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【短編小説】変貌

 地方都市の閑静な新興住宅地で僕は育った。まるでコピー&ペーストをしたかのような住宅が並ぶ中、Aは僕の隣の家に住んでいた。僕の家を左右反転させたかのようなデザインのAの家は、ガーデニングが趣味だというAの父親の手によって花が咲き乱れる美しい家になっていた。対して僕の家にはあまり手が加えられておらず、よく言えば現状を美しく保っている。悪く言えばあまり生活感がない。そんな家だった。
 Aと僕はよく一緒に帰っていた。幼稚園の頃は母親がほぼ同時に迎えに来てくれたので、僕とAは僕の母親とAの母親とに引きつられて同じ道を歩いた。母親同士が何か会話をする中、僕はAにポケモンの話をした。しかしAはピカチュウ以外のポケモンを知らなかったので、僕はもうお手上げになってしまった。
 僕たちはそのまま小学校に入学した。僕とAは相変わらず微妙な距離を保ったまま、学校生活を送っていた。気が付けばもう小学四年生だった。僕は学校で色違いのリザードンを自慢していた。
 Aがクラスから浮き始めたのはこのころだったと思う。僕は女子特有の、あの暗黙のルールがどっしりと居座るコミュニティのことをよくわからない。化粧用品や流行りの文房具に詳しい子をすごいと崇めなければならない中で、Aはそれをしなかった。できなかったのかもしれない。Aはピカチュウ以外のポケモンを知らなかったから。
 自分が締め出されていることに気が付いたAは慌ててうまく取り繕うとしたけれど、クラスの女子はAを必要とはしていなかった。別にAを嫌っているわけではなく、Aと仲良くする気がしないだけなのだ。二人組を作らなければならないときも組む相手が居なくて困った……ということもなく、グループでの話し合いでも輪に入れてもらえていた。ただ、化粧品の話だとかジャニーズの話には入れてもらえなかったのだ。Aがそこに入ることができなかった、というのが正しいのかもしれない。僕にはそれが分かった。Aは別のコミュニティに所属するか、一人でいる道を選ばねばならなかった。でも、Aはクラスの女子と化粧品やジャニーズの話をしたがった。しかし、Aは流行りのマニキュアのメーカーも知らないし、嵐とSMAPの違いも分からなかった。僕が「無理に輪に入らなくてもいいんじゃないか」と言ってもAは自分の考えを頑なに変えようとはしなかった。僕はお手上げだった。そこまで拘るのなら勝手にしろと思った。
 Aはどんどん浮いていった。いよいよ誰とも組ませてもらえなくなった。グループでの話し合いでも彼女の意見は無視された。Aはコミュニティにしがみつく努力はしていたが溶け込む努力はしなかった。僕はそれを分かっていた。Aはいつも自分の好きな話を持って行った。Aが好きだったもののことを僕は覚えていないが、化粧品や文房具やジャニーズではなかった。アニメやゲームでもなかった。Aはなんとか女子グループに入ることはできても、その話題についていく努力をしなかった。
 女子グループにしがみついていても意味がないと理解したAは、矛先を僕に変えた。僕はAのことが好きだった……ということはなく、いよいよこの時が来たかとがっかりした。
 Aの餌食になりかけている僕たちのことを、女子たちは心配してくれた。そのときにAの所業を聞いて僕はめまいを覚えた。Aは彼女たちが「このマニキュアかわいいよね」と話しているところに「そんなの爪に塗って何が楽しいの」と言ってのけたり、「昨日のMステ見た? 嵐のパフォーマンスが最高だった」と話しているところに「顔が全部一緒で分からない」と宣ったそうだ。
 Aは幼稚園の頃からそうだった。
 例えば、「幼稚園終わったら遊ぼう」という話題が出たとする。僕たちの中で一番流行っていたのがポケモンだったから、当然僕たちはゲーム機を持ち寄って遊ぶのだ。今のポケモンはインターネットに繋げば離れた人ともポケモンの交換や対戦ができるけれども、当時は「通信ケーブル」という周辺機器が必要だった。それを持っている友人の都合がすべてだった。彼が「いいよ」と言えば盛り上がるのだが、たまに「今日は習い事があって……」と断られることがある。しかしこのときは、彼の都合がよかった。僕は懸命に育てたレベル百のリザードンとケンタロスを使ってみんなをぼこぼこにするぞと息巻いていた。
