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【短編小説】斬釘截鉄 #2

 髑髏の円舞ワルツは、地区の裏道を上手く使った(ラスターが案内した)おかげで十数分歩くだけですぐについた。営業中の看板が上がっている。普段ならここにいるであろうコバルトはこちらの動向を察知していたのかもしれない。酒場に人はいなかった。他の客もいない。それもそのはず。ここは「酒は美味いが飯は不味い」で有名な酒場であり、ここで昼飯を済ませると言ったら気がふれたと思われる。実際、「ランチセットA」の注文を受けた店主が「本当にそれでいいのか」と聞いてくる始末。「あんたは聞いちゃダメな立場じゃないの」というラスターのツッコミは届かなかった。
 ノアはそれとなくシラヌイとアカツキの間に入り、ずっとシラヌイの相手をしている。アカツキは店の壁を見ている。ぼーっとして、何も考えていないようなそぶりを見せて。
「おまちどうさま。ランチセットAだ」
 自信満々といった様子で料理を乗せた盆を置いた店主に対し、シラヌイは数度瞬きをした。無理もない。まるで幼稚園児の作った粘土細工のような見た目をした料理の数々を、料理と呼んでいいのかすら分からない。ラスターは急いでカクテルを注文した。ブルーホークと呼ばれるそれは、地区を救った英雄にあやかって作られたオリジナルのカクテルだ。
「あちらのお客様からですー」
 演劇や小説でよく見るシチュエーションを、ここで実践することになるとは思わなかった。
「俺は昼から酒は飲まん」
「まぁまぁ、そういわずに」
 酒は飲まない、ではない。ここにおいては酒を飲まないとやっていられないのだ。ランチセットを食べて開口一番「不味い!」と叫ぶシラヌイに気付かれないよう、ラスターはそっとアカツキの隣の席に移動した。
「何か飲む?」
「いや、いい。帰れなくなったら困るから。ねーちゃん心配するし」
「シノちゃんと一緒に住んでるんだ?」
「今のところはなー」
 ラスターは手を挙げた。店主にカシスオレンジを注文する。
「おれは飲まないぞ?」
「気にするなって。ノンアルだから大丈夫」
 ラスターはノアの方を見た。シラヌイと何かしら会話をしていた……と思ったそのときだ。
 かくん、と巨体が崩れ落ちた。
 ……飯のまずさを酒でごまかせたのはいいが、シラヌイは酒に弱い方だったようだ。身近な精霊族が酒相手に強烈な強さを誇るザル精霊であるためこちらの感覚が鈍っているのかもしれない。が、事実としてシラヌイは潰れた。
 三人は顔を見合わせた。
「どうする?」
 置き去りにする気満々のラスターが口を開く。が、ノアは三人に身体強化魔術を展開した。
 即座に酔いつぶれた彼を運ぶのはいいが、彼は体格がよかった。結果、身体強化魔術を展開した成人男性三人がかりでも相当厳しい重労働。しかも彼がどこに住んでいるのかすら分からない(そもそも、滞在しているだけという可能性もある)というオチだ。結局近場の宿を取り、シラヌイをベッドに放り込むことで決着。
「大丈夫?」
 一段落ついたところでノアがそう問いかけてきた。アカツキは大きく息をつきながら「大丈夫じゃないか?」と答えた。
「息してるし、めっちゃ寝てるし」
 ノアがきょとんとする。少しの間を置いて、「ああ、」と何かを理解する。今度はアカツキがきょとんとする番だった。
「そうじゃなくて、俺が心配しているのはアカツキの方だよ」
「おれ?」
「うん。大丈夫? 無理してない?」
「あ、ああ。シラヌイは昔からこうだから慣れてる」
「そうか……何かあったら言って。付き合いが長いと言いにくいこともあるだろうから」
「それで、どうするんだ?」
 ラスターはシラヌイの髪を弄りながら聞いた。
「こいつ一人をほっといて帰るか?」
「おれが残る」
 反射に近い速度でアカツキが反応した。
「どうせもうじき日没で家に帰れそうにないし。ノアたちは帰っても大丈夫」
「それなら宿代は置いてくね」
 自分の財布から銀貨を取り出したノアにアカツキは跳び上がった。
「宿代? いいよ別に」
「気にしないで」
「おれが気にするんだよ!」
 払う払わないの応酬はすぐに終わった。日没が訪れてアカツキが眠りについたからだ。ノアはテーブルに宿代を置き、ラスターはアカツキをソファーベッドに寝かせた。どれだけ強く動かしても起きる気配がない。難儀な体質だな、と思う。
