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【短編小説】新人教育の依頼 #6(最終話)

 こちらの続きです


 部屋から出てきたノアは、ラスターに「立てる?」と問いかけた。
「無理だろうね」
 ラスターが答えるより先にコバルトが答えた。
「ウイスキーを二瓶も空けたんだ。ここまで来れたのが奇跡だね」
 コバルトはそう言って、アングイスを呼びつけた。
「俺たちは少し外を歩いてくる」
「へ?」
 何事か、と理解できていないアングイスはコバルトに手を引かれて、困惑を顔に貼り付けたまま外へと出て行った。月が静かに輝く夜だった――いや、月はいつだって静かに輝いている。喧騒を足すのはいつだって生き物の側なのだ。
 アングイスの手を引いて、コバルトは夜の散歩と洒落込んでいた。……というのは聞こえのよい言葉である。
「なぁ、コバルト」
「なんだ?」
「……どこにいくんだ?」
「どこにも行かないさ」
 コバルトは慎重に道を選んだ。可能な限り治安の良いエリアを進んでいく。
「あの二人には積もる話があるだろうからね、お邪魔ムシはここでしばらく様子見さ」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らしながら、虚空に手を伸ばす。何も、おこらない。
 アングイスは何度か振り返った。人影もなく、怪しげな気配もない。大丈夫なのだろうかとそわそわすると、コバルトが拳銃を取り出している。
「なぁ、コバルト。あのアパート、ワタシの家なんだが」
「ノアは盗みなんかしないだろう」
 コバルトはさらりと答えた。アングイスは少し不服そうな顔をした。そういう意味ではないらしい。
「……どうしてラスターは、ノアに何も教えていなかったんだ?」
 コバルトはすぐに答えなかった。代わりに、再び虚空に手を伸ばした。
「アンヒュームは、アンヒュームであることがバレると、世界が壊されるのさ」
「世界が?」
「お前さんも見たことがあるだろう?」
 アングイスは黙り込んだ。頭の上で夜風だけが自由に踊っている。
「昨日まで笑顔で果物を売ってくれた店主が、目を合わせない。にこやかに挨拶をしてきた隣人が、近寄るなと石を投げる。自分は問題なくそこにいて、ジョークに笑い、互いの肩を抱き、食卓を共にした人々が、嫌悪の眼差しでこちらを追い出そうとしてくる。自分は変わらない。風呂に入らなかったとか、顔に食べかすがついているとか、そういったことは一切無いのに、だ」
「でも、ノアは」
「ノア一人でその世界を守れると思うかい?」
 コバルトの問いにアングイスは黙り込んでしまった。
「逆に、巻き込むことになるだろう?」
「巻き込む? どうして?」
「あいつはアンヒュームに味方するバカだ。アンヒュームに味方するなんて俺たちの敵だ。いつかあいつはあのアンヒュームをけしかけて、俺たちから魔力を奪おうとするんだ――ってね。だからラスターは自分から手を切ろうとしたのさ」
 そこまで語って、コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。ぐうぐう鳴らしながら笑っていた。目をぱちくりさせるアングイスに、コバルトはジェスチャーで謝罪を投げた。
「……あいつ、髑髏の円舞ワルツで未練がましく――あんな醜態を晒せるなら、二人で魔術師の手に噛みつく気概を見せてほしいね」
 コバルトは再度、虚空に腕を伸ばした。夜の闇から三ツ目のカラスが下りてきた。

