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【短編小説】どうして?


 ※人を殺害する描写があります

「どうして?」
 ノアがそうするようにして、ラスターは優しく問いかけた。足元に落ちていたナイフを踏みつけ、ゆっくりと目の前の男の前にしゃがみ込む。視線を合わせて、優しく問いかける。相手を刺激しないようにして。
 月が朝に傾こうとし始めた頃だ。今日は細い三日月だったのをラスターは失念していた。月明りに頼れない今、相手はラスターの顔をうかがい知ることができない。
「どうしてノアを殺そうと思ったの?」
 だからラスターは、声色を作るのに全力投球した。相手はガタガタ震えるだけで何も言わない。少し酸っぱいにおいがした。男の股から液体が流れ出ているのが分かる。失禁したのだ。
 こんなに穏やかに事を進めようとしたところで、状況のすべてが最悪だった。ちょっと肩をすくめると、その動きが見えたらしい。男の口元が「金」と動いた。
 ラスターは足の位置を変えた。人の小水に靴を浸す趣味はないからだ。
「あんたじゃなくて、依頼主の方は?」
「わ、わからない……」
 そっか、とラスターは思ったが、冷静に考えれば当たり前である。他人の事情にいちいち足を突っ込んでいては疲れるだけだ。相手が殺してくれと言って、大金を持って、依頼をする。それだけで成立する関係だ。
 男は泣き出してしまった。ラスターは何だか疲れてしまった。
「……あんた、このくらいで小便漏らすようじゃ暗殺者向いてないぜ」
魔力無しルーツに暗殺者以外の仕事があるかよ」
「このあたりの酒場で給仕やるんじゃダメか? 人間殺す度胸があるなら向いてると思うけど」
 男はペソペソ泣いて、身震いをした。
「そうかな」
 単純な奴だなぁ、とラスターは思った。
「でさ、ちょっと最後の仕事にお願いしたいんだけど……依頼主教えてくれる?」
「……商業都市郊外に住むグエルっていう魔術師。銀貨五百枚で雇われた」
 そして、いろいろな意味でやっぱり暗殺者に向いてないな、とも思った。

「どうして?」
 魔術を無効化する手段というのはいくらでもある。いや、いくらでもある状態にまで持っていった。魔力無しアンヒューム魔力無しアンヒュームなりに魔術師への対抗手段をあれこれ開発している。ただ踏まれるだけならアリ以下だ。踏まれそうになった時、それがたとえ靴相手であろうとも噛みついてやるくらいの反抗心がなければ生きていられない。
 月がまだ空にへばりついている頃だ。細い三日月はこの部屋からは見えない。魔力で稼働するランプが安定した光で二人を照らす。グエルはまだ若い魔術師だった。あごの髭がなんとも言えないちんちくりんな貫録を醸し出しているが、これは付け髭だなとラスターにはすぐ分かった。
「どうしてノアを殺そうと思ったの?」
 ラスターはもう疲れていた。それでも優しく問いかけた。自分の好奇心は大事にした方がいいと前に何かの本で読んだ。相手は一生懸命魔術を発動させようと頑張っているみたいだが、無駄だということが分からないらしい。
「教えたら見逃してくれるか?」
 そんなことを言われたので、ラスターはほほ笑んだ。
「考えとく」
 は、と安堵の息がグエルの口からこぼれた。ラスターの鼻腔に、生ごみの臭いに似た刺激がごく微量とはいえ届く。
「第一、お前はあいつを知っているのか?」
「まぁ、世間一般に知られてるくらいの情報なら」
 ラスターは適当に嘘をついた。
 その後彼がなんと語ったのかラスターはびっくりするほど覚えていなかった。多分逆恨みか何かだったと思う。彼はノアが如何に偽善者で性根が腐っていて、アンヒュームなんかを魔術学校へ誘おうとする愚か者か、ということを朗読劇の主役のような振る舞いで語った。ラスターは部屋の本棚に目をやりながら、グエルの話を聞き流した。彼の蔵書はエンタメ関連の書籍が大半を占めているようだ。
 万人に好かれる者など存在しない。ノアが嫌われることそのものにはあまり驚かない。だが、人の恨みを片っ端から購入しているラスターやコバルトと違って、まっとうに生きているだけの彼を殺してほしいと手を挙げる者の多さには驚きを隠せない。
 グエルは頬を紅潮させて、調子に乗って語り続けた。朗々とした彼の声は静かな夜には釣り合わない。
 ラスターはちょっとだけがっかりした。ノアを殺したいという願望を理解できる「理由」はグエルの喉にはなかった。 仮に理解できたところで納得と共感ができるかはまた別の話とはいえ、冷静に考えれば当たり前である。まっとうな理由で暗殺を依頼するような人間は、そこいらのチンピラを銀貨五百枚はしたがねで雇うような愚行はしない。
 ラスターはため息をついて、音もなく得物を抜いた。グエルは全く気付かない。ここまでくると最早一種の喜劇コメディである。
 ラスターはグエルの喉笛をついてから気まぐれに急所を抉った。今日は心臓にしておいた。
 無防備な人間は動きを読む必要がないので非常に楽だ。グエルは喉を貫かれた段階では自分の身に何が起きたのかさっぱり把握していない様子であったが、心臓を貫かれた辺りでようやっと状況を理解したようだった。約束と違う、という目をしている彼に、ラスターは言ってやった。
「俺、見逃すとは一言も言ってないよ。考えとく、とは言ったけど」
 グエルの目が怒りに満ちたところで遅い。
 ラスターは短剣を引き抜いた。グエルの体は地に落ちた。血だまりを踏まないよう気を付けてグエルの顔を見ると、光を失った目がこちらを伺った。ラスターはペンライトを取り出してグエルの目を照らした。そこにに怒りはなく、憎悪は既に流れ出た。

 ――瞳孔はうんともすんとも動かない。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)