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【短編小説】賢者と奇術師

 こちらの短編の番外編です。



 どうしても、魔術師になりたかった。
 学校の授業で将来の夢について語るとき、先生が複雑な顔をして「魔術師……あー、その……」と言葉を濁したのを覚えている。僕は自分が魔力なしアンヒュームであることを知らなかったのだが、先生の態度でそれを知った。父も母も、僕にはそれを隠していた。しかし先生は入学書類で僕が魔力なしアンヒュームということを知っていたのだ。
 なんとも馬鹿げた話だと思う。別の言い方をすれば僕は人間関係に恵まれていた。魔術学校に入学してから七年以上も僕は僕がアンヒュームであると気がつかなかったのだから。ただ、他の人より魔術が下手なだけだと思っていたのだ。
 僕はどうしても魔術師になりたかったので奇術を身につけた。奇術はアンヒュームの芸のひとつで、魔力を使わずにトランプの柄を当てたりとか、コインを消したりとかする芸である。実際に消えているわけではなくて、手の内側に細工を施しておくとか、トランプをちょっと弄っておくとか、消えているように見せるとか、ともかく錯覚させるのだ。僕は大賢者を騙すつもりでいた。カルロス・ヴィダルに手品を見せればきっと僕を弟子にしてくれるに違いないという思い込みがあったのだ。
 さて。僕がどうやってカルロス・ヴィダルに手品を見せたのかは忘れてしまった。ともかく僕はカルロス・ヴィダルに手品を見せることはできたのだ。
 僕はカルロス・ヴィダルの研究室に招かれた。本棚に収まりきらない本が散らばり、使われていない机に積み重なって、その本の上に壊れたランプが置いてあった。
 カルロス・ヴィダルは本で作られた壁の奥で、背中を丸めて一心不乱に何かを書いていた。机上には良質な魔力式ランプが置いてあって、カルロスの手元を照らしている。魔術実験ビンの底よりも分厚いメガネの奥では、炎よりもまぶしく輝く瞳が、文字を綴る手に苛立っていた。彼は今、頭の中に浮かんでいる新たな魔術理論を出力していたのだ。己の筆記速度を超える脳の回転は、手への苛立ちを生じさせていた。
 炎に照らされて銀色にも見える髪を、インクまみれの手がガシガシと掻く。ブルーブラックのインクが付着しようがおかまいなしだ。僕は声をかけていいのかわからなくてしばらくそうしていた。壁に掛けられていた鳩時計が三時を告げたところで、カルロス・ヴィダルはぱっと背筋を伸ばした。
「よし! 今日はハイパートリプルホイップスペシャルパンケーキを食べるぞ!」
 先ほどまでの集中がぱっと消えて、カルロス・ヴィダルはウキウキで席を立った。
「…………」
 そのとき、彼は僕を見つけたのだ。
「聞こえてた?」
 第一声がこれだった。
「はい」
 僕は正直に答えた。
「…………」
 カルロス・ヴィダルは何かを考えるそぶりをして、机の上からスケジュール帳を引っ張り出した。
「……ああ、今日はパンケーキ屋は定休日だった―。マジカルホイップのパンケーキはお預けだー。あー、お店があいているならばおごってやってもよかったというのにー」
「マジカルホイップさんの定休日は明日ですよ」
「…………」
「…………」
 僕らは、しばしの間見つめあった。カルロスが「わはは」と笑ってごまかしたところで、僕は本題を切り出した。
「魔術を見てもらいたいのですが」
「……パンケーキはいらない?」
「あまり、甘いものは好きじゃないので」
「…………」
 カルロスは再度椅子に腰かけた。
「では、見せてもらおうかな」
 こんなふざけた人間が世界を揺るがす大賢者というのも正直疑わしい話ではある。しかし、それは僕にとっては好都合な話であった。僕はまず、自信満々にコインを消す手品をした。カルロス・ヴィダルは頬杖をついて、僕の手品を見つめていたが、コインが消えた瞬間に彼は大声で叫んだ。
「魔力の発動がないのにコインが消えただと!?」
 僕はこのとき、どうしようもない絶望に襲われた。僕が魔術だと偽ってカルロス・ヴィダルに奇術を見せたのだと一発でバレたのだから。
「いったい何をした?」
