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【短編小説】ただのやりとり

 雪だるまが来たのかと思った。
 寂れた酒場のカウンターでコインを数えていたコバルトはしばし固まった。暖炉の熱に耐えられなくなった肩の雪がぼとりと落ちた頃になって、コバルトは来客を指差して大声で笑いだした。
「お前さん、自分の姿をきちんと見た方がいいね!」
 軋む身体に鞭を打って、コバルトは来客のコートにへばりつく雪をはらってやった。紺色のコートだ。ぐっしょりと濡れているせいで、あまり暖かそうには見えないのが難点か。
「さっきまでは晴れていたんだ。急に吹雪いてきて……」
 フードを脱いだ来客――ノアは、手袋を脱いで雪をはたいた。コバルトはノアからコートと手袋を奪い取ると、暖炉の近くにそれを干した。
「この時期はいつだってそんなもんさ。それより、ラスターはどうした?」
「ラスター?」ノアは眼を白黒させた。
「何か用事?」
「いいや、お前さんはここいらに来るとき、大抵アイツと一緒だろう。一人でやってくるなんて珍しいと思ってね」
 コバルトはノアのコートと手袋を揺すった。雪の塊が気まぐれに落ちていく。
「うーん、まぁ、俺が君に用があって来たから」
「お前さんが? 俺に?」
 熱に耐えられなくなった雪がある程度床に零れたのを見届けて、コバルトはコートと手袋を揺するのをやめた。あとはほっとけば乾くだろう。
「そりゃ面白いね、折角の聖夜に一体何の用だい? 情報なら特別価格で提供してやろう」
「呪傷の治療に来たんだよ」
 今度はコバルトが眼を白黒させた。暖炉の炎がパチンとはじけた。
「前に、治せるって言ってそれっきりだったから」
「律儀なヤツだね」コバルトはにやりと笑った。
「大抵の傷はすぐに治せる代物じゃないけど……」
「ちょっと待った」
 いざ治療に入ろうと意気込んでいたノアの動きが止まる。コバルトの顔をまじまじと見つめて「どうして止めるんだろう」という表情をしている。コバルトはため息をついた。
「人の了承も得ずに服を脱がせようとするなんて、お前さんなかなか積極的だね」
「あ、え、ごめん。早く済ませた方がいいかなって思って」
「手順を踏むべきだ、ノア」コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「それとも、恋人と寝るときもそうなのかい?」
「俺、今はフリーだけど」
 コバルトが外套を脱いだ。筋肉質な身体はシンプルなシャツとズボンに包まれており、肩から呪傷の光が零れているのが見える。
「そりゃあ残念だ。俺がこんな見た目になってなけりゃ、お前さんみたいな男前ほっとかなかったんだがな」
「……ここの地区の人たちって、口説くのが好きなの?」
 服の隙間から傷の様子を見つつ、ノアが問いかける。コバルトはにやりと笑った。
「そういう連中が多いね。深い付き合いが許されない身の上だ、言い回しだけでもごっこ遊びをしたいのかもしれないが……よく分からん。なんせお前さんみたいなのはからかい甲斐があるから」
 ノアの指先に魔力が乗る。呪傷が僅かに共鳴して、耐えられる程度の痛みを生じた。
「痛かったら言って」
「痛いよ」
「分かった」
 ノアは変わらず、指を傷の上に這わせている。
「痛いって言ってるんだが、何もしないのかい」
「出力を下げたんだけど、変わらない?」
「あまり変わらないね」
 ノアの眉間に皺が寄る。想定外の反応だったらしい。
「……実は治せませんでした、ってオチじゃないだろうね」
「治せる、けれど……随分と深いみたい。俺の腕だと時間がかかるかも」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「他の医者ヤツに頼むより、お前さんの治療を待つ方が早いね。まぁ、お互い忙しい身だ、焦らずやるしかなさそうだが」
「先約を入れてもらえれば、俺はその通りに動けるよ?」
「肝心の俺がそうはいかない」コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「情報屋ってのは結構忙しいモンなのさ」
「……酒場でお酒を飲んだり、ラスターをからかって遊んだり?」
「おや、手厳しいね」
 コバルトは一瞬、言葉を詰まらせた。傷が痛んだのだ。
「一体誰の影響でそんなことを言うようになったんだか」
 ノアの口元が緩く弧を描いた。
「ラーヤ・ティリーウンかな」
「喜劇作家か」コバルトが喉をグウグウ鳴らした。
「だとしたらソイツに失礼だ、アレならもっとスマートな言い回しを……」
 コバルトが急に口をつぐんだので、ノアが少し跳び上がった。
「どうしたの? 痛い? 痺れが出た?」
「いや、違う……」
 コバルトの太い指が、呪傷の上をなぞる。
「痛みがない」
 ノアの眼を真っ直ぐに見つめながら、コバルトがそう告げた。
「一時的なものだけどね。呪術の類いの魔力を受けたりすれば、あっという間に元に戻っちゃうから気をつけて。……ひとまず、今日はこの位にしておこう。いつもと違う痛みや痺れが生じたら、すぐに教えて」
 気がつけば、ノアの額には汗が流れている。相当な魔力を消費したのだろう。僅かに上下する肩と荒い呼吸が体力の消耗を物語っている。
「お前さん、無理してないだろうね」
「平気だよ、このくらい」
 コバルトは少し黙り込んだ。
「口を閉じてた方がよかったかい?」
「ううん。俺はコバルトとのお喋り、好きだから」
 暖炉に干していたコートと手袋を取りながら、ノアはしれっとそう言ってのけた。
 コバルトが盛大にため息をつく。彼もまた、いつものコートを着ている途中であったが、その作業を中断して頭を抱え始める。
「お前さん、無自覚なタイプかい」
「無自覚?」
 コバルトはグウグウ鳴っている喉を無理矢理止めてかかっていた。
「いいや、いい。変に意識をされても困るからね」
 ノアのコートに小さな酒瓶を押し込んで、コバルトは上着を着込んだ。
「結構いい酒だ、口に合わなかったらラスターに押しつけてやればいい」
「ありがとう、コバルト」
「礼を言うのはこっちの方だ、ノア」
 コバルトは喉をグウグウ鳴らした。ノアは優しい笑みを浮かべたまま、ひっきりなしに降り続く雪の中へと出ていった。
 小さく、息をつく。
 自分を散々痛めつけてきた呪傷がうんともすんとも言わない。コバルトは眼を細めて、雪明かりに賑わう外を見た。脳裏に浮かぶ記憶が心臓の裏で嫌なくすぶり方をする。まるで依存症の患者のような動きで、コバルトは安酒の封を切った。そんなものを流し込んだところで、何もかもを忘れられるわけではないのだが……。
「もう少し、引き留めておけばよかったかもしれないね」
 その呟きは、炎がはじける音で消えた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)