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【短編小説】怪物のオムライス -Side Noah-

(記憶の奥底にしまわれていた悪夢の残骸からは、時々なにかの兆しを確認することができる)


 数日前。
 商業都市アルシュ、地区深層部――。

 コバルトの住まいは定期的に変わるという。昨日訪れたアパートが明日にはもぬけの殻。だからノアがコバルトの傷を治療するとき、ノアの方から出向けないのがネックだった。
 しかし今日になってようやく、ようやくノアはコバルトの「本当の自宅」を知った。明らかに大量の荷物があるそこは、既に廃屋となっているアパートだった。
「ラスターですら知らない俺の本当の自宅だ、光栄に思うといい」
 そんなことをコバルトは言っていたが、きっとここも暮らしの拠点にはなっていないのだろう。荷物はコバルト本人から置き去りにされているかのような扱いを受けており、実際にコバルトは床に投げ捨てられていたコートを踏みつけて歩いていた。朝だというのに光が周辺の建物に遮られているせいで想像以上に暗い。年がら年中闇に沈んだ部屋は徹底的に生活感を隠しているようだ。
「体調はどう?」
「問題ない」
「それならよかった。悪化していたらどうしようかと思ったから」
 テーブルには手紙が何通かある。彼の昔の仕事に関するものだろうか、と推測したノアは、そこに不釣り合いなチケットが綴られているのを見た。クリーム色の紙に印刷された手描きのチケットは、どうやらどこかの飲食店の割引券らしい。

「ぽかぽか亭 特別割引チケット
お会計金額から10%割引!」

 見覚えのある名前だ、と思ったノアはすぐにその正体を思い出した。ラスターが単独依頼で向かった先だ。一体何をしに行ったのかまでは分からないが、問題はその場所だ。その店は王都のド真ん中に位置するらしい。魔術師ではない人間が――魔力があろうがなかろうが――王都に足を踏み入れるのは少々危険である。ラスターの腕なら大丈夫だとは思いたいが、それでも心配なものは心配だ。
「どうした?」
 動きを止めたノアにコバルトが声をかける。ノアは慌てて事情を説明した。
「ラスターが単独依頼で向かった店と同じ名前の店のチケットがあったから……王都の店だとは思わなくて」
 コバルトは先ほどまでノアが見ていたチケットを引き抜いた。
「その依頼を出したのは俺だよ」
 ノアは目を見開いた。
「……魔術師じゃない人間が王都に行くのは、危険すぎる行為だけど」
「それを承知で頼んだんだ。なんせ人が消息不明になってるんだからな」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らしながら、ノアにチケットを手渡した。
「この店の店主は俺の知り合いで、……アンヒュームだ」
 アンヒューム。生まれつき魔力を持たない人間に対する蔑称。最近は差別的なニュアンスを含まないルーツという呼び名も誕生したが、想像よりも根付いてはいない。
 そのアンヒュームが王都に向かった。ノアは非常に驚いた。
「る、ルーツが? ルーツが王都に店を?」
 ノアが素っ頓狂な声を上げたとき、コバルトは頭を抱えた。
「やっぱりお前さんもそういう反応をするよな」
 ため息交じりのコバルトに、ノアは慌てた。
「あっ、え、ごめん、違うんだ。別にルーツの人が王都に店を構えること自体はいいんだ、そういう、差別的な意味で言ったわけじゃなくて」
「分かってる分かってる、おちつけ」
 コバルトは愉快そうに笑った。笑いながらチケットを切り取り線に従って折り曲げた。しかし、どこか疲れているようにも見えた。
「商業都市の地区の外だって、アンヒュームが歩くには勇気がいる。王都で暮らすなんてもっての他。そういう意味だろう。分かってるさ」
 確かに、多種多様な人々が集まる宿舎兼大衆酒場でコバルトと初めて出会ったとき、「アンヒューム」という言葉を聞いて「殺してやる」と叫んだ客がいた。商業都市の地区の境界、裏路地に面したなんとも言えない立地の店だ。ノアは急にそのことを思い出して、なんとも言えない気持ちになった。
「実際俺は止めた。めちゃくちゃ止めたんだ。死にに行くようなもんだぞ、ってね。だがアイツはそうしなかった。自分のオムライスに、アンヒュームと魔術師が手を取り合える力があると思い込んだんだ」
 ノアはチケットに目をやった。ポップな絵柄のオムライスは、確かに心が暖かくなる力があるように見える。
「毎日のように手紙が来てね。写真もある」
 ノアは写真を手に取った。見ても良いか尋ねようとする前に、コバルトが手で「見ろ」と指示をした。
 一枚目の写真は、店の外観だ。クリーム色のやわらかな壁に、ダークグリーンの窓枠がアクセントになっている。周辺には花壇があって、可愛らしい色の花が見える。
 二枚目の写真は……この人物が店主なのだろう。手にした黒板には「ぽかぽか亭 開店!!」という文字が書かれている。
 三枚目の写真は内装だった。木のテーブルを広々と使える店は家族連れにもうれしい仕様だ。勿論カウンター席もある。なかなか良いセンスをしているとノアは思った。
 四枚目の写真は料理の写真だ。看板メニューのオムライスが写っている。とろとろのタマゴにデミグラスソースがオシャレにかけられていて、パセリの緑が鮮やかだ。
 五枚目の写真は店内の様子を写していた。なかなかに大盛況。王都の食事処でこれだけの人気があるのなら店としては成功している部類と言えるだろう。壁に写真が飾られているのが見えるが、具体的に何が写っているのかまでは分からなかった。
 残りの写真も似たようなものである。混雑した店内。客と一緒に撮影したらしい写真。新メニューのオムライス。子供用のちいさなオムライス。ハンバーグランチ。キッチンの内装。……。
 一通りの写真を見終えたノアに、コバルトは告げた。
「その手紙が途絶えた。だからラスターに様子を見てきてほしいと頼んだんだ。俺がこんなナリじゃなけりゃ、直々に様子を見に行ったんだが……」
 コバルトは悔しそうに奥歯を噛んだ。
「それで、ラスターも音信不通ってこと?」
「一日二日くらいなら問題ないとは思うがね、……不安なんだよ。分かるだろう?」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
 ノアはゆっくりと頷いた。
「俺が様子を見てこようか?」
「……お前さんが?」コバルトは眉をひそめた。
「俺なら王都に入っても何も問題はないよ」
 ノアは写真を撫でながら告げたが、コバルトは歯切れ悪く「ああ、まぁ、確かに……だが」と繰り返すのみだった。
「大丈夫。確かに父さんは結構やんちゃしたみたいだけど、俺は何もしてないから」
「そうじゃない」
 コバルトは結構な勢いでノアに噛みついた。
「お前さん……あんまり言いたかないが、王都で色々あっただろう。そんな場所に戻って、平気なものなのかい」
「殺されはしないから平気。それに、俺もラスターが心配だ」
 コバルトは黙り込んでしまった。そう言われてしまうと何も言えなくなる。ただ、例外がひとつ――。
「……幸運を」
 無事を祈るくらいなら、できる。
 ノアはチケットを持って、早速王都に向かった。



(破れた夢の残骸に価値なんてないのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。その問いに答える術をラスターは持っていない)


(投げ捨てたおもりが他人の頭にコブを作ったとき、君はそこに棒立ちになっていた他人に苛つくのではなく、おもりを投げ捨てたことを悔やむんだろうね)



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)