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【短編小説】友の躾 #2

 こちらの続きです。

 二人は何も言うことなく、黙ってB区域に足を踏み入れた。何かが変わるわけでもない。ただの地区の一角。ノアはラスターの少し後ろをついていった。土地勘のある彼なら避難所の場所も大体どこなのかが分かるらしい。現にところどころ壊れかけの家屋が目立つようになっていた。
 獣と銃の声はしない。人々の叫びだけがこびりついている。ラスターの表情が険しくなるのを、ノアは視界の端でなんとなくとらえていた。
 B区域の避難所、という情報だけで、ラスターはその場所を見事に当てた。
 曲がり角を曲がった瞬間に飛び込んできたのは混乱そのものだった。
「ギルドの人!? 早くあいつを倒してよ!」
「怪物はC区域……あの建物の方、わかる? あっちに行ったぞ」
「目の前で、目の前で、あの子が……食べられて、私、何もできなかった、何も……」
 入った瞬間に様々な人からあれやこれやと情報を投げつけられる。強烈なエタノールの匂いが鼻腔をえぐり、治療の痛みに叫ぶ人の声が鼓膜を破る。ノアは軽いめまいを覚えた。
「医者は? 治療魔術師は? 誰でもいい! 助けてくれ!」
 一歩踏み出そうとしたノアの腕をラスターは引いた。治療魔術師、の文言を聞いて彼らに加勢しようと考えたのだろう。
「俺たちがすべきことを見誤るな」
「……そうだね」
 ラスターは「俺たちはキメラ退治に行く」と地区住民に告げた。住民ははっと息をのんだ。
「気を付けてくれ、俺が知ってるだけでも四人は食われてる」
 住民の手は小刻みに震えている。相当恐ろしい思いをしたのだろう。
「……四人も?」
「ああ。地区の精鋭たちが束になって餌になったんだ」
 ラスターは困惑した。
 地区の精鋭――つまり、地区を守るために暗躍している暗殺者や情報屋といった類の連中が、揃いもそろってキメラに食われたということだ。そんなバカな話があるだろうか。確かに彼らは魔物退治屋ではない。どちらかというと人を殺す方が得意だ。が、普通の市民と比べれば遥かに戦闘慣れしている。キメラを倒すまではいかなくとも、キメラに致命傷を与えるとか、追い払うとか、そのくらいならできそうなものだ。
「いったい何があった?」
 ラスターは極力、極力平静を装った。
「地区の精鋭が……最低でも四人食われたってことか? そんな、そんな話が」
「あるんだよ!」
 住民は叫んだ。
「俺は見たんだよ! 遠くからだったけど、本当に! 情報屋連中がキメラを撃とうとした瞬間、変に体勢を崩して……そのまま……」
「キメラが攻撃を仕掛けたのか?」
「勝手に転んだんだ。キメラの動きを罠で封じた後、キメラの目を潰そうとして失敗して、そこから……キメラは罠を抜けて、みんな……」
 住人は俯いた。ラスターはますます訳が分からなくなった。
「急いだほうがいいな」
 頭の中がぐちゃぐちゃになっている。一体何が起きているのか。ラスターはノアの顔を見た。ノアも同じことを考えていたらしい。
「どうやって倒す?」
「……透明化はなんとかなる。だけど……不可解な点が多すぎる」
 ノアは迷った。方針が決まらないまま出発するわけにはいかない。少し作戦会議をするべきかもしれない、という提言をしようとしたところで、けたたましい鐘の音がした。
「魔物が来る!」
 ラスターと話をしていた住民がそう叫んで飛び上がった。見ると他の住人達もばたばたと簡易的なバリケードを作ろうとしている。彼らの大半はケガ人だった。先に来ていた魔物退治屋や地区の腕利きが武器を構えて円陣を形成する。
「ラスター、外に出よう」
「迎え撃つのか?」
「それ以外方法がない!」
「了解」
