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【短編小説】変わらない、日々

こちらの後日譚です


 あまりにも平和すぎる。
 新人教育の依頼の一件で、ラスターは少し臆病になっていた。道を行けば石を投げられるかわいそうな魔力ナシアンヒュームを気取りたいわけではないのだが、かつてのように・・・・・・・もっとひどい変貌を見せるものだと思っていた。
「そりゃあそうさ。お前さんの場合は運が悪かっただけだ。普通はアンヒュームだってバレたところで石なんか投げられない。アンヒュームとかかわった娘の遺骨を引き取り拒否するなんてこともないし、暴言を投げてくるなんてこともないさ。まぁ、絶対にありえないとは言い切れないが」
 酒場・髑髏の円舞ワルツ。異常なまでに油の多いカプレーゼに渋々手をつけながら、コバルトは喉をグウグウ鳴らした。
「もっとも、俺はこのナリだから表通りに出た瞬間石を投げつけられるけどね」
 ちっとも笑えないジョークを黙殺し、ラスターは「ノアは、」と話を切り出そうとして、やめた。しかし、コバルトにそんな思いやりなど存在しないのだ。
「ノアもいつも通りだよ」
「……俺は何も言ってねぇぞ」
「言わなくたって分かるさ!」コバルトはいよいよ笑いだした。「自分のせいでノアが不幸になったらどうしようなんて、そんな不安ことばっかり気にしやがって」
「気にするよ、気にするさ。俺は別にいいんだ。だけど俺のせいでノアが悪く言われるのは耐えられない」
「だからノアのケツばっかり追っかけてるのか」
 ラスターは飛び上がった。コバルトはにやにやとしている。
「ノアは全く気付いていないが、同業オレにはバレバレだぞ。もっとうまくやりな」
「そうするよ」
 コバルトはウイスキーの瓶をラスターから奪って、自分のグラスに中身を注いだ。
「……そうじゃねぇだろ、バカたれ」
「じゃあ何だってんだ」
 コバルトは返事の代わりに、グラスの中身を一気にあおった。
「現に、アイツは俺のせいで死んでるし、俺のせいで故郷の村にも帰れない」
「おや、まだ吹っ切れていなかったのか」
 ラスターはテーブルに銀貨を置いて、席を立った。
「……そう簡単には無理だ」
 外に出ると、頭上を影が通り抜けていった。鳥が飛んでいる。羽がわずかに青い輝きを見せているので、コバルトが手懐けている三ツ目のカラスだろう。
 歩きながら口元をぬぐう。少し飲みすぎたかもしれない。適当な空き家で少し休息をとろうかと考えたとき、背後に気配を感じた。
 相手が声をかけてくる前に振り向くと、そいつはなぜか飛び上がって驚いていた。
「久しぶりだな、ラスター」
 そう言って笑う相手が誰だったのか、思い出すのに少々時間がかかる。
「あー、久しぶり。久しぶりすぎて誰だか思い出せないくらいに久しぶり」
「おいおい、冗談にしては笑えないぞ」
 全くその通りだなと思う。相手の指には趣味の悪い金の指輪がごろごろと収まっている。そこでラスターは、この男が金さえもらえるのならどんな汚れ仕事でもやってのける暗殺者だと気が付いた。名前もそのまんま「ゴールド」だ。
「……ていうかジョーンはどうした? いつも一緒にいなかったか?」
「ジョーンは死んだ」
「死んだ?」
「そ。俺が殺した」
 ラスターは目を見張った。
「殺した? 何で。あんたと長く組んでたのに……」
 ゴールドはラスターの目の前で、金とダイヤの腕輪を示した。ごつごつとしたデザインは美しさよりも厭らしさの印象が勝つ。
「同じ銀貨八万枚なら、ジョーンよりもこっちの方がいいなって」
「へぇ」
 ラスターは適当な声を出した。
「そんで、俺になんの用事? 声をかけてきたってことはそういうことだろ。まさかその腕輪の自慢をするために来たわけじゃなさそうだし」
 ゴールドはにやりと笑った。すべての歯が金歯だった。
「なぁラスター、俺と組まないか?」
「あんたと?」ラスターは思わず嘲笑をこぼした。
「嫌だよ。あんた、金のためなら長らく連れ添った相棒だって裏切るようなやつだもん」
 ゴールドはガハハ、と笑った。
「あんたのことは裏切らないよ。ほんとにほんと」
「俺のことは銀貨何枚で裏切る予定なんだ?」
「いや、マジだって! 今度はきちんとホント」
 絶対嘘だ。ゴールドは完全に忘れているようだが、コイツが金のために相棒を裏切ったのはこれで四度目になる。同じような裏切りを受けたコバルトからは完全に嫌われており、情報提供をいっさいしてもらえない。そんな状況でも普通に暗殺任務をこなせているのは最早一種の奇跡だろう。
 ラスターは心底あきれながら、ゴールドの勧誘をきちんと断ろうとした。その前に、彼はとんでもないことを口にした。
「変わり者の魔術師を相方にするよりも、同業者の方がいいに決まってるじゃないか」
 棘のある物言いに、ラスターは少しだけイラついた。
「俺はそんな魔術師を相棒に据えた覚えはないが」
