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【短編小説】自称・優秀な薬師と毒の村 #4(最終話)

 こちらの続きです。



 生理的嫌悪が胃の腑から立ち上がり、ノアは思わずラスターの方を見た。彼は全てを悟った穏やかな顔をしていた。
 質量のありそうな赤黒い液体を、ニルコは己の誉れであるかのようにして紹介した。
「これは遠方から取り寄せた奇跡の青い花に、ゴブリンの力を混ぜた物です」
「トリカブトにゴブリンの臓物を混ぜ合わせたものです」
 ラスターの通訳はノアとシノにしか聞こえていない。シノはもうドン引きを隠すつもりもなさそうであった。ノアはラスターの顔を見た。全てを悟っている
「死んじゃうでしょ、あんなの飲んだら……」
「一応、ゴブリンの肝臓は解毒作用のある薬の材料になってるな」
「……ナマのまま使うの?」
「血抜きして丁寧に乾燥させて使います」
 ノアはもう一度例の瓶を見た。どう考えてもナマのまま使っている。
 そんな二人の会話などつゆ知らず、ニルコは自信満々に薬の説明を続けていた。
「……魔術に頼りっきりの皆様にはわからないかもしれませんが、自然由来の成分は人の身体にとってもよいのです」
「治癒の魔術じゃダメなの?」
「知らないんですか!」ニルコが金切り声を上げた。ラスターが「始まったな」と言った。
「治療魔術の魔力は相手の魔力に作用して半径五キロメートルに悪性電波タナトゥスをばらまくのですよ!? そもそも治癒の魔術で怪我が治ったというのはあくまで錯覚で本当はタナトゥスとの契約を結んだ影響により身体の制御権を一部失っただけなのです! つまり治癒の魔術を受けた人間はその肉体をタナトゥスに乗っ取られ高度次元外部生命体に都合よく扱われる哀れな傀儡になってしまう、伝播するタナトゥスから身を守るには第十三世界デプスサーティーン・デラックスエターナルワールドに魂を清めてもらう必要が――」
「わぁ、俺たちが聞いた奴より量が増えてる」
 事実上蚊帳の外状態のラスターはどこか楽しそうだ。一方で男性職員は全てを悟ったらしい。ニルコをなだめる方に労力を割き始めた。
「ラスターは村で何を見たの?」
 野次馬の群れから脱出した二人は、既に情報共有を始めていた。依頼書の掲示板の傍に置かれた木の塊のようなベンチは利用者があまりない。魔物退治屋が使うときはテーブルがある方が使い勝手がよいし、逆に依頼者はそもそもこんな場所で休憩を取らない。
「聞きたい? しばらくハンバーグを食いたくなくなると思うけど」
「……できるだけお手柔らかにお願い」
 ラスターは肩をすくめた。
「まぁ、ゴブリンを生きたまま解体して、中身をすりつぶしたりミキサーにかけたりして、トリカブトを混ぜて……ってやってただけかな」
「……相当だね」
「珍しい話ではないんだけどな、なんせ製造工程を見たのは初めてだったから」
 ラスターはそう言って、ひょいと首を右にかしげた。頭のあった位置に灰皿が突き刺さる。シノが驚いていたが、手をひらひらとさせて「無事」を伝えた。
「どういうこと? 他でも使われてるってこと?」
 それとなく座る位置を変えながら、ノアは質問を投げた。
魔力ナシアンヒュームの治療に使うやつが居るのさ。魔力のある食べ物を食べれば……っていう理論で」
 ラスターは灰皿を蹴飛ばして、ノアの傍に腰掛けた。気がつけば、シノとニルコが取っ組み合いの喧嘩を始めている。
「帰ろうか」
 ニルコがシノの髪を引っ張っている様子を見ながら、ラスターがそんなことを言う。
「止めた方がいいんじゃないかな」
 机に飾られているぬいぐるみの肩を撫で続ける奇行を繰り広げる男性職員を見ながら、ノアが答えた。おそらく、喧嘩を止めようとしてシノに「邪魔をするな」と跳ねのけられた結果だろう。彼の中では二人の喧嘩を止めているつもりなのだろうが、残念ながらそれは幻覚だ。
 ニルコがシノを突き飛ばす。その弾みで、シノの手が例のビンに思いっきりぶつかった。
「ヤバい!」
 ラスターがノアの手を引っ掴む。逃げるぞ、の一言がなくても伝わる。
 突き飛ばされたビンが宙を舞う。床にたたきつけられたそれは、不幸にも当たり所が悪かったらしい。モロに衝撃を受けて、粉々に砕け散ってしまった。
 問題は中身である。
 ずっと常温保存だった薬品。主成分がよりにもよってゴブリンの内臓。「ゴブリンは臭いから嫌だ」という理由だけでゴブリン退治を拒否する魔物退治屋だっているご時世。そんな劇物が解き放たれた結果、どうなるかは目に見えている。
 ギルドを飛び出すその瞬間、ノアは即座に吐きそうになった。濃密な血と臓物、そしてゴブリンが持つ独特の悪臭が見事に最悪の形でかみ合ってしまった。胃の中でレーズンパンと牛乳が暴れている。
「大丈夫か?」
 平然としているラスターを思わず化け物のように思ってしまった己が憎い。
「よ、よく平気だね」
「まぁ慣れてるからな、死臭がちょっと激しいかなぁくらいで。……それより、ここは風下だ。さっさと移動するぞ。このままだとあんたが昼飯を道にぶちまけるのも時間の問題だ」
 通行人がノアとラスターを見て「うわっ!」と言う。これは臭いのせいではない。二人に隠遁の魔術をかけていたシノの集中が切れたのだ。通行人からすればいきなり二人が視界に現れたようなものである。悲鳴が上がるのも無理はない。
 ギルドがにぎやかだ。悲鳴とあとは……あまり形容したくない声が聞こえる。質量のある液体が落ちる音とか、まぁ、そういったものが聞こえる。
「これが薬の効果ですよ! 毒素を排出するためで……オロロロロ」
 ノアが最後に聞いたのは、まったく懲りていないニルコの声だった。