 バリケードを飛び越えて、ノアとラスターは気配の方を見た。夜に紛れたキメラが眼光鋭くこちらを見つめている。二人が外に飛び出すのと同時に誰かが障壁魔術を展開したようだ。ペールグリーンの光が地区の避難所を包んだ。
「動きを止めさえしてくれれば、あとは俺でもなんとかなる! 頼んだぞ、ノア!」
「分かった!」
 ありったけの身体強化魔術をラスターに展開し、ノアはキメラを見据えた。す、とヤツの姿が消える。が、二人は冷静だった。
 姿を消すといってもそれは色が透明になるだけの話。馬鹿正直にこちらに突っ込んでくるのであれば、迎え撃つことはできる。小石が、小さな瓦礫が、意味もないのに跳ねていく。奴が蹴とばしている証拠である。
 先にノアが魔術を展開した。身体拘束魔術をより強固にしたものである。人間相手に展開した場合は体の弱い者なら心停止の恐れがあるレベルのもの。キメラの動きが明らかに鈍る。透明だった体が色を持つ。だが――。
「っ!?」
 その猛獣は、ノアの想像よりも強大な力を有していた。
 キメラは視線をノアに向けた。自分の自由を奪う現況を捉えた。そして、拘束を無理やりほどいて猛進する。ノアがわずかにふらつく。術を解かれた反動だ。キメラは弱った獲物に向かって思いっきり爪を立てようとして――それが「隙」になる。
 動物の死角なんざ知ったことではないが、ラスターはキメラの意識を自分から逸らせることに成功した。まずは動きを潰すところからだ。的はデカければデカいほど当たりやすい。投擲ナイフでキメラの右後ろ脚を攻撃し、キメラの顔をこちらに向かせる。
 ボウガンを構える。
 この距離。対象の動きは止まっている。このチャンスを――。
「ダメ!」
 台無しにする者がいるということは、ちょっと忘れていたかもしれない。
 それは子供だった。ラスターの全身から嫌な汗が落ちる。
 地区の精鋭。食われた。突然転ぶ。
 その様子を見ていた住人は、彼らから離れた位置にいた。
 キメラの頭がこちらを向く。
「ニャニャをいじめるなー!」
 その声はノアにも聞こえていた。ニコラスという名前の彼は今好き勝手暴れているキメラ――ニャニャと特に仲が良かった。彼にとっては大切な友人が攻撃されている状況。耐え切れずにニャニャをかばうのは当然ともいえる――例え、彼が罪なき市井の人々を食らっていたとしても。
 ノアは声の方を見たが、ヤツの方が速かった。
「ラスター!」
 即座に障壁魔術を展開するも、襲い掛かったのは魔術の反動だ。キメラの爪が何かを抉ったようだった。粘度のある液体がまとわりついているのが見える。ノアの肝が急激に冷える。キメラの一撃を食らった建物にヒビが奔る。
「ニャニャ! かえろう!」
 子供はぴんぴんしている。となればラスターが一撃を食らった可能性が高い。
 ニャニャと呼ばれたキメラは、建物の壁の崩壊した一部に前足を突っ込んで何かを取り出そうと躍起になっている。が、ぎゃあああ、と大きな悲鳴を上げて、手をひっこめた。
「ニャニャ、けがしてる!」
 光に照らされて見えたものはラスターの愛用するナイフだった。あれは確か仕込みナイフの一種で、何かに突き刺すと刃の部分から毒がにじむタイプのものだ。
「だいじょうぶだよニャニャ、いまなおすから!」
 子供はそう言って傷薬を取り出した。高級な塗り薬の一種で、欠点としては魔力を持たない者には効果がない点が挙げられる。その代わり効能はすさまじく、塗るだけでほぼすべての外傷を治療できる。子供は瓶の中の薬を惜しみなく使い、傷口だけでは飽き足らず全身に塗りたくっていた。
 子供がキメラのケガを治している間に、ノアはラスターがいるはずの建物の内部へ入った。
「全部つじつまが合った」
 左腕を抑えたラスターが、痛みに顔をゆがませている。
「ラスター、ごめん、俺の障壁魔術が」