「よく言うよ!」ゴールドはゲラゲラ笑った。
「アレが変わり者じゃなくてなんだっていうんだ?」
「……は?」
「そもそも冷静に考えてみろよ。ああいうのは、魔術師界隈に居場所がないから俺たちアンヒュームに媚びを売るしか芸がないんだ。もっと可愛がってくれる魔術師が現れれば、俺たちなんてポイだぞ。その点俺はお前と同じアンヒュームだ」
 ラスターは「あんたと一緒にするな」という言葉を飲み込んだが、飲み込まなければよかったと酷く後悔した。ついでに唾も吐いておけばよかった。一体何を遠慮する必要があったのだろうか。
「……銀貨十万枚」
 それに、もっとヤバい一言をこぼしてしまうのなら、まださっきのセリフの方がマシだった。
 ゴールドの顔色が少し曇った。ラスターは侮蔑を込めて彼を睨んだ。
「ノアの首を晒せば、そのくらい稼ぐのは余裕だろうな」
 ゴールドは視線をそらした。このような低俗で三流の暗殺者がいまだに活動できている理由を、ラスターは理解できなかった。
「まぁ、それも三割くらいある、けど」
「俺の気が変わる前にとっとと失せろ」
「聞けよ! いいか、魔術師がどんなクソ野郎なのか忘れたわけじゃねぇだろ? あいつは可哀そうなアンヒュームに付け入って、」
「あんたにノアの何が分かる!」
「何も知らねぇさ! ただ、俺たちをクソみたいな目で見て石を投げて汚ねぇ街に押し込めたヤツだってことは分かるよ!」
 ――何もわかってない。
 一周回っていよいよ落ち着いてきたラスターは、目の前の××野郎をどうやって殺すかを冷静に見極めようとしていた。しかし相手だって腐っていてもプロの暗殺者。ラスターの雰囲気が一気に変わったのを即座に察知し、別のカードを切り始めた。
「まぁ待て。俺だって別にあんたを怒らせたいわけじゃないんだ」
「そうか。そりゃあ残念だ。俺はとっくにどうにもならないくらいにブチギレててどうにもならなくなってる」
「俺はホントにあんたと組みたいんだよ」
「だろうな。俺と組めばコバルトから情報もらえるもんな」
 ゴールドの顔が一気に歪んだ。
「あんなゴブリン人間なんざ頼らねぇよ!」
「安心しろよ、あんたと組んだ時点でコバルトとは絶交確定だから」
「ラスター」
 ゴールドは穏やかな口調で語りかけた。
「俺はお前と組みたい、それだけさ。気が変わったら連絡してくれ」
 ゴールドは小さな紙きれをラスターに握らせて、ラスターが来た方の道を走って逃げて行った。
 殺しておけばよかった、と思いながら、ラスターはフォンに紙切れを燃やすよう命じた。そのとき、フォンがラスターの後ろを気にするような仕草を見せたのでラスターはゆっくり振り向いた。
「……見てた?」
 ノアが無言で頷いたので、ラスターは少し疲れてしまった。
「どのあたりから?」
「変わり者の魔術師のあたりから」
 想定より結構ガッツリ見られていた。ラスターは頭を抱えそうになった。見られてなければまだ工夫の余地があったが、全部バレているのならもうどうにもならない。
「ごめん、助太刀すればよかったね」
 ラスターは一言「平気」と答えた。実際、あそこでノアが出てきていたらもっと話がこじれていた。
「……ああいう感じのこと、ノアも言われたことある?」
「うん。何度かある。……魔物退治屋なんかやめて魔術協会に所属しろとか、結構言われる」
 ノアはノアに向けられて放たれたラスターへの悪口を口にしなかった。沈黙としてうまく飲み込んだ。ラスターは肩をすくめた。彼なりの悲しみの表現だ。
「同じなんだな、俺たち」
 その言葉はあまりにも自然な吐き出され方をしていた。ノアは少し驚いた様子であったが、すぐになんとも言えない微妙な笑みを目元だけで作った。
「……そうだね」
「どうせならもっと嬉しい共通点が欲しかったな」
「共通点ならあるよ」
「へぇ? どんな?」
 ノアはちょっとだけ黙った。共通点を一生懸命考えているらしい。話したいことをうまく整理できていない子供のような仕草に、ラスターの心は少し凪いだ。
 ノアの口元が小さな「あ」を作る。何か見つけたようだ。ラスターは答えを待った。
「……カラメルリンゴパイが好き、とか」
 それを聞いたとき、ラスターはおかしくなってしまった。
「カラメルリンゴパイはあんたの好物じゃないの?」
「そうだけど、ラスターもすごーくおいしそうに食べるから好きなんだと思ってた」
 確かにあれはマズい食べ物ではない。美味い部類に入る。好物を問われたときにぱっと思い浮かぶ料理ではないが、好きか嫌いかで問われたら好きと答えるだろう。
「……もしかして、俺だけがそう思い込んでただけ?」
「いいや」ラスターは即座に修正を入れる。あの味と出会う頻度が下がってしまうのは惜しい。「俺も好きだよ、あれ」
 ノアが柔らかい笑みを見せた。
「買って帰ろうか」
「いいけど、今から行ったら売り切れてるんじゃないか?」
「そうかもしれないけど、走ったらチャンスはあるかもよ」
 行こう。そう言って、ノアはラスターの手を取った。


