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【短編小説】日々の変化へ

こちらの後日譚です


 緊張していないといえば嘘になる。
「ぱすてるドリーム」という店の存在は知っていた。「みんなのあこがれ、ゆめかわいいおかしやさん」をコンセプトにした菓子屋である。イートインコーナーもしっかり用意されており、そういうのが好きそうな女性客でいつもにぎわっている。
「他のお店の方がよかったかしら」
「いや、全然問題ないよ」
 シノがわざわざこの場所を指定してきたということは、何かしら意味があるのだろうとノアは思った。実際、周りを見てもギルドで見たことのある顔がない。関係者と極力出会わないであろう場所を選んだと思われる。
「この前の件、ごめんなさい」
 ロールケーキとホイップココアを載せたトレイをテーブルに置きながら、シノは早速話を切り出した。
「この前の?」
 ホイップココアを受け取りつつ、ノアはシノの顔を見た。シノもノアの顔を見た。
「新人教育。あたしがお願いしてなければラスターだって必要以上に傷つくことなかったでしょ」
 ほんとはあなたじゃなくてラスターをお誘いすべきだったんだけど、と呟いたシノは席につき、ロールケーキにフォークを入れた。ふわふわの生地は思った以上にすんなりと切れていく。
「大丈夫。結果的になんとか上手くまとまったから」
 ノアも席について、ホイップココアにスプーンを差し入れた。大きなマグカップの上にこれでもかとホイップクリームを載せたココアは、ゆめかわいいとは少々ベクトルが違う気がする。
「でも、アンヒュー……」
 シノはそこで一度口をつぐんだ。そして言い直した。
「ルーツだってバレる前には戻れないわ」
 ノアはなんといえばよいのか分からなかった。ラスターなら大丈夫だと伝えたいが、それを判断する権利はノアにはない。
「俺が、もっとラスターのことをきちんと知っておくべきだったのかなって思ってる」
 代わりに、そんなことを言った。シノは微笑んで「誠実ね」と一言答えてから、まっすぐにノアを見つめながら続けた。
「その人とうまく付き合うのに全てを知る必要はないわよ。現に、あたしはあなたと仲良くやってるつもりでいるし、あなたもあたしと仲良くやってると思ってるだろうけど、あたしはあなたのことを知らない。何が好きとか何が得意とか。どこでどんな生活をしていたとか。あなたもそうでしょう? あたしがどこから来たのかなんて、せいぜいアマテラスから来たんだなってことくらいしか推測できないでしょ」
「それは確かに、そうだけど……」
「あなたにも、他人には絶対言えない秘密があるでしょ。あたしだってそうだもの」
 外のテラス席から悲鳴が聞こえたのはこのときだった。ノアが窓の外に目をやると、カラスの魔物が手すりにとまって、こちらをじっと見つめている。
「知り合い?」
 シノがそんな質問を投げてきた。ノアを見つめる三つ目のカラスは足をくいと上げた。手紙が括り付けられている。「はずせ」と言っているようだった。
「いってらっしゃい」
 ちゃっかりノアのホイップココアを飲みながら、シノがそんなことを言った。
「ありがとう、ごめん。行ってくる」
 ノアが外へ出たとき、テラス席はちょっとしたパニック状態だった。三つ目のカラスは非常におとなしく、多少の攻撃を受けても平然としていた。
 ノアは慎重に、カラスの足の手紙をほどいた。広げた紙には青のインクでたった一言。

