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【短編小説】ヒョウガと肉を食わない娘

 床に皿が叩きつけられる。ヒョウガがびくっと体を震わせた。女は首を横に振った。床に皿の破片と肉のソテー、付け合わせの人参とブロッコリーが飛び散る。
「お肉料理なんて、信じられない。牛さんがかわいそう」
 女はそう言ってさめざめと泣いた。困惑するヒョウガは、恐る恐る口を開いた。
「それ、豚肉なんだけど……」
 コガラシマルは思いっきり舌を噛んで事なきを得たが、近くにいた村長とその側近は残念なことに勢いよく吹き出していた。何なら側近はその後開き直って、腹を抱えて笑っていた。
「笑いごとじゃないわ! こんな、人のために牛さんが……」
「だから豚肉……!」
 コガラシマルから「ヒョウガ殿!」と牽制が入るが、彼の声もいよいよ震えていた。
 不思議な依頼ではあった。病弱な娘のために料理を作ってほしい。元気がでるやつ。何でもいいからとにかく食わせてやってほしい。そんな感じの内容であった。料理が得意なヒョウガがこの依頼を受けない理由はなかったが、これは想像以上に厄介な話であると、ジェビー村についてから思い知ることになる。
 病弱な娘はどうも変な思想に染まっており、普通に「元気になれる料理」を作るだけではダメなようだ。
 ヒョウガはまず、豚肉でソテーを作った。ヒョウガ本人はソテーという料理名を知らなかったのだが、「ソテーですね」と村長の側近が教えてくれた。
 その結果が冒頭の通り。牛さん(実際は豚さん)がかわいそう、と言って彼女は料理を口にしなかった。
 肉がダメなら魚である。ヒョウガは鮭の包み焼きを作った。
「……お魚さんがかわいそう、とか言い出すのでは?」
 完成してからコガラシマルがそんな指摘をぶち込んできたが、時すでに遅し。皿が割れ、床に皿の破片と以下略。
「お魚さんがかわいそう、生まれ育った海で幸せに暮らせていたはずなのに……」
 ここでもヒョウガの「生まれたのは川……」というツッコミが炸裂し、周囲の人々は笑いをこらえる羽目になっていた。
 もうこうなれば野菜や豆類を使うしかない。豆腐サラダを出してみたが「地味」「貧相」と言われて終わった。食器が割れずに済んだのでまだマシというべきか。
「死はすべてを救済するぞ、ヒョウガ殿」
 本人より先に諦めているコガラシマルが豆腐サラダを食べながら、娘に負けず劣らずの思想をぶち込んでくる。が、ヒョウガはお構いなしにスープを作っていた。
「できた」
 しかし、娘からはため息とともにこんな指摘がすっ飛んできた。
「こんなの手抜き料理じゃない」
 これにはコガラシマルも刀を抜きそうになったが、それより先に村長が娘の頬を張った。更にそのまま続けてぶん殴る構えを見せたので側近が慌てて止めていた。
「人参が桜の形をしているのに手抜きとは何事か!」
 怒りのやり場を失ったコガラシマルは、ぶいぶい文句を言いながらスープを食していた。
「…………」
 ヒョウガは急に冷静になった。スープを食べているコガラシマルに気づかれないよう、そっと外に出る。村の周囲は森になっており、そこで鹿やイノシシを狩ることもできる。しかしこういった場所には必ずと言っていいほど他の生き物もいる。
 魔力を這わせる。潤沢な氷の魔力。無防備な子供。ひょろりとしていて強くなさそう。
 ――そんな都合の良い獲物を前に、何をためらうことがあるだろうか!
 死角から飛び出してきたのはコボルトだ。犬型の獣人である彼らは基本的に人間を見下す傾向にある。ヒョウガは即座に構える。コボルトの目の色が変わる。だまされた、と思ったところでもう遅い!
「ふっ――」
 掌の魔力が直接相手の腹を貫く。魔術を知らないヒョウガが編み出した戦法だ。魔術を介さないので魔力の消耗が著しいが、ヒョウガは元々潤沢な魔力を所持しており、多少燃費が悪くともどうにかなる。
「グウウウッ!?」
 獣が吠える。内臓が急激に冷やされ、ショック症状が出た。あとはどうにでもなる。地面に倒れた体を氷で固定し、ヒョウガはまず血抜きの作業を始める。仮死状態であれば心臓がまだ動いているため、効率的に作業ができる。普通であればこの辺りで異変を察知した魔物の仲間がやってくるが、ヒョウガは匂いが漏れないように流れ出た血を魔力で凍らせていた。無臭とまではいかないが、拡散は防げる。
 十分に血が抜けたところでとどめを刺した。魔力で心臓を貫いたのだ。そのまま持っていたナイフで解体作業を始める。そして……。

