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【短編小説】ティニアの花とキュローナ村のひみつ #2

 変わり果てた噴水の姿にノアもラスターも唖然とした。澄んだ水は黒く濁り、集まった村人たちは茫然とその場に立ち尽くしている。噴水の中では「我々の勝利だ、村は今すぐ花以外の環境保全に目を向けろ!」と叫んでいるバカがいる。
 手に持っているのがペンキだと分かった瞬間、ラスターが飛び出していた。皆が呆然とする中で真っ先に我に返ったとはいえ、彼は冷静ではなかった。

 ノアははっとして、噴水の動きを見た。水は上がっている。空めがけて黒い水を放っている。つまり噴水は今も動いていて、黒い水を垂れ流し続けている。
「×××!!」
 ラスターの罵声が聞こえた。彼は耳をふさぎたくなる類の言葉を大衆の前で叫んでいた。
「な、なんだ! 我々を誰だと――」
「この噴水が何に使われてるのか分かってこんなバカなことをやってるのか!?」
「それがどうした、我々は自然環境を守るための活動をしているのだ。魔物を呼び寄せる水にこの薬品を投げ込むことで、本来の生き物たちが安全に暮らせるように」
「だからこの薬をぶちまけたのか?」
「それがどうした? 毒性は浄化装置で――」
「この噴水装置で整えた水が直接自生地に流れ込んでるんだよバカが! 花以外ももれなく全滅だ! 今頃魚やカエルが腹見せて浮いてるだろうよ、魔物の抑制にはなんの役にも立たないしな!」
 ラスターと活動家が怒鳴りあう声を聞きながら、ノアは噴水の中に入った。近くで何か重いものが噴水に突き落とされる音がした。どうやらもみ合いになったラスターと活動家が落ちたらしい。
 噴水は想像より深くはなかったので泳ぐ必要はなかった。とはいえ、装置が格納されているところまで行くのに膝上までガッツリ浸かってしまった。心なしか服が黒く汚れた気がするが、そんなことを言っている場合ではない。
 小さな扉が目につく。これ見よがしに鍵穴がある。一縷の望みをかけてノアは扉を開けようとするが、案の定鍵がかかっている。こういうときはラスターの出番だ。が、彼は今環境活動家の胸ぐらをつかむのに忙しい。ノアは軽い謝罪を心の中で唱えながら、鍵を魔術で破壊した。
 扉を開くと魔術装置があった。……ティニアの花を守るためなのだろう。装置の構造は異常に複雑で、ノアにどうにかできる類のものではなかった。ノアはぱっと顔を上げたが、噴水の中も外も殴り合いの喧嘩の真っただ中。水を止めようにも装置の扱いを知っている人間がここに来なければどうにもならない。ノアはやたらめっぽうに装置に触れてみるが、バチリ、と強い衝撃に思わず手が跳ねる。強烈な静電気を思わせるそれは魔力によるものだ。
「装置を、誰か装置を止めてください! 水を止めないと花が――」
 ノアの言葉は続かなかった。環境活動家の一部がこちらに押し寄せてきたのだ。冷静さを欠いた頭は水を止めることばかりを考えていた。花を滅ぼしたい連中に自身の存在を気づかせるべきではなかったのだ!
「部外者め! させないぞ!」
「あの花のせいで消えた動植物のことをしらないのか! この噴水ができてから魔物が増えた! 近隣の村はみんな消えた! 魔物が増えすぎて手に負えなくなったからだ!」
「っ!」
 ノアは魔術で彼らを押しのけた。さすがに市民相手に剣を抜くわけにはいかない。そうこうしている間にも汚れた水はどんどん放出されている。活動家たちは「私たちは負けない!」と叫びながらノアに迫った。その異様な迫力に、ノアは思わずあとずさりした。
「水を止めないと、君たちの守りたい動植物だって死んでしまう!」
「救済に犠牲はつきものだ!」
「狂ってる……!」
 村の職員たちが何とか噴水に近づこうとするが、活動家たちが決死の覚悟で彼らを阻止している。ノアは装置の方を見た。自分が何とかしなければ水は延々と出っぱなしだ。ラスターもラスターで活動家相手に苦戦しているようだった。その気になれば全員ぶちのめして装置に接近することも可能だが、こんなに人目についている状況下で人を殺す選択肢を取ることはしない。
「誰か、水を止めてくれ!」
 ノアが呼びかけをせずとも、水を止めようとする人々はいる。しかし活動家たちの邪魔によって誰一人として装置に近づけないのだ。ノアは何度も叫んだ。水を止めろと。耳を澄ませると他の人も同じ言葉を叫んでいるようだ。悲鳴が上がる。いよいよ耐え切れなくなったラスターが活動家を一人ぶんなぐって気絶させたらしい。
「水を止めて!」
 言われなくとも、と彼の唇が動く。だが活動家たちもバカではない。人を平気で殴れる相手を脅威と思うのは当然だ。ラスターへのマークが厳しくなり、ふくよかな女が一人ラスターの腰に抱き着いた。そこにラスターの肘が突き刺さる。ひどいありさまだ。
「水を――」
 もう何度同じ言葉を繰り返したのか分からない。その時だ。
「止めれば、いいんだな?」
 ノアに応えた声の主が、噴水装置を一瞬で氷に閉ざした。
 まるで花が咲いたかのようにして氷に閉ざされた装置は、当然水を流す能力を失う。ノアたちが入り込んでいる足元の水たまりはそのままだが、みるみるうちに温度が下がっていくのが分かる。耐え切れなくなった何人かが慌てた様子で飛び出ていく。いよいよ水面がうっすらと凍りかけたその時、噴水装置のてっぺんに影が下りる。
「早急に外へ出るとよい。じきにその水も凍る」
「凍りたいっていうなら止めないけど」
 ラスターが「あら、懐かしい顔」と呟いた。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)