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【短編小説】在庫三冊の人

 呆れるくらいに眩しい星空の元、焚き火を眺めながら私はぼんやりと今までのことを思い出す。
 その人の通販告知はいつも「在庫が三冊あります」から始まった。彼女(アイシャドウがどうの、というツイートをしていたので女性だと判断していた。その推察は後になって正しいということが分かった)はオリジナルの物語を五十冊くらい出していて、私はその全てを購入していた。イベントに行ければ一番よかったのだろうけれど、イベントの開催日程とシフトが上手くかみ合わず、私はいつも「通販ありがとうございます」という簡単な挨拶を添えながら新刊の注文をしていた。
 その人の本は、悪く言えば平坦だった。シナリオに盛り上がりはなく、終盤で驚くような急展開もない。ただ、心のどこかにぽっかりと空いた穴の存在を愛おしいモノとして見せてくれるようななんともいえない優しさがあって、私は彼女の本が好きだった。彼女の本はいつも三冊だけ売れ残って、フォロワーは彼女のことを「在庫三冊の人」なんて呼んでいた。彼女も彼女で今までのハンドルネームを捨てて「在庫三冊の人」とツイッターで名乗っていた。
 彼女が五十一冊目の本を出したとき、私はやっと初めてのイベントへと参加することができた。私は絵も描けないし、小説も書けないので本を出す側には回れない。一般参加者として「在庫三冊の人」と出会ったときの感動はとても言い表せなかった。在庫三冊の人のスペースには新刊が数冊置いてあって、過去の本に関してはメニュー表みたいなものが置いてあってそこから選ぶ方式だった。私は「在庫三冊の人」と挨拶を交わし、生まれて初めて彼女の本を彼女の手から直接受け取った。一刻も早くここから帰って本を堪能したいと思う私に、「在庫三冊の人」が声をかけてきた。
「トンカチ(私のハンドルネームだ)さん、この後少し、手伝っていただけませんか」
 だからこうして、私は今、「在庫三冊の人」の本が燃えるのを眺めている。
 なんのことはない。彼女の在庫が常に三冊だったのは、自分用に一冊、私が購入する一冊、それ以外に売れる機会がなかったからだ。通販告知がいつも「在庫が三冊」から始まるのは、「私」はいつも必ず彼女の本を買うからだった。事実上の取り置きだった。
 お気に入りの印刷所の最小ロットが五冊だったので、在庫三冊の人は嫌顔でも五冊は刷らねばならなかった。在庫が三冊なら管理はできる。しかし、それも積み重なればとんでもない量になる。五十一に三をかけ算すると、できる数字はいくつになるのか。あんまり考えたくなかった。
「後で、いいなって思った人が購入する可能性もあるんじゃないんですか」
 私がそう言っても、彼女は首を横に振るだけだった。
「それじゃあ遅すぎるのよ」
 彼女が炎にくべた三十二作目の短編集に収録されている作品を思い出す。それだけでなんだか泣けてきた。
「ゴッホみたいに、後になって評価されるかもしれないじゃないですか」
「評価がほしい訳じゃないのよ。ただこの本が必要とされていないだけ。それだけなの。それに――」
 彼女は三十三作目の短編集を火にくべた。表紙に描かれているのは前作で結ばれた高校生カップルのイメージ絵だ。「在庫三冊の人」本人が手がけた表紙だった。
「私がいなくなってからこの作品たちが評価されるっていうのも、何だか癪なの。むなしくなっちゃうの」
 火かき棒で自分の本をぐりぐりと混ぜながら、「酷い人間よね、私」と呟く「在庫三冊の人」は、まさに彼女の物語に登場する「私」そのものだった。
 私は鼻をすすった。彼女の在庫が全て灰になったという事実を、別に私が知っておく必要はどこにもないはずだ。私が愛した本が三冊ずつ炎に包まれて消えていくのをわざわざ見せつける理由を彼女は「けじめをつけたくて」と言っていた。ごめんなさいという言葉も聞いた。私は彼女を身勝手だとは思わない。彼女の行為を自己満足だとも思わない。彼女が伝えたかったことは、もうこの世で彼女の本を読むことができる人間がいないこと。ただそれだけを、ご丁寧に、回りくどく、伝えたかっただけなのだ。
 ぐずぐずと泣き出す私の頭を「在庫三冊の人」は撫でてくれた。コーヒー飲む? という問いかけに私は頷いた。彼女の情熱がくべられた炎で沸かしたコーヒーはいったいどんな味がするのだろう。
 彼女はコーヒーの準備をしながら、もう二度と本を出さないと言った。私はそれでいいと思った。ただ、あの問いかけだけは、「かくのもやめちゃうんですか?」という問いかけだけは……恐ろしくて口にすることができなかった。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)