「ステーキです」
 しれっと戻ってきたヒョウガが出した料理を見て、娘は顔をしかめた。
「牛さんがかわいそう」
 いつもの決まり文句を吐き出した娘に、ヒョウガは淡々と告げた。
「これは牛じゃなくて、コボルトの肉です。さっき狩ってきました」
 ……魔物の肉は種類にもよるが、たまに美味いやつもいる。しかしコボルトやゴブリンなどよく見かける種類のものは味に相当な癖があるので万人受けはしない。ごくまれに魔物肉を食べるのが趣味という連中もいるので、そういうやつからの依頼がたまにギルドに舞い込んでくることがある。身体の損傷を限りなく抑えた状態で狩らねばならないので、割と難易度は高い。
 娘は顔を輝かせた。
「なんだ、コボルトの肉なら遠慮はいらないわね!」
 村長と側近が汚物を見るときの目をヒョウガに向けたが、コガラシマルの威圧でさっと視線を逸らした。
 娘はハイペースで肉を口に運ぶ。やわらかくておいしいわ、とご満悦。
「美味いのか?」
 コガラシマルが小声で問いかけてくる。ヒョウガも小声で返した。
「オレはあんまり好きな味じゃない。牛肉の方が好き」
「……牛や豚を食えない者が、代わりに食う分には、といったところか」
 小さく頷く。娘はおいしい、おいしいと言って食べている。生き物を殺すのはかわいそうと謳う唇も、どうやら魔物は例外らしい。
「……ところで、ヒョウガ殿」
「ん?」
「この顛末を、ノア殿にも説明せねばならぬわけだが……?」
 ヒョウガはしばし沈黙した。「ソテーやサラダやその他モロモロ作ったのに、食べてもらえなかったのでコボルトの肉を焼いて食わせました」という文言はなかなかにパンチが強い。ラスターだったら腹を抱えて笑いそうなものだが、ノアはどんな顔をするだろうか。
「……なんとかする」
「そうか……」
 娘の「ごちそうさま」の声がする。ヒョウガはほっと息をついた。が、
「おかわりはないのですか?」
 即座にコガラシマルが反応した。
「何グラム焼いたのだ?」
「三百くらい」
 沈黙。コガラシマルは過去の食事をあれこれ思い出そうとしているようだ。しかし彼は元々食事を必要としない。普通の人間と単純な比較はできない。
「おかわりはないのですか?」
 聞こえなかったと勘違いしたらしい娘が再度問いかけた。
「あ、明日のために保存処理をしてしまいましてー」
 思いっきり目を泳がせたヒョウガがそう言ったのを、娘は素直に信じたらしい。満足げに席を立つ。
 村長と側近が「信じられない」という顔をしている。文句を言いたそうにも見える。魔物肉自体は禁止されていないものの、「魔物を食う」というイメージから忌避する人も多い。ヒョウガはあえて目を逸らした。にらみを利かせていたのはコガラシマルだ。

 ……後日、この村が「魔物肉」で村おこしに成功することを、ヒョウガもコガラシマルも知らない。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)