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【短編小説】メッキはがしの風

 こちらの中編を読むと話の解像度が上がります。




   メッキはがしの風

 コバルトはうんざりしていた。
 地区はアンヒューム――生まれつき魔力を持たない者たち――が住まう場所だ。魔術師至上主義の社会からはみ出た人々が集まって作られていった居住地は、魔術師たちにとっては汚点以外の何物でもない。だから領土の地図を作るとき、地区には名前が与えられなかった。地区が地区という名前なのはその名残でもある。
 アンヒュームの住まう場所は、いつしか「社会からはみ出た者の集う場所」になりつつあった。魔術師社会で出世から取り残された者たちが自尊心を癒すために逃げ込む事例が増えている。もっとも、そういう輩はアンヒューム側からもつまはじきにされるので、結局元いた場所に逃げていくのだが。
 最近では、精霊族がやってくるパターンが増えている。日輪島の精霊族は自治区を作って平和に暮らしていたが、隣国アマテラスの軍事侵攻により島外に脱出する者が増えたのだ。その逃げ先はソリトス王国も例外ではない。とりわけ商業都市アルシュには「商業都市」という性質上、数多くの精霊たちが逃げ込んでいる。
 その逃げ込んできた精霊族がおとなしくアンヒュームと「共存」してくれるのであればよいのだが、そうではないパターンもある。例えば……。
「私は故郷を追われて、この異国までやってきました。しかしただ逃げてきたわけではないのです。私が勇敢にアマテラス兵へ立ち向かったときの話を聞いて下さい――」
 こんな風に、毎日毎日バカでかい声で自分の武勇伝を語り続けるやつとか。
「また始まったのか!」
 コバルトの後方からアングイスの声が聞こえる。彼女の声もよく通る方だ。だが、あの精霊は声に魔力を乗せているらしく、アングイスの五倍くらいはうるさい。コバルトは部屋の窓を閉めた。それでも精霊の声は聞こえてくる。
「お前さん、このアパートで安眠できるものなのかい?」
「ワタシはどうにでもなる! 魔術を扱えるからな」
 アングイスはふんと胸を張った。彼女は魔術師社会からはみ出た魔術師ではあるが、アンヒュームに接することに抵抗がない。身内が当事者だからというのもあるだろうが、地区はこういった魔術師なら歓迎してくれる。
 アングイスは角砂糖のポットを確認しながら、少しため息をついた。
「ただ……最近、眠れないって患者が増えてる。あと耳鳴りとか頭痛とか。アイツ、いるだけでストレスだぞ」
 コバルトは窓の淵に指を這わせた。指先にうっすらと埃が張り付いた。
「……前にマスターが追い出そうとしたんだがね」
「髑髏の円舞ワルツの?」
 コバルトはゆっくりと頷いた。。
 アングイスはかちゃかちゃと紅茶の準備をしているが、その中でもあの大声精霊の声はしっかり届いていた。
「精霊差別だっていちゃもんつけられて、窓に生卵をぶつけられたそうだ」
「えぇ……」
 コバルトは外を見た。ちょうど、見せ場に差し掛かろうとしているところだった。
「……他の部族が降伏する中、最後まで残ったのは我が風の部族。皆様ご存じの通り、風の部族はやや気が難しくて気まぐれな傾向を持ちますが、鬼畜アマテラスに負けてたまるかと、このときは一つになったものです。私は「えいや」と刀を抜きました。この刀はただの刀ではありませぬ。持ち主の魔力を食らう代わりに、絶大な威力を誇る伝説の妖刀。一糸まとわぬ・・・・アマテラス兵がやあやあとやってくるところを、私は踏ん張って、一刀両断し――」
「アマテラス兵は全裸なのか」
 コバルトの呟きに、アングイスが目をぱちくりさせた。テーブルに茶葉がこぼれる。砂糖に群がるアリみたいだな、とコバルトは思った。
「そんなわけないだろう! アマテラス兵と言えば魔術も武術もトップレベルの実力者が揃うエリート! 優秀な兵にはオーダーメイドの装備をあてがわせる優遇っぷりを見せるようなところだぞ?」
「あの精霊、一糸まとわぬ・・・・アマテラス兵って言ってたぞ」
「じゃあ全裸なのだな。全裸兵がいるのだな。なんともワイルドだが、うーむ……?」
 アングイスは一人で納得して、紅茶を淹れる作業に戻った。コバルトは頭が痛くなった。彼女の純粋さは嫌いではないが、こういう時に酷い疲れを生じさせる。
「さあアマテラス兵は驚いた。ここまでトントン拍子で侵攻を進めてきたというのに、最後の最後に立ちはだかる精霊ひとり。手には妖刀、全身からは強大な風の魔力。斬られた兵は既に五十。今五十一、五十二。増える犠牲に兵が怯え、焦燥が戦場を満たす中でも私は止まらず刃を振り――ああ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
 コバルトは窓を覗き込んだ。何も知らないバカがあの精霊に金を恵んだらしい。苛立ちが言葉になり、口元からぽろりと零れる。
「もう殺すか」
 ……世間的には過激なジョークで通るかもしれないが、コバルトの場合は「本気」である。
「コバルト!」
 アングイスはコバルトに紅茶を出しながら怒鳴った。コバルトはちょっと驚いて、目元をわずかに動かした。はたから見れば瞼が痙攣したようにしかみえなかった。
 アングイスは歯をがちがちと言わせながら、コバルトをまっすぐ見据えたまま吐き捨てた。
「もっと早くそうすべきだったんじゃないか?」
「…………」
 コバルトは紅茶を一口すすってから、愛銃の様子を見た。
「……精霊の暗殺なんざ久方ぶりだが、まぁなんとかなるか」
 そして、すたすたと軽快な足取りで部屋を出て行ってしまった。
「……誰も今やれとは言っていないぞ!」
 アングイスの声は、武勇伝を垂れ流す精霊の声に掻き消えた。

