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【短編小説】斬釘截鉄 #1

 真っ赤なオレンジのゼリーが、日の光に当たってキラキラと輝いている。ラスターは感嘆の息を吐いて、ノアはそれを見てにっこりと笑った。
「ラスターのそういうところ、ほんとに好きだなぁ」
「ゼリーで嬉しくなっちゃうところが?」
「身近なものを楽しむ感性を持ってるところ」
 そう語るノアの手元でも、ブドウのゼリーが同じようにして輝いている。二人は商業都市アルシュのカフェで、まったりと至福の時間を過ごしていたというわけだ。
「これが終わったらまた例の事件の調査をする必要があるんだし、こういうところで幸せ感じないとやってられないって」
「……そうだね」
 平和がゆったりと流れていく。この時間が一生続けばいい。
 ノアが写真を取り出す。ここ一週間で次々と行方不明になった二十人の住人達――大半が戦闘経験豊富な魔物退治屋や情報屋の類である――の一覧だ。ギルド側も地区の情報屋も徹底的に捜索を進めているが一向に居場所が明らかにならない。死体になっているのではないか、と言い出したものもいたが、だとすれば何故彼らが殺されたのか? その理由が分からない。被害者である二十人には「戦闘慣れしている」以外の共通項がなく、魔術師もアンヒュームも等しくどこかに消えてしまった。
「そんなのしまっておけよ、少し息抜きしないとあんたが倒れるぞ」
「そうなんだけど……」
 言葉を濁すノアの手から、ラスターは写真を取り上げる。鮮やかな動きだった。
「ゼリー食ってから考えようぜ。な?」
「……うん」
 ノアの視線がおとなしくゼリーに向かったので、ラスターは安心した。が、
「ここがお前のおススメってこと?」
 この場にあまり似つかわしくない大声が、店全体に響き渡った。
 すかさず「あらやだ、お里が知れるわ」と小声で茶化すラスターだったが、ずんずんと歩を進めてきた男の後ろに見知った姿を目に捕えた瞬間、そのまま固まってしまった。その隙をついたノアが動く。
「やあ、アカツキ」
 男の背後にいる見知った顔に声をかける。アカツキは「あ、」と少し驚いた顔をした。
「おっ、知り合いか?」
「はい。俺は――」
 ノアが自己紹介を繰り出そうとする前に、男は大声で笑った。
「なんだ、いねむりアカツキにも人間の友達ができたんだな!」
 男はそう言って、アカツキの背中をバンバン叩いた。
「そりゃあ、おれだって友達の一人や二人くらいいるっての」
「声のトーンを落としてもらえる?……まず、外に出ようか」
 ノアはアカツキと大男に退店を促す。視界の端でラスターがゼリーを急いで食べているのが見えた。店員が涙目で頭を下げてくる。可憐で小柄な女性店員が、あの大男に「出ていけ」と言うのは相当難しい話だ。
 アカツキもノアも決して体格が小さいわけではない。だが、大男はノアを見下すことができるくらいの身長で、追い付いてきたラスターが十五歳手前程度の体格に見える。
「俺はノア。商業都市アルシュを拠点に活躍する魔物退治屋。こっちは相棒のラスター」
 ラスターはぺこっと頭を下げる。大男はやはりガハガハ笑いながら自己紹介をした。
「俺はシラヌイ。精霊族でいねむりアカツキとは旧知の仲だ」
 シラヌイはそう言うと、アカツキの背中を叩いた。
「それやめろって前から言ってるだろ」
「そうだったか?」
 ガハハ、と豪快に笑ったシラヌイは、おまけと言わんばかりに再びアカツキの背中を叩く。
「それで、お二人はどうしてここに?」
「旧友との再会を祝して飯に行こうと思ったんだが、どこも店員の対応が悪くて困っていたところだ」
 アカツキがぽつりと何かを呟いた。が、シラヌイの声が邪魔で聞こえない。
「話をしたいのであればもっと、大衆酒場とかの方がいいかもしれないね。こういうお店は大声でしゃべるのには向いてないと思う」
「別に怒鳴りあいをしているわけではないというのに、人間はいちいち細かいのう」
 ぶつぶつと文句を言うシラヌイを、アカツキは冷めた目で見る。