「あんたのせいじゃない、子供の動きを読めなかった上にひるんだ俺の責任だ」
 ノアは治癒の魔術を展開させようとしたが、ラスターに止められた。
「薬塗ったから大丈夫だ……。まずここから出るぞ」
「でも……」
 ノアは傷口を見た。血は止まりかけている。薬の効能だろう。
「あのガキが、キメラに攻撃を仕掛けようとしてたやつを止めたんだ。その隙にあのキメラが暴れた。単純な話だ……誰も、……」
 ラスターは少し考えこんだ。
「誰も、罪なき子供を殺したくはないだろうからな」
 ノアは何も言わなかった。代わりにラスターのペンダントから影が飛び出した。影の魔物であるフォンが、おとりを買って出たのだ。
「まって!」
 子供の声を無視して、キメラが遠くへ駆ける音がする。その隙に二人は建物の外に出た。その時だった。
「ニャニャーッ!!」
 悲鳴だった。
 キメラの巨体が崩れている。奴が体勢を整えようと体を起こしたとき、ノアもラスターも気が付いた。右目が潰されている。
「やだー! やだよぉ! ニャニャをいじめるな!」
 子供の必死の訴えに対する返事は、銃の咆哮だった。
「うわあああっ!」
 ……地区の人々だって、人間だ。
 魔術師から受ける理不尽に暴力で立ち向かうことに抵抗を覚えなくとも、子供相手に暴力を振るうことには抵抗を覚える。
 だが、すべての人がそうであるとは限らない。
 特に――。
「ようやくだ、ようやく……ここの奴らを何人食った? この××猫が!」
 彼に関しては、例外の代表ともいえるだろう。
 ノアたちのいる建物の反対側の路地で銃を構えていたコバルトは、情け容赦なく子供を撃った。といってもかすり傷程度だ。もっとも、それは狙った結果ではない。コバルトは脚の真ん中を銃弾でぶち抜くつもりだったはずだ。手元が少々狂ってしまっただけのこと。
 キメラは大事な友人であるニコラスが痛みに悲鳴を上げ、のたうち回る姿に足を止めた。
 ラスターは思ってしまった。その手があったか、と。
 キメラにとってニコラスは大事な友人だ。彼が傷ついたとなればその場を離れることはない。そうなれば、あとの展開は決まっている。ラスターは顔を上げた。建物から不自然な光が散らばっている。
「やだー! ニャニャをいじめるなー!」
 あとは、動きを止めたキメラを撃てばいい。
 だが……ニコラスは立った。脚から血が流れている。銃を構える人々は、ニコラスに当たるのを恐れて引き金を引けない。ラスターは思った。あそこで銃を構えているのは同業者ではなく、ただの猟師が多いのだろう、と。
 キメラはニコラスに寄り添っているが、今にも狙撃手全員を食ってやるという殺意に満ちている。
「ガキを撃ちたくない、ガキに弾が当たるかもしれない……それでお前さんたちが引き金を引けないってなら」
 膠着状態は長くは続かなかった。
 コバルトが二発目の銃弾をニコラスに当てようとしたのだ。
「俺が先にガキを殺しておけばいいだけの話だからね!」
 幸いというべきか不幸にもというべきか。銃弾は当たらなかった。恐怖から地面に倒れこむニコラスに、コバルトは三発目の銃弾を放つ。キメラはニコラスに覆いかぶさった。狙撃手たちが引き金を引く。ニコラスをかばうキメラにのみ銃弾が当たる状況になったからだ。
 銃が吠え続ける。キメラの断末魔が地区を包んだ。
「やったか?」
 狙撃手の一人が疑問を投げた。キメラはじっと動かない。銃弾に抉られた傷からは静かに血が流れ、肉体が動く気配はない。
 なかったはずなのだが。
「!」
 その油断を待っていたのだろう。キメラは翼を広げた。
「飛ぼうとしてる……?」
「飛べないように翼は切ってあるって――」
 ラスターはそこまで言いかけて、思わず己の口に手を添えてしまった。あのとき……仕込みナイフで反撃をした後の、子供がキメラに薬を塗ったとき。彼は自分の知らない箇所の傷を治すために、キメラの全身に薬を塗っていた。
