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【短編小説】素晴らしき理想

 コバルトは基本的に地区の外に近いエリアには出てこない。地区にとっては地区でも、コバルトにとってあのエリアは地区とは言い難いからだ。だからコバルトはちょっと入り組んだ道の先の酒場とか、まだオープンしていない店の中とか、そういった難しい場所にいる。
「映画に出ていただきたいんですよ」
 そんな場所にまで追いかけてきた奇特な映画製作チームが、目の前で夢を語っている。


   素晴らしき理想


 監督を名乗る男は、コバルトが如何に素晴らしい役者であるかを語っている。その文言のほとんどすべてが有名な映画の台詞から引っ張ってきた類のものだったので、コバルトはうんざりしていた。この無名監督が作りたいのは感動映画だという。「見た目で差別をしない人の強い意志が起こした奇跡」という手垢のべったりついたお題から紡がれる物語もまた、垢まみれであった。
「君は虐げられてきた村人なんだ。ひどい目に遭い続けていたところで、一輪の花を受け取る。美しい村娘が君に花を捧げて、君は彼女に夢中になる。だけど結局、君は醜い怪物。彼女を思って身を引こうとするも、彼女の婚約相手がひどいクソ野郎というわけさ。君は彼女の幸せの為に、クソ野郎をぶっ飛ばす!」
 どう? といった様子でこちらを見る監督に、コバルトは気を失いそうになった。背後のカウンターではこの酒場・髑髏の円舞ワルツの店主が笑いをこらえている。なんらかの病による発作のようにも見えた。
「素晴らしいストーリーだ」コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
「それで、次は?」
 コバルトの皮肉は、映画監督には届かなかった。皮肉だと気付かなかったらしい。
「クソ野郎をぶっ飛ばした後の君は、やっぱり彼女の為に身を引くんだ。でも彼女は君を受け入れる。彼女が受け入れた君を村の人が受け入れない理由はない。ハッピーエンド!」
 コバルトは吐きそうになった。ちょうどフィンガーボウル(店主が気取って持ってきたものだ)があるのでそこに出してもいいとさえ思った。
「それで、俺にその怪物役をしてほしいと?」
 コバルトは、監督の後ろで控えている女優の方を見た。お世辞にも美人とは言えない。おおかた適当な田舎の村から一番見た目がいい奴を引っ張ってきたのだろう。
「そうです」
「何で俺が」
「そりゃあもう、イメージにピッタリだから! ねじ曲がった性格、怪物のような体格。そして何よりこの醜悪な顔! すぐにでも逃げ出したくなる恐ろしい見た目!」
 誰がどう聞いても悪口にしかならないと思うのだが、当の監督はこれを大真面目な誉め言葉だと思っているらしい。コバルトは服の上から銃に触れた。店主が出入り口のドアを施錠さえしてくれれば全員殺せる。その確認ができるだけでも心に余裕が出る。
「お願いします。お金はいくらでも出します」
 監督はアタッシェケースを取り出し、中身をちらっとコバルトに見せた。今更アタッシェケースにいっぱいの金に心が揺れるようなことはないが、それだけの覚悟があるという一点については素直に感心する。
「俺は情報屋だ、顔が売れることはしたくない」
「大丈夫。君の顔が実在するとは誰も思わないさ」
 どうもこの男の中では、「自分の映像作品にふさわしい外観をしている」のは大変すばらしい誉め言葉となっているようだ。コバルトは若干イラついてきた。よく見るとヒロイン役の女優はもうこの状況に飽きているらしい。
「仮に俺が出演すると決めたとして、それ自体に問題はないと?」
「勿論さ! 撮影メンバーにはそれぞれ素晴らしいポテンシャルを出していただけるように、最高級リゾートホテル・グレーティストアルシュのスイートルームを手配する予定だよ」
 呪文のようなホテル名にコバルトは聞き覚えがない。グレーティストアルシュの「アルシュ」はおそらく商業都市の意であろう。カウンターの方で何かをちらちら示す店主は観光雑誌をめくり、その最高級リゾートホテルの化けの皮を剥がそうとしている。
 コバルトは、最後の確認事項を告げた。
「俺がアンヒュームでも問題ないってことだな?」
「アンヒュームですって!?」
 主演女優が金切り声を上げた。
 アンヒューム。古代語で「愛のない者」を意味するそれは、生まれつき魔力を持たない者に対する蔑称。最近では差別的なニュアンスを含まない「ルーツ」という呼び名も広まりつつあるが、この世界で生まれつき魔力を持たないということはそれだけで被差別側に回る。
「私は嫌よ! アンヒュームと演技をするなんて死んでも嫌!」
 いつものコバルトなら「じゃあ死ぬか?」と言っているが、今日のコバルトは機嫌がよかった。
「そもそもこの辺りは、そのアンヒュームが死ぬほど住んでる場所だぞ」
 女の恐怖にガソリンを注いだ。
「もしかしたら、お前さんの魔力なんかとっくに吸い取られてるかもしれないな?」
 もう一丁おかわり。
 酒場の店主が苦虫を二十匹ほど嚙み潰したような顔をしたのが見えた。
 女は耐えきれなくなり、悲鳴を上げ、文字通り店から転げ出た。監督が「ああ、待って!」と言って彼女を追いかけ、それに続いて撮影クルーたちが走っていくのが見える(外で待っていたらしい)。
 コバルトはそんな彼らの様子を、指で作った四角形越しに眺めながら笑った。
「いい絵が撮れた」
 静かになった酒場で、コバルトはやっと新鮮な空気を吸えた。
「もう少し穏便に追い返せないのか?」
「あの女がヒステリックに叫んだだけだ、俺は穏便だったさ。しいて言うなら、数度銃を撫でたくらいか?」
 店主は「はぁ」と息をついた。もう何も言いたくないようだった。
「……ところで、連中は何の映画を撮ると言ってたんだ?」
 コバルトはいい値段のウイスキーを開けながら、店主に尋ねた。店主は入り口付近に置いてあったアヒルの飾りを直しながら(あの女が飛び出ていく際に、ドレスの裾に羽が引っ掛かったのだ)コバルトの問いに答えた。
「聞いていなかったのか? 見た目で差別をしないやつの自愛の心がどうのこうのと」
 店主はそこまで言いかけて、あれ? と勝手に疑問を呈した。コバルトはウイスキーを一口嗜んだ。独特の香りがぐん、と鼻の方へと抜けていく。
「だったら、主演女優が差別主義者レイシストじゃどうにもならないね」
 そして、喉をぐうぐう鳴らした。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)