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【短編小説】奇跡の子 -前編-

 酒場・髑髏の円舞ワルツがやたら賑わうとき、大抵ロクなことになっていないというのはラスターの経験則である。扉に手をかけたとき、ふと嫌な予感が眼前をよぎったので、ラスターは戸を引くのと同時に姿勢を低く取った。案の定、先ほどまで自分の頭があった場所をメスが通っていった。
「帰れクソ患者!」
 ご立腹の医者にコバルトが首を横に振る。
「睡眠薬なら他を当たった方がいいぞ、ラスター」
「いや、睡眠薬じゃなくて毒薬の調達に来たんだけど……それよりも何があった?」
 メスが飛ばないことを用心深く確認し、ラスターは医者に近づいた。
「何があったもなかったもあるか! ポンコツ情報網!」
 コバルトが「奇跡の子」とラスターに耳打ちをする。それでラスターは大体何があったのかを理解した。
 奇跡の子……突如この地区に現れた医療魔術師。困っている人を助けたいという名目で「無料の」診療所を開いた人間だ。元々貧困層が詰め寄っているこの場所において、「無料」という言葉は砂糖よりも甘い響きを持つ。
 その「無料の診療所」とやらに客を取られて荒れている、そんなところだろう。
「アングイス、気持ちは分かるが扉が開く度にメスを投げるのだけは辞めた方がいい」
「うるせー! どうせオマエらも奇跡の子のところに行くんだろ!」
 超絶不機嫌の医者をなんとかなだめようとするコバルトの努力が虚しい。
「なんなんだー! 何なんだアイツはほんとにーっ!」
 手足をばたつかせて苛立ちを見せるアングイスは、しかし急に動きを止めて何か良からぬ事を思いついたらしい顔をした。
「なぁ、ラスター。依頼を受けてくれないか」
「……奇跡の子を追い出せってか?」
「殺してくれてもいいぞ!」
「あらやだ過激派」
 むすくれていたアングイスは己のナイスアイディアで機嫌を治し、ラスターに小瓶をいくつか押しつけた。全部猛毒だった。
「追い出すのはいいが、やり方を考えないとエラいことになるぞ」
 コバルトが喉をぐうぐう鳴らしながらラスターに告げる。彼の手にも睡眠薬が握られていた。
「いや、まだ受けるとは……」
「はぁ?」アングイスがラスターを睨んだ。
「この美人女医の依頼を断るってのか?」
「び……? えっ、なんて?」
 ラスターがそう聞き返すのと同時にアングイスは大量のメスを投げた。しかしやはりラスターは当然のように全て回避する。
「オマエほんと嫌い!!」
「……そういや、コバルトは奇跡の子に診てもらってないのか?」
 いよいよアングイスが般若の形相を見せたが、コバルトはラスターに呆れた様子であった。
「俺はああいった類の輩は信用してないんでね」
「……そういやそうだったな」
 ラスターは、深いため息をついた。