 カルロスが僕のもとにさっと近づいて、僕の腕や洋服のポケットをまさぐり始めた。この人は本当に自分の興味をくすぐるものだけを拾って過ごしている。僕が「魔術師にはなれない」という絶望に打ちひしがれているのを、カルロスは「自分の言っていることを理解してもらえていない」と捉えたようだ。
「魔力を使えばいくらでも似たようなことはできる。例えば――」
 カルロスは手近な本を一冊、魔術で消した。
「これは消えたように見えるが、実際はこうだ」
 カルロスはローブの中から、先ほどの本を取り出した。
「空間転移魔術で机の上から私のローブの中に本を移動させた、というのを、本を消した、という風にして演出したのだ。だが! これには当然魔力がいる! 逆もしかりだ!」
 今度はカルロスの手の中に、壊れたランプが現れた。
「さて少年、君は一体何をどうやってコインを出した?」
 僕はカルロスに「少年」と呼ばれて少しくすぐったくなった。この時の僕は思春期特有の、ギリギリまで背伸びをしたい衝動のまっただ中にいたので、「大人」として扱ってほしいな、などというトンチンカンなことを思ったのかもしれない。
「……僕は魔術師にはなれないのですか?」
「なるほど。君はもしやアンヒュームか」
 僕は頷いた。
「少年、君はなぜ魔術師になりたいんだ?」
「なぜ、って……アンヒュームよりも魔術師の方が、将来性があるじゃないですか」
「本気でそう思っているのか? 君は魔力ナシで魔術が使えるというのに? 大賢者カルロス・ヴィダルを驚かせた実力を持っていながら、それを捨ててまで魔術師になりたいと?」
 ……そういえば、この人は思い人と結ばれたいからという理由で大賢者の勲章を「だったらくれてやるよこんなもん!」と言って投げ捨てた人だった。
「僕は魔術師にはなれないのですね」
 このとき、僕は初めて純粋に「絶望」というものを飲み込んだ。それは透明な筒にすとん、と石を落とすかのような単純な衝撃を僕に与えた。僕はもう年甲斐もなくぺそぺそと泣き出してしまった。
 カルロスはそんな僕をじっと見つめていた。カルロスは僕に何もしてくれなかったが、僕はダメもとで「弟子にしてくれませんか」とバカなことを言いだした。
 ここでカルロスが、僕のことをこっぴどく嗤って、「アンヒューム風情がバカを言うな!」とか言って部屋から追い出していたら、僕は本当にダメになっていたと思う。僕が弟子入りを希望した途端、カルロスは「いや! そうじゃない!」と訳の分からないことを言いだした。
「弟子入りするのは私のほうだ!」
 ――この言葉に驚きすぎて、僕の涙は秒でひっこんだ。
「魔力を使わずにコインを消す方法を教えてくれないか、少年!」
「え……」
「いや、もうなんならヒント! ヒントだけでもいいから! 教えてくれ! あ、あとよかったら私の妻にもその素晴らしい技術を見せてくれないか?」
 そんな話があってたまるか。世間を騒がす最高賢者を弟子にしました、なんて安い設定、ファンタジー作家だって好んで使うことはないだろう。
「いや、待ってください、待って――」
「そうか、ありがとう!」
 僕の必死の拒絶は、カルロスに全く受け入れられることなく散った。
 ……そういえば、この人はこういう人だった。僕は気が付いたら転移魔術でカルロスの自宅に送られていた。
 研究室は穏やかなリビングに。紙とインクの匂いは甘いお菓子の匂いに。
 ヴィダル夫人は洗濯物をたたみながら、ぽかんとした顔で僕とカルロスを見つめていた。僕はというと、あの暴走機関車のようなカルロスと生活を共にできる女性がいることに驚いていた。
「母さん! 見て見て! すごいんだよ、コインが消えるんだ!」
 言葉が恐ろしく足りない。
「私は魔力を使えばできないものはないが、魔力を使うなと言われたらハイパートリプルホイップスペシャルパンケーキを食べることしかできない。だが彼は」
「分かりました、分かりましたから落ち着いて」
 ヴィダル夫人は「ごめんなさいね」と僕に告げてから、近くにあった箒の柄でカルロスの頭を思いっきり叩いた。
「この人、興奮するといつもこうだから」
 僕は、なぜ彼女がカルロスの妻として生活できているのかを嫌と言うほど理解できた。
 その後、僕はコインを消す手品をした。他にも消したはずのコインを再び出現させたり、コインを増やしたり、空っぽのコップから飴を出す奇術も披露した。カルロスもヴィダル夫人も嬉しそうに僕の奇術を見て、僕の手先の器用さを褒めてくれた。カルロスは僕が出した飴をちゃっかり食べながら、もう一度僕に「弟子にしてくれ」と頼み込んでいたが、ヴィダル夫人が箒を構えると「やっぱ今のナシで。大賢者は気が変わった」と態度を変えた。