「ヤツを止めろ! アイツは飛行能力を取り戻してる!」
 ラスターの声と同時に、獣は友人を咥えて夜の空へと駆けた。ギルド側の障壁魔術のおかげで地区の外には出られないはずではあるが、頭上に人を食う獣の影があるとなればパニックは容易に伝染する。
 空へ逃げたキメラに大きな影が立ちはだかる。フォンがキメラにまとわりつき、なんとか地上に引きずり下ろせないかを試している。だが、ここでも子供が邪魔をした。自在に動いていたフォンが急に縮み上がったかと思うと、力なく地面に落ちていく。
「あのクソガキ! 聖水をぶちまけやがった!」
 フォンは元気のなさそうな動きで命からがらラスターのペンダントに戻ってきた。
「規格外すぎる」
 ノアが呆然とした声で呟いた。
「そこにガキの邪魔まで入るんだぜ、やってられない」
「…………」
「まぁ、だけど、俺たちが匙を投げたら次は商業都市だ」
「……いろいろと、疑問が残る。どうしてあのキメラはあんなに強いんだ?」
 ラスターは何か答えようとして、口を閉ざした。ノアの言うとおりだ。体を透明な色にするだけの能力で、束になった魔物退治屋を蹴散らすなんて話はそうそうない。犠牲になった魔物退治屋「流星の翼」だって経歴だけで言えばノアたちよりもベテランだ。
「そもそも脱走の原因は何だ?」
 今度はラスターが疑問を呈し、ノアが口を閉ざす番だった。サーカス団の人々ですら脱走の理由を知らないのだ。誰にも分かるわけがない。
 ラスターは空を見た。キメラの姿は見えない。見えないだけである。なぜならキメラが透明化できるのは自分の姿だけなので、彼に咥えられている子供はそのままだ。銃弾を食らった子供の安否が不安要素だが、おかげでキメラの位置は分かる。
「あのキメラは炎を吐くのか?」
 そんな二人に、問いを投げる者がいた。それは喉をぐうぐうと鳴らすことなく、じっとふたりのことを見つめていた。ノアは息をのんだ。
「襲われたのか」
 先にラスターが声を上げた。コバルトは鼻を鳴らした。
「これが、転んでケガをしたように見えるか?」
 服の隙間から血がにじんだ包帯が覗いている。頬にも何かがかすったらしい痕があり、ずいぶんと派手にやられたようだ。常日頃から気難しそうにしている顔はさらに強張っており、声の調子からも痛みを我慢しているというのは分かった。
 肩が上下している。息をするのも辛いのなら、会話はなおさら体力を消耗する。それでも憎まれ口をたたくだけの元気はあるようだ。
「あんたは診療所に戻ってろよ」
「…………」
 コバルトの目はラスターの左腕に向けられた。
「あのキメラは炎を吐くのか?」
 そして、同じ問いを投げた。ラスターは急激な疲労を覚えた。
「吐かない。透明になれるだけ」
「そうかい」
 キメラのうめき声が聞こえた。すかさずノアが口を開いた。
「診療所には」
「戻らない」
 食い気味な答えだ。ラスターはさらに強い疲労を覚えた。ノアはコバルトに近づこうとしたが、牽制の銃撃に足を止めた。近づくなという指示だ。懲りずに足を動かした瞬間、今度はラスターに腕を引かれた。
「そんなに治癒の魔術を使いたいなら、避難所に行けばいい。医者が足りていないからちょうどいいだろうよ」
 コバルトはゆっくりとノアたちに背を向けて、朝もやに満ちる地区の奥へと姿を消していった。ノアは思わずラスターの手を振りほどき、コバルトを追いかけようとした。
「ノア!」
 ラスターが叫ぶのと、天空から黒い塊――コバルトの使役するカラスの魔物・ネロがこちらめがけて急降下してきたのは同時であった。

 2024/8/20 21時頃 更新予定


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)