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【短編小説】仮面の亡霊剣士

 木材のいい匂いがする。
 コガラシマルは滑らかに研磨された木の肌触りを楽しみながら、少し陽気な足取りで街を回っていた。町民が「あら、お面」と言って話しかけてくれたときには足を止めて、当たり障りのない話をする。
「ほんとに気に入ったの?」
 ヒョウガの冷ややかな視線に、コガラシマルはあえて気が付かないふりをしている。
「無論。顔がいいだのなんだのとのたまって、こちらに媚びてくる女がいないのは良いことだ」
「…………」
 ヒョウガはお面を見た。旅の途中に立ち寄ったこの町では、木工芸が盛んであった。ふと目についた土産屋に足を踏み入れた際に見つけたのがこの木彫りの面。絵具で抽象的に描かれた顔にはどこかノスタルジックな雰囲気があり、実際この店で一番人気の品らしい。
 この面で、コガラシマルは顔を隠した。元々整った顔立ちをしている彼に見ほれる女はわりと少なくない。まともな人間ならば契約者のいる精霊には手を出さないのだが、どうもコガラシマルの顔面には理性か何かを吹き飛ばす類の魅力があるらしい。実際旅の道中でもよく分からない菓子だとか花を受け取る羽目になっていた。菓子は手作りだったので適当なところに捨て、花に関しては受け取った瞬間に冬の魔力でしおれたのでやはりこちらも即捨てた。
 その苦労自体は分かる。アマテラスによる精霊自治区侵攻から今に至るまで、彼が顔で苦労していることをヒョウガはよく知っている。だが、だからといって仮面をかぶらなくてもいいじゃないかと思わなくもない。「顔がみえない」ということは同時に「何を考えているか分からない」ということにもなる。魔力の動きである程度判断がつくとはいっても、泣こうが笑おうが目に見える顔は同じ……というのは不気味でもあるし、何よりつまらない。
「ヒョウガ殿も揃いの面をつければよかったのに」
「オレは、いい。前見えなくなるし」
 面にはのぞき穴がない。コガラシマルが歩けているのは何かを見るのに目を介さない方法があるからで、ヒョウガが同じようにして歩いたら壁か何かにぶつかるに決まっている。
「別に顔につけずとも、頭につけても問題なかろう」
「それだとなくしそうだし、……?」
 ふと、ヒョウガは足を止めた。主の変化に気づいたコガラシマルも足を止める。嫌な物音だった。ここから少し先には森の入り口があり、町の人々はそこで木工芸に必要な材料を得る。豊かな森というだけあって猛獣はもちろん、魔物も住み着いている。だからなのか、この町の人々は小規模のゴブリンくらいなら楽に退治できるぐらいの腕っぷしがある。
 だがそれは、こちらが主導権を握ったうえで、予期せぬ出来事がなく、理想通りの戦いができる場合に限る。
 つまり、例えば――。
「コガラシマル、行って!」
 闇夜に紛れた不意打ち、とかには対処できない。
 ……断末魔が聞こえる。ヒョウガは暗闇に目を慣らしながら、慎重に物音の方に向かう。原因は向こうからやってきた。涙と鼻水で顔をぐじゃぐじゃにした女がヒョウガめがけて飛び込んできたのである。情けない悲鳴を上げそうになったのをすんでのところでこらえたヒョウガに、女はかろうじて、といった様子でこう告げた。
「亡霊が、亡霊が……!」
「ぼ、亡霊?」
「石を思いっきり投げて怯ませた隙に逃げてきたの、早くあなたも逃げましょう」
 女はパニックぎりぎりの淵でなんとか理性を保ちながら、ヒョウガの手を取って町の方へと駆け出す。ヒョウガは何がなんやら分からなかったが、ひとまず女に合わせて足を動かした。この女、やたら健脚だ。ヒョウガをひっぱりながらというハンデがありながらも相当なスピードで走っている。
「ぼ、亡霊に襲われたんですか?」