「では、僕を弟子にしてください」
 僕はダメもとでそう頼み込んでみた。カルロスが「んー」と悩む中、ヴィダル夫人は優しく僕の手を取った。僕は女性に対する免疫があまりなかったので、ヴィダル夫人の微笑みを見た瞬間ちょっと心臓がどきりとした。彼女は僕の母親よりもずっと若い見た目をしていた、というのは言い訳になるだろうか。
「どうして魔術師になりたいの?」
「そんなの、決まっているじゃないですか。この世界は、アンヒュームが生きるには厳しすぎます」
「そうね。確かにそう……でも、それがあなたのやりたいこと?」
 僕は答えに窮した。
「魔術師は死ぬほどいるが、君のような魔力を使わない魔術師はそういないだろう! 何なら私の名を名乗ってもいいぞ、『大奇術師カルロスⅡ世・ハイパースペシャルマジシャン』とかどう? ほれぼれするような最高に痺れるクールな……」
 ヴィダル夫人が再び箒を構えた。カルロスはさっと黙った。
「地方都市マグネターに、奇術師の集う組織があるの」
 ヴィダル夫人はカルロスの尻を箒でつっつきながら、僕の目を覗き込んでそんなことを言った。
「あなたのような才能あふれる奇術師なら、きっと歓迎してくれる。とはいえ……あなたが奇術師になりたいわけじゃないのなら、無理にとは言わないわ」
 すぐ傍で「母さん! 痛い! というか! 変なところ刺さないで!」と威厳もへったくれもない声がする。だが、僕はそれどころではなかった。僕は僕の辿る道に「魔術師」以外の選択肢はないと思い込んでいたのだ。僕の意識はカルロスの弟子になるところではなく、マグネターにあるという奇術師の集まりの方に向いていた。
「あなたの言う通り、確かにこの世界は魔術師以外の人たちにとって住みづらいけれど……だからといってなりたくもないものになる必要はないわ」
 床の方から「そーだそーだ」とカルロスの声がした。僕は無意識に首を縦に振っていた。
「さあ、もうじき日が暮れるわ。あなた、きちんと責任をもって彼を送ってくださいね」
「大丈夫大丈夫、大賢者カルロス・ヴィダルはーぁ……転移魔術もお手の物!」
 床に寝っ転がっているカルロスが指を鳴らした瞬間、僕の目の前から洗濯物や生活感あふれるリビングは消えて、暗く湿った研究室が再び姿を現した。



 僕は結局、魔術師にはならなかった。なろうと思うこともなかった。
 僕は地方都市マグネターにある奇術協会の扉をノックして、ひよっこの奇術師としてデビューすることになった。期待の新人として地方新聞に掲載されることもあったが、そのたびにカルロスから「やっぱり弟子になっておけばよかったなぁ!」という手紙が届いた。カルロスは自分の影響力をよく分かっていたので、僕に送られてきた手紙はすべて偽名だった。だが、不思議なことに僕は僕に宛てられたカルロスからの手紙を、カルロスによるものだと理解できたのだ。
 一度だけ「いつか私のかわいい子供たちと一緒に、君の奇術を見に行きたいな!」というコメントと一緒に、家族写真が送られてきたことがあった。そこに写るカルロスとヴィダル夫人は、僕の記憶にある二人よりも少しだけ老け込んでいた。しかしとても美しい年季の重ね方だな、と思った。
 あれからかなりの年月が過ぎていった。僕は今日も道化の恰好をして奇術のイベントに臨む。商業都市で開催された奇術イベントにはルーツ自認を声高く主張する輩もいたけれど、それは僕の奇術には関係のない話である。
 いろいろな人が驚いてくれる。何もないところから、コインを出すだけで笑ってくれる。
 その中には懐かしい面影があった。
 あの日あの時、カルロスが驚いたのとおんなじような顔をして。
 あの日あの時、ヴィダル夫人が笑ったのとおんなじような顔をして。
「ねぇ、ラスター、すごい。銀貨が出てきたよ。本物だよ」
 僕は笑った。君のお父さんが、僕を奇術師にしてくれたと言ったらどんな反応をするのかな。そんな想像をしながら、僕は大きな口を開けて笑ったのだ。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)