 後日。
「リョセ村から連絡があったわ」
 顔面蒼白のシノは少しやせているように見えた。
「……あの、大丈夫……じゃ、ないよね?」
 ノアは恐る恐る彼女の向かいに座った。シノは体調不良を隠そうともしない。
「まともな食事がとれないの。あのクソみたいな薬の臭いが鼻腔にこびりついて消えてくれないのよ。自分に幻覚を重ね掛けしてやっと仕事に出られる感じ……集中が上手くできないから術の精度もゴミみたいになるし、ホント散々」
「お水は飲んでる?」
「水は飲んでるわ。飲まないと死んじゃうから……あとは無味無臭の栄養ゼリー」
 ノアは心底彼女に同情した。最も遠い場所であの刺激臭を食らったノアですら食欲不振に悩まされているのだ。最も近い位置でアレを食らった彼女はもっと大変だろう。
「それでね、リョセ村から、あの薬師を追い出したら毒で倒れる村人はいなくなったぁーって連絡があったのよ。よかったわねー」
「……その薬師、どこにいったの?」
「困った人を助けるためにどこかに旅立ったって聞いたけど、こっちには来ないでほしいわ」
 ノアは「ははは」と笑った。



 その一方、商業都市アルシュの地区にて。
「ははは」
 ラスターも同じようにして笑っていた。
 リョセ村を追い出されたニルコ・マイヤーが次に目を付けたのは、出張先で見かけた地区の住民たちだった。地区の人たちを診てくれる医者が少ないというニュースを聞いたことがある、という短絡的な思考で彼女は薬屋を開いた。
 その場所がよりにもよってアルシュの地区だったのだから、彼女は最高に不運だったと言わざるをえない。ここには腕のいい情報屋がいる。もしも彼の性根がもう少しまっすぐであれば、彼女を穏便に追い払っていたかもしれないが……。
「でも殺す必要あった? 後々面倒じゃないの?」
「こんなクソみたいな輩を放置しておく方が後々面倒だね。奇跡の子よりも酷い顛末になるだろうよ」
 青白い煙を細く細く吐き続ける愛銃を手に、コバルトはラスターに視線をやった。
「ラスター、手伝え。死体をバラすぞ」
「解体してどうするの? こいつの内臓でお薬でも作るのか?」
「燃やしやすくするんだよ」コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「そうすれば墓地の火葬屋が早く動いてくれるからな」
 ラスターは肩をすくめた。ゴブリンの内臓のお薬を思い出した。いくら耐性があるからといって、あの超強烈な悪臭をすっぱり忘れられるわけがない。
「新鮮な臓物の匂いでもキメて、さっさと体調を万全にするかぁー」
 ラスターはちょっと泣いた。コバルトに注意喚起の情報提供をしに行ったら既にニルコの死体が転がっていたので泣いた。こういう輩の行動力のすさまじさを甘く見ていたとか、コバルトの容赦のなさを忘れていたというわけではないのだが、それが最悪のかみ合い方をしていたので泣いた。
 ……泣きながら死体の腕をもぐラスターを見て、コバルトはちょっと引いた。


――依頼完了。




 ノアが急いで頑張って書いた報告書


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)