 ナナシノ魔物退治屋を解散したい、とラスターは……言い出せなかった。解散しよう、というたった一言を発しようとしたそのとき、半端に開かれた唇からは酒臭い息しか出てこない。参ったな、と思う。をつくのは得意なのに、どうして動かないのだろう。酒のせいだ。そうだ、酒のせいなんだ。そうに決まっている。そうでなければ……。
 ノアはじっと待っていた。ラスターのことを待っていた。ラスターはごろりと姿勢をうつぶせに変えた。
「解散、しよう」
 ようやっとその言葉が出てきたとき、時計の針は随分と進んでいた。
 ノアがそっと、ラスターに近づいてくる。肯定の返事がほしいな、とラスターは思った。最悪自分がこっそり出て行けばいい。
 ノアはハンカチでラスターの頬を拭った。
「俺は君と一緒にいたい」
「無理だ。俺は」
「ルーツだから?」
「ああ、そうさ」
 食いしばった歯の隙間から零れ出た言葉に、忌々しい響きが含まれているのは少々いただけない。
「俺が気にしないよと言ったとしても?」
 分かる。
 分かってしまう。
 ここで「そうだ」と言ったら、ノアは本当・・にナナシノ魔物退治屋を解散する。
 言えばいい。簡単だ。いつだって嘘は武器だった。さあ、構えろ。騎士が剣を向けるようにして――。
「本当に君は、ナナシノ魔物退治屋を解散したいの?」
 ラスターは答えられなかった。ここにきてようやく、ラスターは自分の喉から嗚咽がこぼれていることに気が付いた。
「また……」
 ああ、無様だなぁと自分でも思う。これでノアが冷めてくれればそれでいい。そんな奴だと思わなかった、と冷たい視線を投げて、静かにこの部屋を出て行けばいい。あの天下のノア・ヴィダルだ。ギルドの外でも引く手あまた。別に彼の傍にいるのがラスターである必要はない。
また・・壊れちまうんじゃないかって、考えたら、……俺が、っ、もう、耐えられない……!」
 ノアの足音が聞こえた。よかった、とラスターは思う。そのまま部屋を出て行ってくれ。そうすれば、あんた幸せな道を歩けるはずだから。
 しかしその願いは届かなかった。ノアはラスターの傍にしゃがみ込み、彼の頭を撫でた。
「俺は、そう簡単には壊されないよ。ナナシノ魔物退治屋も――君がいたから」
 窓の外で、月が静かに輝いている。ラスターの身体が震えているのが分かる。ノアはそっと魔術を発動させた。精神安定の魔術だ。本来は魔術発動の際の精度を高めるために使うものだが、こうして誰かを落ち着かせることもできる。
「俺はカルロス・ヴィダルの息子だよ? ルーツと行動を共にするくらい、君が思っているほど大したことじゃない」
 ノアの手が、ラスターの髪を梳く。
「俺は君の手を離そうとしたことは、一度もないよ。だから、君から、手を離すことをしないで」
「俺は、あんたを失いたくない。そうなるくらいなら手を放す」
「奇遇だね。俺も同じ。だから手を放したくない」
 ラスターは大きく息を吐いた。こうなったノアはテコでも動かない。仮にラスターが自分の腕を切り落としてまで手を離したとしても、切断された腕を持って追いかけてくることだろう。
 それに――見抜かれた嘘は、最早嘘にはなりえないのだ。
 玄関の扉が開く音がした。手に三ツ目のカラス――おそらく、魔物の一種だろう――を乗せたコバルトが、穏やかに笑いながらノアとラスターを見つめている。アングイスは目をぱちくりとさせて、コバルトの後ろに立っていた。
「話は済んだかい?」
「うん。……ありがとう、二人とも」
「ワタシは何もしていないけど……」
 妙にしおらしいアングイスに違和感を覚えながら、ノアはラスターを担いだ。そのタイミングで、アングイスはその場で飛び上がった。
「あ、でもな! ベッドを貸すくらいならできるぞ!」
 慌てたような思いつきに、コバルトが噴き出した。

