのと言っている場合ではない。
 ラスターはノアの部屋が好きだ。こんな状況下でなければ気まぐれに手を伸ばして、その先にある書物を紐解いていたことだろう。ベッドにノアを置いた(寝かせた、というより完全に「置いた」)ラスターは、長い長いため息をついた。カーテンを少し捲って、窓の外を覗いてみると無限に闇が広がっている。
 ――どうやら夜明けまで、まだまだかかるらしい。


賢者の剣 完


(「この傷の痛みには慣れてるからいい」と言い張るコバルトを、ノアはすぐに取っ捕まえた)


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)