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【短編小説】焼けた夢 一日目(最終話)

 こちらの続きです。


 異変に気付いたのは、先に登校したラスターだった。
「元気ないな?」と話しかけても、アングイスは答えない。ラスターはノアが来るのを待った。学校の雰囲気を出すために、ノアは極力遅れて教室に来ることになっている。
「ラスター」
 しばしの沈黙を置いて、アングイスは口を開いた。そこで、ラスターは彼女が完全に覚醒したことに気が付いた。コバルトも同じだったようだ。ガラスの窓に近づいて、なりふり構わずこちらの様子を伺おうとしている。
「ワタシのお父さんとお母さんは、弟は、悪いことをしたのだろうか」
「……何で?」
 沈黙が下りる。ラスターはノアの気配を探った。なんとなくこちらに近づいている気がする。
「わ、ワタシだけが、魔力を持っていたんだ」
 その一言を聞いたとき、ラスターは警戒を高めた。嫌な予感がした。同時に、残念ながらよくある話だな、という準備ができた。
「アングイス」
 ラスターはアングイスの肩を掴み、彼女の顔を見た。
「無理してしゃべらなくていい。言いたくなかったら言わなくていい」
 足音がする。ラスターはノアを止めようとしたが、間に合わなかった。
「授業を――」
 ちょっと楽しそうなノアも、さすがに異常に気が付いた。ラスターの口元が動く。
 ――夢は終わりだ。
 ノアはアングイスのもとに近づいた。彼女はすんすんとしゃくりあげていた。
「アングイス、どうしたの?」
「……話をきいてほしい」
 ラスターがこちらに視線を向けた。慎重に、という指示である。ノアはコバルトの方を見た。彼は視線を合わせてくれなかった。代わりにシノが頷いた。
「分かった」ノアはその場に膝をついて、アングイスに視線を合わせた。
「教えて」
 アングイスはすんすんと泣いている。ノアはじっと彼女の言葉を待った。
「夢を見てたんだ」
 ノアは「うん」と相槌を打った。
「魔術学校に入った夢。おかしいんだ。先生がノアで、隣の席のクラスメイトがラスターなんだ。外の窓から校長のコバルトが授業の様子を覗いていて、ワタシは……とても楽しかった。算術の授業をしたり、歴史の授業をしたり、あこがれの初級魔術の授業も……でも、それは夢だったんだ。……ノア、ワタシは夢を見てたんだ」
 ラスターがそっとその場を離れようとしたので、ノアはジェスチャーで「そこにいてほしい」と告げた。ラスターはおとなしく席に着いた。
「でも本当は、本当はそうなるはずだったんだ。ワタシは魔術学校で勉強して、すごい魔術師になって、お父さんとお母さんにいい暮らしをさせてあげたかったんだ」
 唾を飲み込む。ノアはアングイスを見た。夢は終わっている。彼女は現実を見つめている。
「だって魔術を、魔力を持ってるのはワタシだけだったから! みんな魔力を持っていなかった! アンヒュームだったから!」
 ノアは慎重に息を吸った。ラスターが傍にやってきた。
「魔術学校の入学試験に合格して、さあいよいよ明日が入学式だ。文房具も用意した。……そしたら、家が火事になったんだ。忘れもしない! 夕飯を食べた後、部屋にいたら突然家が火だるまだ!」
 明らかに普通の火災ではない。おそらく、家を標的にして魔術の攻撃を仕掛けた輩がいたのだろう。絶句するノアの目の前で、アングイスはそっと手を動かした。そのまま、彼女は小さな何かを抱き上げた。
「弟だって……」
 ノアはそこに、すやすやと眠る赤ん坊の姿を見た。それはノアの弟が赤ん坊だった頃によく似ていて、ノアは思わず瞬きをした。
「こんなに、こっ、こんなに小さかったんだ! わ、ワタシが守ってやらなきゃならなかったのに! それなのに、それなのに、ワタシだけが生き延びた!」
 視界の端でコバルトが深く帽子をかぶるのが見えた。何かを隠すような動きだった。
「ワタシが魔術を勉強したいなんて言わなかったら、お父さんもお母さんも、お、弟だって死なずに済んだんだ!」
 ノアは、アングイスの手を握った。震えていた。ラスターは硬直したまま動かない。完全に驚きを隠せていないときの反応である。
「コバルト、どういうこと?」
 シノが警戒する。夢の輪郭が崩壊している。それ自体は良い。問題はその崩れ方だ。コバルトは返事をしない。おそらく、いや、確実に、余計なことを言いたくないのだ。
 しかしアングイスとシノには距離がある。下手に動くとアングイスの精神に影響が出る。彼女が夢に執着した理由を、できる限りここで知る必要がある。
「知ってることを教えて。あの子は何を話しているの? そうじゃないと、あたしがあの子を助けられない」
 コバルトは俯いたまま、口を開いた。傍に居る幻を司る精霊に宛てたものではなかった。
「……アンヒューム差別なんてごまんとあるが、ひどい連中は血筋まで気にする。アンヒュームの間に生まれた子供が、貴族を差し置いて魔術学校に入学するなんてあってはならないことらしいね。アイツの家はそれで、焼かれた。都市よりちょっとはずれたところにある、村というには規模がデカく、都市というには小さすぎる、半端な街にある家だ。父親は爆風で頭を打ち、母親は息子……アングイスの弟だね。それを連れて脱出しようとしたらしい。だが、露骨な放火だ。炎魔術を用いた殺戮は終わらない。勢いを増した炎に包まれながら、母親は弟が焼け死なないよう守ろうとしたが……」
「ダメ、だったのね」
 コバルトは深く頷いた。
「アングイスは母親の死体の下で守られていた、全身焼け焦げた弟を抱えて家の外に出た。見様見真似の治癒魔術で弟を治そうとしてたところに、通りかかったヤツがいた。そいつは暗殺者で……自分の敵がきな臭い動きを見せていたから調査に入ったばかりだった。そしたら急に家が大炎上だ。家の傍で、酷い火傷を負った少女ガキが、焼け焦げた赤ん坊の死体に治癒の魔術らしいものを展開させようと躍起になっている。気が済むまで魔力を浴びせたアングイスは、次に自分の両親を助けるために燃える家に戻ろうとした」
「…………」
「暗殺者はアングイスの腕を掴んだ。アングイスは暴れたさ。だけど暴れても暴れても、暗殺者はびくともしない。しまいに泣き出した。とっくにどうにもならないって分かってたんだろう。……暗殺者は犯人を殺してやった。自分の都合もあったが……まぁ、いろいろと思うところがあったんだろうね。それで、アングイスを一番魔術師から遠い場所……商業都市アルシュの地区に住まわせた」
「地区って……」
「アンヒュームの居住区域のことさ」
「本人はそれでよかったの?」
「家族もいなくて天涯孤独の身になったから、もうどこに住んでも同じだったんだろう。それに、魔術師をすっかり信用できなくなったアイツにとってアンヒュームのコミュニティはちょうどよかった。その後、独学で治癒の魔術やらなんやらを身に着けて、地区で医者をやるようになったのさ」
「……詳しいのね」
「地区に出入りする奴のことは、最低限調べるからね」
「本当?」シノは真剣な眼差しでコバルトを見た。
「まるで、あなたがその場にいたみたいよ」
 コバルトは答えなかった。
 あのときのように、アングイスは大きな声で泣いた。ノアがそっと彼女を抱きしめると、さらに声を張り上げて泣いた。
 ラスターが合図を出す。シノがコバルトの方を見る。コバルトは手をひらひらさせた。行ってこい、という意味だった。ノアは、ぼうっとしていた。話の意味は理解できたが、飲み込むことができなかった。
 気がつくと、シノが傍に来ていた。彼女がアングイスの後頭部に指を添えると、泣き声が徐々に小さくなり、いつしかそれは安らかな寝息となっていた。
「お疲れ様」
「……ありがとう」
 ノアはアングイスを離そうとはしなかった。代わりに、持っていたハンカチで頬の涙を拭いてやる。少し、微笑んでいるように見えた。