 風をまとい、空を駆け、刀でばっさばっさと敵を葬り続けた精霊も、いよいよ体力と魔力の限界を迎えた。アマテラス兵に捉えられてからなんやかんやで逃げ出して、商業都市までやってきたという。
 その話自体が嘘くさい。まず相手はアマテラスの精鋭部隊。それを一人で相手して、百人以上を斬り殺すなんてもはやおとぎ話の域だ。あの精霊の魔力量もアングイスが言うには「平凡」らしい。仮に彼がアマテラス兵と交戦したのが事実だったとしても「攻め込んできたアマテラス兵を斬った」部分をやたらめったらに脚色したに決まっている。
 第一、あの精霊は現在刀を持っていない。誰かがそれを指摘した時、彼はしどろもどろになって「折れた」と答えたり「アマテラス兵に奪われた」と答えたりした。その都度理由が変わるので地区のまともな連中はヤツのいうことを信じていない。他にも話の展開に矛盾があったり、質問に答えられなかったりとボロが多いのだ。
 コバルトは頭の中に地区の地図を広げる。どこにどんな建物が存在して、どのあたりに人が多いかを考える。商業都市の人の流れもそれとなく想定した上で、精霊の隙を伺わなければならない。少しだけ顔を動かして精霊の様子を伺うと、彼の近くで「う・る・さ・い!」と怒鳴る住民の姿があった。
 コバルトは近くの建物の二階に侵入し、窓から精霊の頭を狙おうとした。そのときだった。地区が変なざわつきを見せる。コバルトは商業都市アルシュの大通りに目をやった。その際、視界の端で例の演説精霊が逃げ出そうとするのが分かった。
 わずかに冷たい風が吹く。青い肌の精霊が歩いているのが見える。人と異なる特徴を持ち、腰には立派な刀(見れば分かる。確かにあれは妖刀だの魔刀だのと言われる類の一品である)。抑え込めない魔力がこぼれているのが、アンヒュームであるコバルトにも分かった。
 覇気がある。隠し切れない爪が、彼の中でギラギラと輝いている。
 なるほど、と一人で納得する。あの演説の内容自体・・・・は嘘ではないのかもしれない。コバルトは笑いをこぼさないようにするのに必死になる。面白いことが多すぎる。近くにいる見慣れた顔がふたつ。それだけでお釣りがくるレベルだ。
 精霊が足を止めた。近くに誰かがいるようだ。人ごみに埋もれてしまって姿はうかがえないが、精霊の表情からすると彼の友人か何からしい。精霊はその誰かの言葉に、穏やかに頷いて見せた。そのわずかな動き一つとっても隙がない。これならアマテラスの精鋭部隊が手を焼くのもあり得ない話ではないだろう。もしもここでコバルトが彼めがけて引き金を引いたとしたら、銃弾を真っ二つに斬るくらいの芸当は見せてもらえそうだ。
 ゾクゾクする。暗殺者としては抱いてはならない感情の類だ。興奮と畏怖が混ざった奇妙な刺激が、細胞を細かく震わせる。コバルトは慎重に息を吐いた。もしもあれを始末するとなったら相当骨が折れる。勝負は初撃を当てられるかどうかで決まるだろう。
 精霊の顔がこちらを向いた。気配を隠し忘れていたかもしれない。だが、腐っても元暗殺者。素人に居場所がバレるようなヘマはしない。
 ――ああ、何事もなくてよかった。本物・・は極力敵に回したくないタイプだ。
 コバルトはそっと、その場を後にした。彼が本当にアマテラス兵を百人近く斬り伏せたか精霊なのかは分からない。しかしその可能性自体は存在していてもおかしくない。彼か、他の精霊か――もしかしたらこれ自体が嘘かもしれないが、一つだけ言えることがあった。
 帰る途中、地区住民が例の大声精霊をボコボコにしている現場を目にしたのが「答え」である。
 爽やかな風が吹いている。随分と涼しい風だ。コバルトはちょっと鼻歌を歌いたくなったが、流行の曲を知らなかった。
「静かになったな」
 アングイスのアパートに戻ると、彼女は落ち着き払った声でそんなことを言った。明らかに喜びを堪えられていない。カタカタと小言を呟くような振動を携えながら、レコードが音楽を吐き出している。黒板に爪を立てているかのような音をだすバイオリンの音色は、アングイスのお気に入りだ。
「ホンモノが出たからね」
 コバルトは少しぬるくなった紅茶を口にした。アングイスは「ふぅん」と返事をして、自分のカップに角砂糖を二つ追加した。



 ……数日前のことを思い出しつつ、コバルトは地区の奥で相棒のカラスに餌をやっていた。普通のカラスよりも随分と大きく(最低でも鷹ぐらいはある)、目が三つもあることを除けばほとんど普通のカラスだ。世間では魔物の判定になるが。
 いつになったら来るのだろうかと待ち続けて早三日。ようやっと目当ての人物が姿を見せた。地区の奥、お世辞にも治安がよいとは言えない場所でコバルトは足音に浮かれそうになる。それを異常だと判断したらしいラスターがあからさまに警戒を見せるのがちょっと面白かった。
「待ってたぞ」
 コバルト全力の歓迎挨拶にラスターがわざとらしく震えあがる。対してノアは首を傾げた。
「何かあったの?」
「何もなくなったのさ、お前さんたちが本物を連れてきてくれたおかげでね」
 コバルトはそう言って、夏の空を見上げた。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)