「日輪島でも同じ調子だったじゃないか、人間がどうのこうのの問題じゃないだろ」
「お前も細かいなぁ!」
 シラヌイがアカツキの背を叩く。もうアカツキに怒る気力は残っていないらしい。
「まぁ、今更こういう扱いについてどうこう言うつもりはないから安心してくれ」
 ガハハ、とシラヌイは豪快に笑う。そして、またアカツキの背を叩こうとした、が、アカツキはひょいとその場から飛びのいて、シラヌイの手を回避してしまった。
 ノアは何かを言いかけようとして、やめた。何を言いかけようとしたのか分からないが、何か妙な違和感が膨れていたのは事実である。
「お前さぁ、もう少し自分の振る舞いを治そうとか思わないのか?」
 アカツキは頭をぼりぼりと掻きながら、背後を気にした。先ほど分かれたノアたちのことが気になるわけではなく、すぐ傍にある手が気になるのだ。
「どういう意味だ?」
「分からないのか? 周りを見ろって言ってんだよ」
「何を言う」
 シラヌイは歯をガチガチ鳴らした。
「俺はずっとこういう生き方をしてきたんだ。そうして不便がない。お前もそうだろう?」
「…………」
「日没で眠ったお前を姉の下に運んだのはこのシラヌイだ。もしも俺がいなかったら、お前は今頃獣に食われて死んでいたかもしれない」
 アカツキは目を細めた。
 日没が近づいてきている。もうじき空の半分が藍色に染まり、海の際が強烈に赤くなる。
 精霊族の子供たちが騒いでいる声がする。
 一人が「もう帰らなきゃ」と叫んだ。
 しかし他の二人は「大丈夫だよ」「まだ平気」と言って笑う。
 帰りたがっている子供はいよいよ泣きそうになっていたが、二人はけらけら笑っているだけだ。空が揺らめき、日の淵が徐々に、徐々に、隠れていく。いよいよ太陽が消えたその時、帰りたがっていた子供がぱたりと倒れた。
「いねむりアカツキだ!」
 子供たちが笑った。
「いねむりアカツキが眠ったぞ、逃げろー!」
 遠のく意識の向こうで聞いた声が、無関係の異国でも同じようにして思いだせる。
「な? そうだろ?」
 シラヌイががはは、と笑う。
「そうだな」
 愛想笑いの奥で、思い出がチクリと胸を刺した。
「……食事処を探しているのなら、いい場所を紹介するよ」
 ノアがそう言って携帯用の地図を開いた。
「大衆酒場『がっつり』はどう? 名前の通りスタミナ満点のご飯が楽しめると思うけど」
「そこは昨日行ったが、あまり美味くなかったな」
「揚げ物は苦手?」
 ノアの手が地図の上で動く。
「食事処『あおぞらごはん』はどうかな。商業都市アルシュの家庭料理がメインで、日替わり定食がおいしいよ」
「商業都市の家庭料理って煮込みだろう? 俺はあまり好きじゃない」
「アマテラス料理屋もあるよ。この『日輪食堂』は最近話題になってたと思う」
「そこはダメだ。すさまじい行列が伸びていてとてもじゃないが食事ができるような場所ではない」
 いよいよラスターが長い溜息をついた。「その辺で握り飯でも買って原っぱで食えば?」と言いたいのをギリギリで堪える。ノアはその間に追加で三件ほど飯屋を紹介していたが、シラヌイは全部適当に言い訳をして拒否。そろそろノアのお食事ガイドブックができるのではなかろうかと思ったところで、ノアが切り札を出した。
「ここはどう? おいしいお酒と個性的な料理の名店。酒場・髑髏の円舞ワルツ
 ふむ、とシラヌイが興味を示す一方、ラスターは倒れそうになった。あそこは酒を飲む場所であって飯を食う場所ではない。
「悪くなさそうだ。いい情報を感謝する」
 シラヌイはそっぽを向いていたアカツキの腕を掴む。そしてノアの背を思いっきり叩きながら「いざ行かん、髑髏の円舞ワルツへ!」と声高々に宣言する。道行く婦人が何か奇妙なものを見つけたかのような顔でこちらを見ている。
「あんたの友人、ずいぶんと過激だね」
「……別に」
 アカツキは目を合わせずに、傾き始めた太陽の方を見つめていた。
 どのみち、遅い昼飯だ。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)