 ――ついてこい。

 黒い翼が、空を飛んだ。

 ノアの視界に入るように飛び続けていたとはいえ、自由にルートを取れるカラスを追いかけるのは結構難儀であった。なんとなく「地区に向かっているのだろうな」という予測ができたのが幸いではあるが、地区に入って少ししたらカラスは姿を消してしまった。
 その理由はすぐに分かった。近くでラスターと見知らぬ男が何やら言い合っている。
「そもそも冷静に考えてみろよ。ああいうのは、魔術師界隈に居場所がないから俺たちアンヒュームに媚びを売るしか芸が――」
 ノアは思わず物陰に身を隠した。心臓が妙な跳ね方をした。おそらく、彼はラスターを誘おうとしているのだ。自分と組まないか、という形で。
「その点俺はお前と同じアンヒュームだ」
 ラスターの声だけが丁度聞こえない。何かを言っていることと、彼の機嫌が悪いことだけは分かる。そして、勧誘する男の言い分は大体あっている。
 別に誰かを助けたいわけではない。それで満足したいわけではない。ノアが挨拶をしたとき、「ああ、カルロス・ヴィダルの息子だな」という色眼鏡をかけない相手がたまたまルーツコミュニティの面々で、ノアはそこに居心地の良さを感じただけではある。逆に言えば「魔術師界隈に居場所がない」というのもあっているのだが。
 今のラスターなら、渡りに船と言わんばかりにノアの手を振りほどいてもおかしくはない。
 かといって、それをどうこう言える立場でもない。いざとなったら彼の選択を尊重する以外、ノアに許された行動はないのだ。
 ラスターが何か告げた。男が慌てているのが分かる。ノアは妙な安堵を覚えたが、その理由はよく分からなかった。男がラスターをなだめている。ルーツにとっての魔術師が如何に邪悪で、ひどい連中なのかを思い出させようとしている。逆効果だろうな、とノアは思う。実際その通りであった。
「あんたにノアの何が分かる!」
 冷たい壁に背中を預けて、ノアはじっと待った。多分、大丈夫だなと思った。これは思い込みではなくて、純粋な信頼からくる判断だった。途中、コバルトに対する暴言が男の口から放たれたのが聞こえた。それから間もなくして、足音が遠ざかっていく。ノアは物陰から様子をうかがった。ラスターが一人で立っている。行き場をなくした殺意を、空気の中に溶かしている。
 ノアはラスターに近づいた。声をかけようとした瞬間、ラスターは妙にゆっくりと振り向いた。
「……見てた?」
 ノアは無言で頷いた。ラスターはちょっと残念そうな顔をした。
「どのあたりから?」
「変わり者の魔術師のあたりから」
 ノアは素直に答えた。
「ごめん、助太刀すればよかったね」
 そして、謝罪を投げた。ラスターは一言「平気」と答えた。なんだか疲れているように見えた。口論の後だからなのだろうか。
「……ああいう感じのこと、ノアも言われたことある?」
 少し疲れているように見えるラスターがそんなことを聞いてきた。ノアは「ああいう感じのこと」が何を指しているのか一瞬判断に迷ったが、きっと「ラスターと手を切った方がいい」という文言から始まる勧誘のことを言っているのだろう。
「うん。何度かある」
 アンヒュームと手を切れだとか、あんなどこの馬の骨ともわからない奴と組んでどうするのだとか、その才能をもっと生かした方がいいとか。その言葉は、ラスターが知らなくていいことばかりだ。
「魔物退治屋なんかやめて魔術協会に所属しろとか、結構言われる」
 ラスターは肩をすくめた。
「同じなんだな、俺たち」
 それを聞いた途端、ノアは確かにラスターとの悲しみを共有した。外部から迷い込んだなにかはノアの体に脱力感を生じさせた。目元にうまく力が入らなかった。
「そうだね」
 そして、同時に異様な攻撃性を覚えた。
「どうせならもっと嬉しい共通点が欲しかったな」
 それは、自分とラスターの関係性を悲しくつらいものとして定義されたくはないという反抗だった。ノアは魔物に対して剣を構えるようにして、その悲しみを破壊しようとした。
「共通点ならあるよ」
「へぇ? どんな?」
 ラスターの問いに答えるとき、ノアは妙にわくわくした。多少の緊張もあったものの、この戦いには勝てるという自負が確かに存在したのだ。「あ」と思わず喜びの声がこぼれる。ラスターの顔にわずかな期待が帯びた。
「……カラメルリンゴパイが好き、とか」
「カラメルリンゴパイはあんたの好物じゃないの?」
「そうだけど、ラスターもすごーくおいしそうに食べるから好きなんだと思ってた。……もしかして、俺だけがそう思い込んでただけ?」
「いいや」即座に修正が飛んでくる。「俺も好きだよ、あれ」
 ノアは思わず笑ってしまった。
「買って帰ろうか」
「いいけど、今から行ったら売り切れてるんじゃないか?」
 ごもっともだ。大人気の看板メニューがこの時間まで売れ残っていることなんてそうそうない。だが、ノアはそれでもよいと思った。ラスターとともにカラメルリンゴパイを買いに向かった事実が何よりも大切なのだ。
「そうかもしれないけど、走ったらチャンスはあるかもよ。行こう」
 ノアはラスターの手を取った。

 カラメルリンゴパイは、ちょうど最後のひとつが売れてしまったところだった。だが、ノアはレアチーズレモンパイを買う選択肢を取ることができてよかったと思った。そのさわやかな酸味が今の二人に一番丁度よい味だったからである。



(「こんなことならあの子が都会に行くのを止めればよかった!」と言って、花瓶を投げてきた老婆のことを、ラスターはたまに夢に見る)


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)