 息を切らせたゴールドは、その勢いのまま手近な酒場に入った。扉が開いているということは、営業中ではなくとも何かしら食い物を出してくれる可能性がある。
「シケた酒場だなぁ……」
 奥の方で酒盛りをしているらしい人影がいたので、ゴールドは軽い挨拶をしてその人の向かいに腰かけた。
「…………」
 やたら油でギトギトしているカプレーゼを食べていたその人物は、ゴールドのことを思いっきり睨んできた。そしてこう言い放った。
「お前さん、懲りずにジョーンを裏切ったな?」
 ドスの効いた声で怒りを示すコバルトのことを、ゴールドは鼻で笑った。
「あいつは銀貨八万枚よりも価値がなかっただけさ」
 コバルトは無言で銃を取り出した。ゴールドは上着をめくった。金色の軽鎧がコバルトの目に刺さる。これはこの銃に入れてある弾ではブチ破るのに難儀する類の防具だ。……武器を変える隙を簡単に与えてくれるほど、ゴールドはバカではない。
 コバルトが渋々銃をしまうのを見て、ゴールドはにやにやと嫌な笑みを浮かべた。そうして、テーブルにあった誰かの飲みかけを口にした。長距離を走って喉が渇いていたのだ。
「立派な鎧だこと」コバルトの皮肉が飛んだ。
「まぁな」ゴールドは腕輪を撫でながら答えた。
「この鎧があれば並大抵の攻撃は安心して受けられる。あんたは俺を三流だと笑っていたが、例え三流でもこういった創意工夫をすれば一流になれるのさ」
 コバルトは最後のカプレーゼを口にした。そしてゆっくりと口を開いた。
「三流だよ」
 淡々と、ただ事実を告げるようにして。
「誰がいるのか分からないくせに、自分の存在を真っ先にアピールするところが、特にね」
 そして、じっとゴールドを見つめた。
「おかげで特別な準備ができた」
 ゴールドは返事をしない。代わりに息を詰まらせる。先ほどのグラスに視線をやる様子はあまりにも滑稽で愚かであった。今更気づいたところでどうにもならないというのに。
「安心しな」安物のナプキンで口元をぬぐったコバルトは、ゴールドの目を見た。徐々に焦点が合わなくなっていく。死に近づいている証拠だった。
「その黄金は、きちんと再利用してやるよ」
 そして、泡を吹き続けるゴールドを嗤った。



 (もしも自分の大切な人が、自分の視野の範囲外で助けを求めていることに気がつかなかった場合、「仕方ない」と開き直れるほどノアは達観していない)


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)