「そうよ! 魔物に襲われたところに亡霊もきたの、泣きっ面に蜂!」
「魔物に襲われてたところに……」
 ああ……。ヒョウガはすべてを察した。いきなり魔物を斬り殺した仮面の亡霊剣士コガラシマルを見て、女は気が動転したのだ。近くに転がっていた石を適当に投げて牽制し、コガラシマルが怯んだ隙に全速力の猛ダッシュ。ヒョウガはちらりと自分の手首を見た。女はまるで獲物を捕らえた鷲のようにヒョウガの手を掴んでおり、振りほどくなどという芸当は不可能だった。わしづかみ、という言葉があるがあれは的を射る表現だな、とヒョウガは思った。
 逃げる途中、ヒョウガはちらりと背後を見た。
 木彫りの面をつけたコガラシマルがこちらに顔を向けているが、当然ながらその表情は分からなかった。女は町の中に飛び込み、そのまま魔物対策組織のところへと向かった。ヒョウガは試しに女の手を振りほどこうとしたが、彼女の爪は今だにヒョウガの手首に食い込んだままだ。
「剣士の亡霊が出たんです!」
 女がそんな説明をするが、魔物対策組織の人々は眉唾といわんばかりの態度。そのうちの一人がヒョウガの方を見るが、ヒョウガは「見てません」と答えた。
「この人が、パニックになって。それでここまで連れてこられ……」
 ました、という声はか細くなる。女が「私は見たもの!」と声を張り上げたからだった。女がヒョウガの腕を掴んだままであると気づいた男が、女の指をゆっくりとヒョウガの腕から引きはがす。
「もう行っていいよ」
「いいのか?」
「うん。あの女の人、結構大げさな物言いをするから」
 いつものことだよ、と言って、男は小指で耳穴をほじった。ヒョウガは軽く会釈をして、素直に宿に戻った。
 コガラシマルは先に戻っていた。仮面が外れている。不機嫌そうな精霊に、ヒョウガは「座って、」と指示と一緒に座布団を出した。こういうとき、コガラシマルは素直にヒョウガの指示に従う。すん、と姿勢よく正座をするコガラシマルの後ろで、ヒョウガは彼の頭を確認する。
 ……こぶになっている。冷やす必要があるが、わざわざ氷嚢の準備はいらない。魔力で勝手に冷えるからだ。
「でも、お面があってよかったな」
 ヒョウガの視線がこぶからお面に移る。お面は無事だ。……追い詰められた女が全力投球した石のせいで思いっきりへこみが生じているのを、無事といえるのであれば。
「よくはなかろう!」
 コガラシマルが声を張った。
「某は魔物を斬っただけ、だのに無事を確認しようとしたところに石を投げられぶつけられ……!」
「だって、暗がりでこのお面見たら結構怖いし。それにお面がなかったら今頃おでこにもコブができてただろうし」
「それだけなら百歩譲ってまだしも……! たまらず投げつけられた石を刀ではじいたら、化け物ときた!」
「でもコガラシマルがお面つけたのって、そういうのがよかったんじゃないの?」
「何?」
「だって、いつも通りに顔を見せてたら、『助けてくれてありがとう、ステキ!』って言い寄られてたと思うんだけど」
 ヒョウガの正論に精霊は黙り込む。ふー、と長い溜息が聞こえてきた。ヒョウガは明日の予定についてぼんやり考えながら、コガラシマルの反応を待つ。腕を組んだり頭を抱えたりしばらく忙しくしていたが、開き直ったのか急に姿勢を正して堂々と構えた。ヒョウガが少し緊張して、ごくりと生唾を飲み込むが、
「ままならぬものだな」
 ようやっと出てきた結論は、あまりにも当たり障りがないものだった。
「……そうだなー」
 持ち歩いていた万能ぬり薬をコガラシマルの頭に塗りながら、ヒョウガは適当に返事をした。

 ……その日のうちに「仮面の亡霊剣士討伐依頼」がギルドに飛んでいくことになるのを、二人は知らない。


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)