映画「母性」を見た
11月26日、私は映画館に数年ぶりに足を運んだ。
事の発端は数ヶ月前。
元々リルケが好きだったので、書店でリルケの本を漁っていたとき、丁度原作の文庫本が目に入った。
※尚、ヘッダー画像は私が所持している新潮文庫版リルケの書籍である。
「へー、リルケの詩が引用されているのか」と試しに捲ったところ開幕一発目から一番好きな詩が使われていたので速攻購入(チョロい)。
原作を読み終えたとき、「この作品が映像になったらどうなるのだろうか」と思った。
映画化するらしいが……映像にするのか? これを?
ということで見に行ってきました。映画「母性」。
感想なのだが、冒頭で書いたとおり、私は映画ファンというわけではなく「原作が面白かったので映画も見てみた」という人である。つまり素人。今ならオマケで「ド」もつけてド素人。
演技がどうとか演出がああだとか、そういった知識は一切無い。
そういう人がこれを書いているという前提を念頭に置いていただければ幸いである。
※ここから軽いネタバレの記載があります
結論を言うと……面白かった。
ちょくちょくカットされているパート(まるごとカットされている章も存在する)があるのも影響されているのか、シーンとシーンの間でたまにぶつ切り感を覚え、頭の中で原作の内容を思いだし、補完しながら「原作読んでない人に分かるのかなぁ」と疑問に思ったところはある。
結果、「ストーリーを楽しむ」というよりは「原作のここをこう表現するのか!」「あ、ここちょっと変更点がある」「あ、カットされてる」という「原作との共通点・相違点」を主軸に楽しんでいた。
どうしても感想が断片的になってしまうのだが、ご容赦いただきたい。
おばあちゃま(※ルミ子の母親)に「キティちゃんの刺繍」をおねだりする娘を見て、弁当を落とすルミ子のシーンは圧巻だった。
最初は、ショックで取り落とす。
「母が愛を込めて作ってくれた小鳥の刺繍じゃなくて、既製品を望むなんて……」という歪な絶望が確かに伝わる。
しかし娘の視点に移るとこのシーンは、能面のような顔で弁当を床にたたきつける……と、なる。これが「言いようのない怒り」を伴って勢いよく、しかし自然に落とす。ぬるっと落ちていった。弁当箱が。ぬるっと。
応援上映があったとしたらここで歓声上がるのかなとか考えた。何を応援するのかは分からないが。
原作小説の構成も「母視点」「娘視点」で同じ出来事を書く、という方式をとっているので、映像でもそこを再現していたのは正直驚きだった。
シーンとしては同じなのに、表情の差や行動の違いをここまで違うものとして演じる役者さんたちすごいな……(語彙の無い感想)と思った。
あと触れておきたいのは義母。
母親と家を失ったルミ子は一家揃って義母の家に転がり込むことになるのだが、義母はそこでルミ子をいびる。この義母のご飯の食べ方やドタドタ走ってくる演技がすごかった。義母に対する解像度の高さがすさまじかった。
終盤の「あんたそれでも母親か!」のところは一番見たいシーンだったのでカットされなくてよかった(されるわけがない)。
最後、この義母は随分と衰弱してしまうのだがその演技も圧巻。
本当にそういった症状を持っている人を連れてきたのかと思った(尚、映画「ふるさと」の伝三を見た時も同じような事を思った模様)。
映画が終わったあとの感触と、原作を読み終えたあとの感触の相違も非常によいものだった。映画の方がちょっとライトな感じがする。原作は「小康状態の天気」みたいだなと思った。映画は「薄明光線が見える空」みたいだなと思った。
この印象の差は人によって好みが割れると思うのだが、私はわりとどちらも好きだ。
総じて、「母性」という「小説」を「映像」にしたものの答えとしてはかなりアリだと思った。本の登場人物や世界をそのまま映画に引っ張り出してくれたかのような構成・演出がとてもよかったと思う。
前々から「原作小説実写映画化! 結果微妙!」みたいないくつかの事例を見ていたので正直戦々恐々としながらチケットを握っていたが(ごめんなさい)、いざ終わってみると面白かった。見てよかった! の気持ちになったので皆さんも映画館に足を運んでみてください。
そしてもう映画は見た! という方。
もしよかったら原作小説も読んでみてください。
映画と違う部分や映画ではカットされたパートもあって、そういう違いも含めて面白いので是非。是非是非!
……もう一回amazonへのリンク貼っておきます(執拗)。
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