見出し画像

【短編小説】僕に死に方を教えてくれたおじさん

 僕は死に場所に河川敷を選んだ。河川敷には大きな木が一本生えていて、そこでなら首を吊りやすいなと思ったのだ。人通りがまばらな朝、散歩だと適当なことを言って親を騙し、僕は河川敷に向かった。うっすらと霧が出ていたが、僕には関係のないことだった。僕は持ってきた紐でわっかを作り、死ぬ準備をした。そのときだ。
「なんだ兄ちゃん、あんた死ぬのか」
 僕はこの時悲鳴を上げそうになった。霧の向こうからぬぼっと出てきたおじさんは、この辺りに住んでいるホームレスだ。僕は「止めないで下さい!」と言ったが、おじさんはゲラゲラ笑いながらこう言った。
「止めたくなくても止めるさ、あんた、そんなチンケな紐ならちぎれるだろ」
「え……」
「それに、踏み台がない。あんたがしようとしているのは『木からぶら下げた紐のわっかに首を通す遊び』だよ」
 

 中学の頃、僕は不登校になったことがある。
 最初の頃は父も母も何とかして僕を学校に行かせようと躍起になっていたが、カウンセラー(か、何か)にもらったアドバイスを実践して、何も言わなくなった。僕にはそれが、諦めの一種のように見えたので心がざわついたのを覚えている。
 どうして学校に行けなくなったのか、僕はもう思い出せない。思春期特有の複雑な心情の変化が影響したのかもしれないが、もう覚えていないのだ。
 学校に行けなくなった僕は、部屋で勉強をしていた。もともと勉強自体は嫌いではなかったので、僕は自分で教科書を開いていた。分からないところはネットで相談した。ネットの人は僕が不登校だとは知らないので、皆親身になって僕に数学や国語を教えてくれた。優しい人たちだった。
 将来への不安がなかったわけではない。学校にすら行けない僕が、社会に出られるのかという疑問には誰も答えることができなかった。
 いっそのこと死んでしまおうかと思ったのはこの辺りからである。僕は外に出て死に場所を探したりした。夏が終わり、少し肌寒い秋のことだった。僕は河川敷を死に場所に選んだ。だというのに、手段についてはなんにも調べていなかったのだ。
 そして、場面は冒頭に戻る。
 僕は何だか恥ずかしくなって、泣き出しそうになった。おじさんは愉快そうな笑い方をして「よかったら教えてやろうか?」と言った。
 僕はおじさんの言っている意味をすぐには理解できなかった。
「死に方を教えてやろうか?」
 僕は呆気にとられて「いいんですか」と聞いてしまった。
 おじさんは僕の持っていた紐をひょいと取り上げると、あっという間に綺麗に結んでしまった。よく見る首つりの紐だな、と思った。
「こうやると解けにくくなる」
 僕はおじさんから、首を吊るための紐の結び方を教わって、あっという間に身につけてしまった。でも、僕はここで死ぬのは難しいなと思った。僕がもじもじしていると、おじさんはまた愉快そうに笑った。
「また死にたくなったらおいで」
 僕はその日、大人しく帰った。妙に気分がすっきりしていた。久しぶりに学校に行ってもいいかな、という気分になっていて、「学校に行く」と言ったら父も母も驚いていた。
 僕は僕が学校に行けなかった理由を覚えていない。友人は「久しぶり、覚えてる?」なんて言って僕をからかってきたし、授業も家で勉強をしていたから無事についていくことができた。ただ、僕の頭の中には首吊り結び(もやい結びというらしい)の方法がこびりついていたし、何か嫌なことがあったら死んじゃえばいいか、とぼんやり思っていた。けれど、そんな機会はそうそうなくて、細かい嫌なことはぽつぽつとあったものの、あの河川敷に足を運ぶことはなかった。が、ある日の夜、ふと、あのおじさんが死んでいたらどうしよう、と思った。
 僕に教えたようにして、おじさんがロープで首を吊っていたら……。
 僕はその嫌な予感を覚えた翌日、全速力で自転車を走らせて河川敷へ向かった。幸い学校は休みだったので、僕は最速でおじさんの安否を確認しに行くことができた。道中交通事故に遭わなかったのは幸いと言える。信号無視を二回して、車に撥ねられないということがあるらしい。
 少し霧が出ている河川敷に自転車を倒して(本当は停めたかったのだが勢い余って倒れてしまった)、僕は僕が首を吊ろうとした場所へとやってきた。首を括っている人はいなかった。僕はほっとしたけれど、いつもここにいるはずのおじさんがいないという事実にめまいがした。もっといい死に場所があるのかもしれない、おじさんはそこで死んでいるのかもしれない、と僕はやたらめっぽうに走り出した。
 結論を言うと、おじさんは河川敷に居た。NPOの支援を受けて、住居を借りて社会復帰を目指すことになったらしい。いつもの場所に居なかったのはそういうことだったそうだ。今日はハローワークに行った後、気分がいいので河川敷を散歩しにきたらしい。
 僕が血相を変えて走ってきたのを見てとても驚いていたが、地面にへたり込んだ僕を見て、愉快そうに笑った。
「死にたくなったのか? 兄ちゃん」
 僕はお尻に伝わってくる土の冷たさを心地よく思いながら、おんなじようにして笑った。笑いながら首を横に振った。目尻から涙が流れていった。

この記事が参加している募集

#熟成下書き

10,579件

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)