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【短編小説】物書き讃歌feat.ユラ

 文章が書けなくなった。
 僕は別に売れっ子作家でもなければ、大手の同人作家でもない。僕が文章を書けなくなったところで、困る人は誰も居ないのだ。しかし僕にとって文章を書くというのは人生の一部であり、生命活動において必要なプロセスの一つだった。僕は文章を書けなくなったことを色々な人に相談したが皆冷たいものだった。
「文章が書けないくらいで、難儀なヤツだな」
 と言って笑ってきたヤツとは、諸々積み重なっていたものがあったので縁を切った。ただし彼の言うことは正しい。多くの人間が物を書くこととは無縁だと言うのに、僕はそうしなければ生きていけないのだから。
 僕は思いきって色々なことをしてみた。普段行かない道を歩いたり、普段行かない店に入ってみたり、普段は決して購入しないであろうものを買ってみたりした。けれども僕の創作意欲はちっとも見向きをせず、死んでしまったかのように動かなくなってしまった。僕は書かなければ生きていけない人間だ。僕は僕の価値を執筆によって見いだしていた。それが世間に評価されようがされまいが、僕は小説が書けるぞ、という唯一絶対の事実だけが、僕をこの世界に留めておく力であり理由であった。

 僕は結局、何もアイディアが思い浮かばないままに今日もこのプラットフォームへやってきた。ここは絵、小説、音楽――そういった芸術に携わる人々が自分の作品を発表できるSNSだ。僕はここ以外のSNSを活用したためしがないので「ここだからこそ、できること」というものを知らない。ただ、ここには作ることそのものが好きな人たちが集っていて、それが僕にとってとても居心地のいい場所であるという事実は変わらない。
「今日も一日、お疲れさまでした」
 ログインした僕を真っ先に迎えてくれるのはAIナビゲーターのユラだ。このSNSは作ることを少しでも楽しめるようにこういった工夫がしてある。
「今日のテーマはこちらです」
 ユラは僕に、テーマジャンルのハッシュタグを見せてくれる。「思い出の給食」「名前の由来」……多種多様なテーマが並ぶのを見ても、僕の創作意欲はうんともすんとも言わない。
 ユラは銀色の髪を揺らしながら、僕の反応をじっと待っていた。彼女のSFファンタジー風の衣装は季節によってデザインが変わるが、今は春らしいワンピースになっていた。
「文章が書けなくなっちゃったんだ」
 僕の呟いた声は、マイクを通じてユラにも伝わる。こう言うとユラは大抵「では、こちらのテーマはどうでしょう」とか「他のユーザーが書いた文を読んでみましょう」とか言って、頑張って何かしら書けと返してくる。まぁそれもそうだ。SNSにとってはユーザーに使われない、というのは致命的なことだからだ。
 しかし今日のユラは違った。彼女は僕のことをじっと見つめて、少し考えてからこんなことを言った。
「それでは、少し休んでみましょう」
 このときの僕の驚きを皆は分かってくれるだろうか? 僕は一瞬、本当に一瞬呼吸の仕方を忘れた。心臓は鼓動の刻み方を忘れ、胃は昼飯のサンドイッチを如何すればよいのか忘れた。僕の世界で時が止まったかのようだった。しかし現実の秒針は音を鳴らし、どこかで救急車のサイレンが聞こえる。
「君は……」
 僕のふにゃふにゃな呟きに、ユラはきちんと答える。
「私はユラ。あなたが創作活動という人生を楽しめるようにするためのナビゲーター」
 僕はこのとき、少しおかしくなっていたかもしれない。
「もう二度と、僕が文章を書けなくなったらどうする?」
 そんな質問をナビゲーターに問うたのだ。僕はこのとき、大した期待を持っていなかった。むしろ小馬鹿にするようにして尋ねたのだ。しかしユラは、本来ただのプログラムでしかない彼女は、僕の問いを真っ正面から受け止めて誠実な答えを返してきた。
「そう思い悩む者は必ず帰ってきます。そしてあなたが再び何かを書けるようになるまでどれだけ年月が経たとしても、あなたがものを書くための場所は消えてしまったりしません。なぜなら私がそれまで、この場所を守り続けるからです」
 僕はユラの設定を見た。何度見てもAIナビゲーターと書いてある。現代の科学技術というものはここまで進歩していただろうか?
 しかし僕には、ユラの言葉を遮ったり、ユラの口を塞ぐという選択肢はなかった。僕は自分の部屋の、淀んだ空気の塊のような世界でじっと彼女の言葉を聞いた。
「あなたが今までに書いたおおよそ三千二百の文章は、あなたが消さない限りはここに残ります。私たち・・はそのページを時折捲りながら、あなたが再び筆を執るのをのんびり待ち続けることでしょう」
 僕はじっとユラの言葉を待った。ユラにもそれが伝わったらしい。
「私はあなたに期待をしません。あなたが戻ってくるという期待はしません。しかしこれは決して絶望ではないのです。私は仮にあなたが戻らなくても怒りません。あなたを責めたりはしません。何故と叫んだり、裏切り者と罵ったり、そういったことはしません。それが期待をしないということです」
 僕は震える声で「ありがとう」と言った。ユラのアバターが僅かに微笑んだ気がした。
「しかし同時に、私は貴方を信じます。あなたが戻ってくると信じます。あなたが再び筆を執ることを信じます。新着作品のエリアにあなたの文章が並ぶことを、湧き上がった創作の衝動に駆られたあなたが、生き生きと文章を紡ぐであろうことを信じます」
「それでも、僕が……本当に、僕が……どうにもならなくて、書けなくなったらどうするの?」
 ユラは、微笑みを崩さずに答えた。
「創作者は特に、できなくなることに不安を覚えやすいのです。一日二日書かなかっただけで『二度とかけないのではないか』と怯えます。それは間違った反応ではありません。今までできたことができなくなるということに、不安を感じるのは当然でしょう」
 僕は頷いた。ユラは微笑みを絶やすに、僕に語りかけている。
「人間の赤ん坊は歩けるようになったのなら、ほとんど這って移動することはなくなります。しかし、それは這うことができなくなったというわけではないでしょう? あなたはあなたが必要なときに筆を執り、そうではなくなったときに筆を置けば良いのです」
 そうか、と僕は思った。我ながら単純ではあるが、ユラの話は僕の中にすとんと落ちていったのだ。
「ありがとう、ユラ。僕は少し休むことにするよ」
 しかしその前に、僕には書かねばならぬものがある。僕は文章の投稿編集画面を開いた。ユラはじっと僕のことを見つめていた。
「今の、話! まとめてもいいかな」
 ユラはいつも通り、「自由に書いてみましょう」と答えた。

 ――僕の手元から、タイピングの音がする。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)