 教卓は解体され、ポスターはちぎられる。夢は終わった。この場所が教室である必要がない。コバルトとシノ、ラスターが原状回復をする中で、アングイスはノアの腕の中で静かに目を開いた。
「夢を見たぞ」
 起き掛け開口一番、そう言った。ノアは「おはよう」と告げて、彼女の言葉を待った。
「学校に行く夢を見た。そこではなんと! ノアが先生でラスターが同級生だった。それでな、こうやって……」
 アングイスの手のひらで、魔力がくにょくにょと動く。初級魔術の初歩の初歩。
「魔力を粘土みたいにして……遊ぶんだ。楽しかったな……」
 ノアの腕の中で、アングイスは「ノアもできるか?」と聞いてきた。
「うん」
 ノアも同じようにして、魔力を動かした。手先の器用さは人並み以下だと自覚があるので、不格好な犬ができた。
「それ、なんだ?」
「犬のつもりで作ったんだけど」
「犬!?」
「うん。変かな?」
「ノアは犬を見たことないのか?」
「あるよ」
 ノアお手製のイヌモドキがぱっとノアの手から降りて、「わんわん!」と元気に吠えた。
「なるほど、知識としてはあるんだなぁ……」
 そう言って、アングイスは二度寝に入ってしまった。結構疲れているらしい。ノアとラスターも、夢での冒険の後は普通に二度寝した。シノの勧めもあった、というのもあるが。
「……代わるか?」
 かれこれ数時間、ずっとアングイスを抱き続けているノアに、ラスターが問う。
「お願いしていい?」ノアは苦笑した。
「ずーっとこのままだったから、いい加減腕が疲れてきて……」
 ラスターも笑った。そして、小柄な少女の体を抱き上げた。
「アングイスのアパートに行くか。みんな休みたいだろ」
 ノアが賛成、と告げる一方で、シノは「あたしはいい」首を横に振った。しかし、ノアがそこに割って入る。
「シノが一番疲れてるんじゃない? ここ最近、ずっと忙しかったでしょ?」
「だろうな」ここぞとばかりに追撃したコバルトは、さらに続けた。
「あくびは多いわずーっと眠そうだわ、それで疲れてないってのは気づいていないバカか嘘が下手なマヌケかのどっちかだぞ」
「いちいち言葉に棘が多いのよ、あなたは」
 どうやら否定はしないらしい。それもそうだ。魔物の影響で夢に閉じ込められた人々のアフターケアをこっそり続けていたのなら、相当な疲労が蓄積しているに決まっている。
「まぁ、仮にアパートに行くとして……鍵はあるの?」
「アングイスが持ってるだろ」ラスターはアングイスの服のポケットをまさぐった。
「ほら」そう言って、小さな銀のカギを取り出した。
 教卓を作っていた最後の木箱が寄せられると、ありふれた地区の空間が戻る。終わった夢を踏みしめながら、ノアたちはその場を後にした。



 蛇は夢を見ていた。
 教室には、自分。隣の席には同級生のラスター。
 窓には校長先生のコバルト。そのとなりには教頭先生……綺麗な女の人。
「授業を始めますよ」
 担任のノア先生が、教卓で声を張る。
「今日は初級魔術の勉強をしましょう――」
 おかしいな。アングイスは笑った。そうして一人呟いた。
 あんまり似合ってないぞ、と。


 焼けた夢 完

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)