 二人はアングイスに改めて礼を言い、朝の街に繰り出していた。本当は一晩休んですぐに出て行く予定だったのだが、なぜかやる気満々のアングイスが「一日休んでいけ!」と包丁を突き付けてきたので大人しく従ったのだ。途中、ノアはどこかに手紙を出しに行ったが。
 さて、行き先は勿論ギルドである。ラスターはやっぱり少し元気がないように見えたので、ノアは話を切り出した。一昨日の酒が残っているのなら、また彼を泣かせてしまうだろうか?
「俺は、君がルーツであっても、そうでなくとも、それを知らなくても、知っていたとしても、教えてくれたとしても、教えてくれなかったとしても、君に失望したり、君を憎んだり、君を嫌いになることはない」
 ラスターの足が止まった。それに気づいたノアも足を止める。
 朝もやが膝下にとどまっている。どの店からもベーコンエッグの匂いはしない。
「……なんで俺が凹んでるか教えてやるよ、ノア」
 ラスターはノアの目をじっと見つめた。
「俺はあんたを信頼してる。それなのに俺は俺がアンヒュームだということをあんたに言い出せなかった」
「気にしないで、ラスター」
「言い出せていればこんなことにならなかった」
「それは誰かに強要されるべきものじゃない。君が話したくなければ話さなくていいんだ。相手が誰であれ、それは変わらない」
 先に目線を合わせたのも、先に目線を逸らしたのも、ラスターだった。そんな彼の頭を、ノアはもう一度撫でた。
「だから、どうか……あまり傷つかないで」
「……分かった、分かったよ」
 その了承は諦めを含んでいた。誰かをなだめるための含みがラスターの声には混ざっていた。白い絵の具に誤って黒を混ぜてしまったときの違和感を見逃すほどノアは鈍くない……。
「俺は君と一緒にいたい」
 酒が入っていれば無視できたセリフも、素面シラフとなれば話が変わる。思春期の少女が綴る恋愛小説にありそうな言葉に、ラスターはちょっと耐えられなかった。
「……コバルトも言っていたけど、あんたは時々人を口説くよな」
「そう? でも今回はあんまり否定しないかも。朝起きたら君の部屋がもぬけの殻になっていたら嫌だから」
「…………」
「行こう。君に会いたがっている人もいる」
「俺に?」
 ノアが一歩踏み出す。不安はあったが、ラスターは素直についてきてくれた。
「一つ話をしておかないとならないんだ」
 ラスターの足が止まらないことに細心の注意を払いつつ、ノアは切り出す。今のところ逃げ出す気配はないので、ノアは安堵した。
「新ヒュラス教の聖女の洗礼は、その人が聖女にふさわしいかどうかを見るためのものだ。聖女になりたい人たちの中には、徹底的に部屋に引きこもって他人と遭うのを避ける人もいる。でも、新ヒュラス教で言われている聖女……原初の魔女は、人を救う象徴。本来の聖女の洗礼は積極的に人を助けるために動くのが正しいとされている」
 ラスターは眉をひそめた。そんな話をしてどうなるというのだろうか。
「だから、その行いが素晴らしいものだと証明できる有力な魔術師がいれば、洗礼の条件はクリアできるんだ。例え禁忌に触れたとしても」
 ラスターの目がゆっくりと見開かれていく。答え合わせをせずとも、ラスターはノアが何をしたのかを理解した。
「俺はノア・ヴィダルの名でシルヴィアを聖女に推薦した」
 そしてその答えがノアの口から発せられたとき、二人はギルドの前に到着していた。朝の陽ざしに輝く衣装がラスターの目をちかちかと惑わす。新ヒュラス教の聖女の衣装はシルヴィアにとても似合っていたが、彼女はラスターを見るや否や顔を涙でグジャグジャにした。
 原型のないごめんなさい、が聞こえる。ありがとう、も混ざっている。勢いよく飛び込んできたシルヴィアをアンヒュームである自分が受け止めてよいのか悪いのか分からなかったが、折角の衣装を汚すわけにはいかない。
 ちょこっとだけよろめいた。でもきちんと受け止めた。いいの? 俺、アンヒュームだけど。とつむごうとしたはずの唇は、別の言葉を綴っていた。
「泣くなよシルヴィアちゃん、折角の美人が台無しだぞ?」
 そう言うラスターの目じりにもわずかな涙が光っていたことを、ノアだけが知っている。


――依頼完了


(コバルトの言う「運が悪かった」は、ほとんどの場合において中身のない慰めであることを、他でもない本人が言っていたことをラスターは覚えている)


(2023/5/20 21:00 更新予定)

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)