 Aはそこにやってきて、「私も一緒に遊びたい」と言う。でもAはゲームボーイもポケモンも持っていない。一緒にそこにいて、僕たちがピコピコとゲームボーイで遊ぶのを見ているのだ。それだけならいいのに、彼女は「面白いの?」「せっかくお外にきたんだから、遊ぼうよ(彼女の中ではゲームは遊びではないらしい)」と水を差し、挙句の果てには「わたし、つまらない」といじけ始める。このあたりで性根のやさしいやつがここでゲーム機の電源を落として、Aに付き合ってやるのだ。
 突然僕たちのところにやってきたAをみんなうっとうしいと思っていた。僕も同じだった。しかしAがやってきたのは僕がいるからで、僕がいなくなればAを気にせず遊ぶことができる。別にポケモンに限った話ではなかった。Aはとにかく自分のしたい遊び以外には興味がないのだ。僕たちが鬼ごっこをしていたとしても、彼女がかくれんぼをしたいと思っていれば、彼女は鬼になっても誰かを追いかけることはしなかった。コミュニティの中心に自分を据えたいタイプだった。ここでAが人格者で、Aの周りには自然に人が集まってくるのならば何も問題はない。Aは怠惰だった。自分からグループを作るのは面倒だからやりたがらなかった。既に出来上がったグループに入り込んで支配する方が簡単だと思っていたらしい。ここでもAは怠惰だった。コミュニティの流行りに自分を合わせるということをしない。文房具や化粧品やジャニーズやポケモンといったコンテンツに手を出そうとしない。そんな中で無理やり押し花やらなんやらを広めようとしたところで徒労に終わるだけである。
 僕はそれをAにきちんと説明した。どうしてAが溶け込めないのかを僕は丁寧に説明した。
 その結果、小学五年生の春が終わる頃。今でも覚えている。五月二十八日に僕はAに告白されたのである。
 中休みが始まって、僕たちは校庭に行こうとしていた。そこをAが呼び止めて、クラス中の視線を受け止めた状態で僕に「好きです、付き合ってください」と告げたのだ。
 ……普通、こういう公開プロポーズには多少なりとも盛り上がりがあるものだ。しかしこの時はそんな予兆はさっぱりなかった。眉をひそめてひそひそと話をするものもいれば、僕に向かって黙とうをささげてくる奴もいた。僕は後ろを振り返った。当然誰もいない。誰かが噴き出す声がした。
 前を向くと、Aの頬は紅潮していた。僕はここで、Aが化粧をしていることに気が付いた! 校則で禁止されているというのに!
「化粧してる?」と恐る恐る尋ねると、彼女は照れくさそうに頷いた。「学校に化粧してきたらダメなんだよ」と言うと「見てほしくて……」と言われた。Aは少し膝を曲げて、僕を上目遣いで見た。当時、Aは僕よりも身長が少しだけ高かった。
 僕は「ごめん!」と叫んで猛ダッシュで廊下を走って逃げた。クラスから笑いが起きた。僕は図書室に逃げ込んで、普段なら絶対に近寄らない本棚から適当な本を取って、うまく物陰に隠れた。中休みが終わる頃になると、教室に戻らなければならなかったが僕は戻りたくなかった。廊下で僕の名前を呼びながら僕を探す友人の声がする。余計に出て行きづらいのに、図書委員の奴が「ここにいるぞー」と情報提供をしやがったせいで僕は連れ戻された。僕が「赤毛のアン」を手に持っているのを見て友人はちょっと笑っていた。
 彼に連れられて教室に戻ると、みんなは僕を暖かく迎え入れてくれた。Aはいなかった。話によると化粧を落としに行っているらしい。しかし先生が戻ってきてもAは戻ってこず、それどころかAは早退したと言われた。その後、僕はAと話をすることはなかった。Aはそのまま転校してしまい、事実上Aを追い出した僕は英雄のようにして崇められた。これは正しいことなのだろうか? 僕はわけがわからなくなった。思い切って母に相談すると、そういうこともある、というようなことを言われた。
 Aがどうしているのか、僕は知らない。ただ、あのめちゃくちゃな化粧をして僕に告白しようと思い立った彼女なら、新しい環境で化粧品の話を用いて誰かと親交を深めるくらいのことはできているのではないか、と思う。
 僕はというと、あまり変わっていない。自分の変化に対して一番鈍感なのは他でもない自分、という言葉はあれど、実際僕にはそう見えているのだから仕方がない。ゆっくりと興味関心が他のものに移っていっても、変わらずここで笑っている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)