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【短編小説】哀れなリンゴ売り

 甘いリンゴと書かれた看板を持った男がやってきた。ギルド近くの道路に不定期に現れるリンゴ売りだ。リンゴ売りが店の準備を始めると、瞬く間に行列ができた。
「そんなにおいしいのかな」
「どーだろうね」
 村での依頼を終えたノアとラスターは、ギルドで依頼完了の手続きを終えたところだった。様々な人々が集まる商業都市アルシュでは、路上販売というものに対する風当たりも穏やかだ。これが王都ならそうもいかない。即座に騎士団がやってきて、店主を丁寧に追い出してしまうのだ。
 ノアは、リンゴ売りの男の様子を窓から眺めた。甘い(らしい)リンゴを並べる男は、リンゴの他にカンパ用の缶詰を置いている。人々はリンゴを購入した銀貨とは別に、缶詰に銀貨を入れていく。
 ぺらぺらと怠そうに新しい依頼書の束を捲るラスターは、欠伸混じりに呟いた。
「仕事のないアンヒュームか何かだろ」
 アンヒューム。古代語で「愛のない者」を意味するそれは、魔力を持たない人々に対する蔑称。最近は「ルーツ」という名称が使われることが多い。
 魔力を持たないということは、魔力を必要とする道具の類を全て使えない……という認識が人々の間では根強い。自分にできることができない人に対して、人々は優しく声をかける。その視線には優越感が含まれているのがネックではあるが。
「頑張って下さい」と老婦人が声をかけている。ざっと見たところ十数個のリンゴを購入しているようだが、あれだけの量のリンゴを何に使うのだろうか。
「今日も善行を積んじゃった」
 嬉々として語る恋人たちの姿がノアには歪んで見えた。
「あの人が本当にルーツなの?」
「看板に書いてる」
「でも、魔力を感じる」
「……アンヒュームは魔道具を使うために疑似魔力発生装置を持ち歩くんですけど」
 ラスターはため息をついた。そんなことも知らないのか、という様子であったが、落胆や侮蔑の感情はなかった。
「疑似魔力と性質が違う」
 即答するノアに対し、ラスターは興味なさそうに新着依頼リストを眺める。そのときだった。
 派手な音がした。リンゴ売りが殴り飛ばされている。「騙しやがったな!」と怒鳴る女はギルドでも有名な魔物退治屋だった。ノアはラスターを見たが、ラスターはあくびをして「ろくな依頼がなーい」と告げた。
 やはり、男はアンヒュームではなかった。アンヒュームを詐称してリンゴを売っていたのだ。行列はさっと形を崩し、どさくさに紛れてリンゴを蹴り飛ばす。勢いよく立ち上がったノアは外へ出ようとしたが、ラスターに腕を捕まれる。
「なぁ、ノア。この依頼どう?」
「ラスター」
「助けにいかないと」というフレーズをノアが紡ぐより早く、ラスターは腕を引く。ノアは素直に従った。それは彼の指示に従ったというわけではなく、判断に信頼を置いたからだ。
「やっぱ報酬があんまり美味しくない依頼ってちょっと嫌だよな」
 わざとらしく距離を詰めたラスターは、ノアの顔ギリギリに依頼書の束を近づけた。顔を隠すのが目的だろう。ノアは耳元でラスターの気配を感じた。どうやら、彼はノアの顔ではなくて自分の口元を隠すのが目的で、ノアはそれに巻き込まれただけだったらしい。
「……関わるな」
 ――きっと、ラスターは今とんでもないくらいに真剣な顔をしているはずだ。
 さっと距離を取ったラスターは、わざとらしく依頼書の束を整える。
「ノアはどんな依頼がいい?」
「え、あー……。依頼、そうだね」
「集中できてない?」
「まぁ、そりゃあ」
「……ああいうのはねぇ、ほっといていいんだよ。どうせ来週になったら別の場所で甘いミカン売りにジョブチェンジしてるだろうから」
 ノアはリンゴ売りの居た場所に目をやった。つい先ほどまでそこでリンゴを売っていた者がいたとは思えないくらいに、道は道の役割に戻っていた。
「それに、ああいうのはアンヒューム仲間からも嫌われてるから。後でコバルトに話を聞いてみるといい」
「なるほどね。なんとなく想像がつくよ」
 ふと、ノアはラスターの手元に視線をやった。信頼できるかよく分からないが、ノアの直感がよい依頼の気配を察する。ノアが手を伸ばすのと、ラスターが依頼書の束を捲る手を止めるのは同時。
 思わず笑った二人の傍で、ギルドの扉が開く。
 リンゴの匂いがした。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)