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【短編小説】ティニアの花とキュローナ村のひみつ #1

 秋頃にかけて、キュローナ村には観光客が増える。この村の水辺にしか咲かない「ティニアの花」が丁度見ごろを迎えるからだ。
 ノアとラスターは遠路はるばる、キュローナ村の現地調査にやってきていた。今回は魔物が発生していないかどうかを調べて、村長に報告するのが仕事である。もう秋が始まる頃だというのに太陽は空高く輝き、じりじりと二人の肌を焼く。ラスターは額の汗をぬぐいながら、花の様子を見た。
 ティニアの花は水辺に咲く濃い藍色の花だ。場合によっては紫の花をつけることもある。愛好家も多く、品種改良で赤だの黄色だのさまざまな色のものが開発されているが、それはあくまで人工的に作られたものなので外で見ることはない。
「すごいな、こんなたくさんのティニアの花は初めて見た」
 ラスターが感嘆の声を上げた。花の世話が好きだという彼からすれば、この光景は感涙ものだろう。
「そんなに珍しいの?」
「自生するのは相当珍しいぞ」
 ラスターはそう言って水辺に近づいた。
「水質、地質……この辺りの環境を一生懸命整えているからこそできる芸当だ。ほっといただけじゃこんな景色は見られない」
「聞いたところによると、キュローナ村で水源管理をしているらしいね。村には大きな噴水があって、そこで水に魔力を流し込んでここに放流してるみたい」
「なるほどなぁ」
 ラスターはもっと花に近づこうとしたが、環境保全のために設置されたらしい障壁魔術に阻まれた。
「さ、そろそろ行こう。村長から魔物の情報を聞かないと」
 道を行くノアの後ろを、ラスターは額を抑えながらついていった。
 キュローナ村は「村」ではあるが、ティニアの花のおかげで観光業が盛んだ。そのおかげで村というよりは、規模の小さい街という方が自然である。道も整備されており、各都市からのアクセスも良好。その代わり、ティニアの花の生育環境にも一時悪い影響をもたらしたらしいが、そこは魔術を駆使してなんとかしたようである。
 ノアとラスターが村に到着すると、そこは妙ににぎわっていた。観光客が多い時期、にしては随分と不穏なにぎわい方だ。一体何事かと二人が顔を見合わせたその瞬間、
「キュローナ村は! 魔力の水をばらまいた責任を取れ!」
 若い男が、声を張り上げたのが聞こえた。



「お見苦しいところを見せてしまってすみません」
 キュローナ村の女性村長は、きれいな絹のハンカチで額の汗をぬぐった。
「あの迷惑活動家たちは、村の外からやってきた人たちで……村人だったら、ここで謝罪をさせることもできるのですが」
 質素な服と木のペンダントには村長の風格はあまりない。
「いえ。お気になさらないでください」
 ノアはそう言うと、机上に広げられたキュローナ村の地図を見た。
 ティニアの花の自生地がすべて正確に記録されているそれに、不穏な赤いバツ印が刻まれている。おそらくこの印がある場所で過去に魔物が発生したのだろう。
「その時発生した魔物は少し大きめの、ミミズのような姿をしていたようです」
「魔物だと判断した理由はありますか?」
「私はそういったものに詳しくはないのですが、秘書が言うには『マジックワーム』だと」
 マジックワーム。巨大ワームから派生して進化を遂げた虫の魔物だ。魔力を自分で作り出すことができないため、食事で魔力を補う。ティニアの花は魔力を多く含んだ水を好むため、マジックワームにとっても良質な環境だ。余計な魔物が寄ってきてしまう現象は別にティニアの花に限らず、他の花や動物が生息する環境下でも起こりうる問題である。
「分かりました。魔物の痕跡がないかを見てみます」
「ありがとうございます。あと、こちらの指輪を持って行ってください。これをつけていれば、ティニアの花を守る障壁魔術の排除対象になりませんから」
 このとき、村長の視線はラスターの額に向いていた。
 村長から地図と指輪を受け取った二人は、環境活動家の演説が続く広場を避けて自生地へと向かおうとした。顔を広場へ向けると巨大な噴水の一部が確認できる。あれがティニアの花を守り育てている大噴水なのだろう。
 大通りでは活動家の仲間たちがビラを配っていた。邪悪な顔をしたティニアの花が魔物を従えて、他の動植物を鞭で叩いている。その様子を見て、キュローナ村の村長や村民が笑っているという風刺画が掲載されている。
「こんなにひどいもんなのかね」
 ラスターの独り言はノアにしか聞こえていないようだった。ノアはほっとした。万が一今の発言が聞こえていたら、とんでもないことになっていたことだろう。
 ティニアの花の保全については力を入れているらしく、地図は正確だった。魔物が活動している様子も特に見られない。代わりに他の昆虫や動物が顔を見せることがあった。
「活動家の人たちが騒ぐほどひどい場所でもないと思うけど」
「ティニアの花の自生地域を広げるために、いろいろ工事とかしたらしいからな」
「あの噴水もそうなんだっけ?」
 ノアは、ここに来る途中に見た広場の大噴水を思い出した。
「そ。水源を引っ張ってきて水に魔力をいい感じに混ぜて流してる」
 どこか浮かれているように見えるラスターはティニアの花が咲き乱れる水辺にそっと近づくと、小さなカエルを捕まえていた。
「普通の生き物にとっては別に害のある環境でもないし、何も問題なさそう」
 カエルは素知らぬ顔をして、ラスターの手の上でじっとしていた。が、突然慌てた様子を見せて、水辺に飛び降りてしまった。
「蛇がいる」
 ラスターがそう囁き、ノアに陸の一点を示す。
「どこ?」
「あの木、あるだろ? そこから斜め右下に視線を下げて……」
 ノアは指示通りにしたが、結局自分の足元を見てしまった。ラスターが笑う。毒はないから大丈夫だと笑う。そういう問題なのだろうか。
「ところで、魔物の話はどうなったの?」
「今、フォンに頼んで気配を探ってもらってるけど」
「その間遊ぶつもり?」
「まさか」ラスターは水辺で手を洗った。
「頼まれたからには、きちんとお仕事するよ」
 ラスターの視線が明後日の方向へ向けられる。
「どうかした?」
 ノアの問いに答えを返さず、ラスターはじっとティニアの花を見つめている。
「戻るぞ」
 しばしの沈黙の後、ラスターはそう言って歩き始めた。ノアも慌ててその後を追う。
「どうしたの、急に、せめて事情を――」
 ノアの言葉はそこで途切れた。水の色が徐々に濁ってきている。
 どんどん黒く、黒く……。
「何、これ。どういうこと?」
 ノアは辺りを見回した。魔力の気配はない。ラスターが早足でまっすぐにキュローナ村へ向かっていることからも、人の気配もないようだ。
「ねぇ、ラスター。何が起きてるの?」
 ラスターは一瞬、一瞬ひるんだ。が、水が異常な色を示していることに気が付くと、ノアの質問の意図を理解できたらしい。
「分からん。ともかく水源で何かが起きた」
「……まずいな」
 キュローナ村の入り口が見えてきた。ラスターは目を見張った。支流が黒い水を流すのなら大本も同じ水なのは道理。ティニアの花の生育地を守るはずの噴水は、漆黒の液体をひたすら垂れ流していた。


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)