 因果の巡り合わせというか、単なる不幸と言うべきか、ラスターにはあまりよく分からない。神妙な顔をしたノアが無言で手渡してきた依頼書がその「奇跡の子」調査依頼だったので目眩を覚えない方がおかしい。
 雁首揃えて奇跡の子の診療所へ足を運ぶと、犬小屋のような家屋にこれでもかと人が集っている。膝をすりむいた子供から、殴り合いの喧嘩で腕を折った大人まで、よりどりみどりの患者が勢揃い。
「ちょっと潜入するか」
 さくっと言い切ったラスターは自らの左腕を切りつけた。傷は派手に見えるが、命に別状はない。
「そこまでする必要ある?」
「念には念をなんとやら、ってね」
 家屋の、遠すぎず近すぎない、なんとも半端な場所に陣取って二人は奇跡の子を待った。近くで待っていた子供は、傷口で血が固まったのを見て治ったと勘違いしたらしい。すたすたとその場を後にする。
「はーい、おまたせしましたー。軽いお怪我の人、治していきますねー」
 そこに現れた女性は、このゴミ溜めみたいな路地裏には似つかわしくない風貌をしていた。亜麻色の髪が揺れ、血色のいい顔には青空の色の瞳。女神のような微笑みを携え、順番に怪我を治していく。手際も良く、特に不審な点は見当たらない。
 しかし、ノアには違う景色が見えていたようだ。息を飲んだ相棒の狼狽えっぷりは尋常ではない。女性がこちらに気づく前に、ノアはラスターの手を引いて急いでその場を離れた。
「え、ちょ、何?」
 そのまま適当に人通りのないところまで出て、ノアはラスターの左腕を治す。魔力の光が集う様子を観察しても、その周辺の知識が乏しいラスターには違いがよく分からなかった。
「痛みや痺れはない?」
「大丈夫。ありがとな」
「あの子の治癒魔術を食らわなくてよかったよ」
「何か問題が?」
「問題しかない」ノアは息をついた。
 ラスターはノアの手を引いて、髑髏の円舞ワルツの戸をくぐった。――休息が必要だ。という判断は何も間違っていない。しかしドアを開けた瞬間、ラスターはノアの憔悴を理解する羽目となる。
 ニコニコ顔のアングイスが患者の身体を切りつけている。一瞬生じた傷は血を流すことなくすぐに塞がっていく。酒場に溢れかえる患者たちは暗い顔をしているが、これは病を理由にしたものではなさそうだ。
「タダより怖いものはないって教わらなかったのか! このポンコツ患者ども!」
 患者を笑いながら切りつける医者も大概だが、この公開治療ショーを眺めながらしれっと酒を飲むコバルトもコバルトだ。そもそも開店前の酒場でこんなことをしてもよいのだろうか。
「コバルト」
 ノアが先に声をかけてきたことに、コバルトは目を細めた。笑っているのだ。
「あんた何でまた酒なんかかっくらってんだ?」
 そう言いつつラスターも、空いてるグラスに酒を注いで一気に呷った。俺の酒、と言いたげなコバルトだったが、アングイスの機嫌が直っている喜びの方が大きいらしい。
「ご機嫌取りをせずにすんだんだ、祝杯を挙げない理由が無いね」
 コバルトはそう言って、喉をぐうぐう鳴らした。
「みんな奇跡の子の治癒魔法を受けた人たち?」
「らしいね」コバルトは肩をすくめて、ラスターから酒瓶を強奪した。
「魔術の後遺症か何かか?」
「……ふたりは、治癒魔法受けた後に必ずこう聞かれない?」
 ノアが口を開く。コバルトとラスターは顔を見合わせた。
「痺れはありませんか、痛みはありませんか、って」
「しょっちゅう聞かれる」
「お前さん、そんなに怪我ばかりしてるのか」
 ラスターの即答に食いつくコバルトの手から酒瓶が奪われる。グラスになみなみと液体を注ぎ、ラスターはそれを一気に呷った。
「治癒の魔法は身体に悪い影響を与えることがある。これは未然に防ぐことができないんだ。術者のコンディションや患者との相性で、どんなに調整しても少しずつ狂ってくる」
「なるほどね、奇跡の子はその辺りが適当だと」
「いや、全部適当」
 サラリと言ってのけたノアにラスターが勢いよく向き直った。
「全部!?」
「そーだぞ、テキトーだぞぉ」
 機嫌良くケタケタ笑うアングイスが、奇妙なステップを踏みながら近づいてくる。
「治癒の力で身体が活性化しすぎて、常に傷を治そうとしてるのさ! だからこうやって! 傷をたくさん作ってあげてるわけ!」
 上機嫌に笑って、再び治療に戻っていく。患者が「ぎゃあ」と叫んだが、その元凶となった傷は即座に塞がっていた。
「……傷をつけなくても、魔力を抜けば済む話だよ」
 ノアはそう言って、その方法を実践しようとしたがラスターに腕を掴まれ阻止される。
「あんた、あの行列全員にその治療ができるわけ?」
 最後尾が見えない列を示したラスターに、流石のノアも動きを止めた。ノアは治癒の魔術を専門としているわけではない。あれを全員治すとなったら流石に骨が折れる。
「全員は無理だけど……」
「アングイスと二人がかりならなんとかなると思ってるのかい」
 コバルトがラスターから酒瓶を奪う、が、中身は既に空だった。
「俺なら、痛くなさそうな治療の方が良いね」
 コバルトはそう言って、喉をぐうぐう鳴らした。


To be continued


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気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)