「なんか、強烈な人だな。アカツキの友達」
 ラスターが、ぽつりとつぶやいた。
「友達、かなぁ」
 ノアの返事が、宵の空へと消えていった。


 翌日、早朝。
 太陽が海の淵から頭を出した頃、アカツキはぱちりと目を開く。背中と頭が痛い。自分が眠っている間にシラヌイが起きて、こちらの頭と背中を思いっきり叩いたのだろう。ノアが宿泊代に、と置いていってくれた銀貨はなく、菓子の袋が置いてあった。中身は空だが、クッキーのようなものの欠片が残っていた。アングイスの家で似たようなものを食べたな、とアカツキは思った。
 いつもなら元気よく寝床から飛び起きるところ、今日はなんだか体が重い。薄暗い部屋をぼんやりと眺める。シラヌイは寝ている。すさまじく大きないびきをかいて。
 部屋の色がゆったりと青みを失い、近くで小鳥の鳴き声がし始める。アカツキは鈍痛を抱えた体を起こして、宿の説明を見た。今気が付いたのだが尻まで痛い。叩かれたときの感覚が残っている俺はガキかよ、と言いたくなったが当の本人は夢の中だ。
「ん、ぬぉーおお」
 怪物の雄たけびにしては間抜けな響きだが、シラヌイが起きる。
「おはよう」
「ん、おお。いねむりアカツキか」
「おれが寝てる間に、ずいぶんと乱暴してくれたみたいだな」
 シラヌイはガハハ、と笑った。
「そりゃあ、久しぶりにいねむりアカツキを見たのだ。いろいろ叩いてみたくなるのが道理だろう! やはり子供の頃と同じで全く起きる気配がなかったが!」
 何も、悪びれていない様子であった。
「まぁ、元気になったんならいいや。おれは帰る」
「なんだ、つれないな。旧友と再会したというのに何の感慨もないのか」
 その言葉に、アカツキの喉が動く。何かをこらえた。何をこらえたのかはよく分からないが、言いたいのに言えない言葉があったような気がする。
「それよりいねむりアカツキ」
 シラヌイは菓子の袋の中を確認しながら、話を切り出した。
「俺と一緒に精霊自治区にわたって、故郷を取り戻す戦いをしないか」
 アカツキはシラヌイの顔を見た。
「故郷を?」
 漠然と描いていた目的が明瞭な形をもって眼前に降りる。そして困惑が降りる。アカツキは戸惑っていた。本当なら喜ぶべきなのだ。これで島に戻る口実ができた、と言って。
 心臓が暴れる。姉の言葉が躍る。自分をこちらに繋ぎとめておきたい姉の言葉が、シラヌイを止めるためにアカツキの手札になっていく。
 シラヌイは笑っていた。異様な自信に満ちていた。
「取り戻す、って言ったって……」
 言葉が、濁る。
「相手はアマテラスだし、連中は『首輪』を持ってる。おれたちが行っても返り討ちに合うのが関の山じゃないか」
 姉に言われた言葉を、ほぼそっくりそのまま返しているような気がする。自分の口から出てきた事実が、自分にも等しく刺さる。
「問題ない」
 シラヌイは、ガハハと笑った。
「俺はそのために、秘策を用意したのだから」
「秘策?」
「その先はお前の答え次第だ。どうする?」
 困惑が取れない。
 いくら組む相手があのシラヌイだからと言って、精霊自治区奪還のためにアマテラスと戦うのは自分の目標だったはずだ。なぜこんなに乗り気にならないのか。
「…………」
 沈黙が続くアカツキに、シラヌイは早々にしびれを切らしたらしい。
「おい」
 巨大な手がアカツキの肩を叩こうとする。その影に、アカツキは反応した。ほとんど反射と言っていい。鋭い音が響く。一瞬、何があったのか分からなかった。アカツキは数度瞬きをしてから、そして気が付いた。
 手を払っていた。自分が、シラヌイの手を。
「考えさせてくれ」
 うわ言のような答えを述べて、アカツキは急いで部屋を出た。彼が扉を閉めると同時に、シラヌイは吠えた。アカツキの名を呼んだ。しかし彼は戻ってこない。シラヌイは舌打ちをして、乱暴に寝床へ腰を下ろした。
 部屋の鏡を見ると、頬に切り傷ができていた。きっと爪か何かが引っ掛かったのだろう。余計に苛ついた。シラヌイは少ない荷物をまとめて、鼻息荒く外に出た。
「わっ!?」
 周りをよく見ずに外に出たものだから、通りかかった誰かの存在に気がつかなかった。シラヌイは文句の一つでも投げてやろうと思ったが、それより先に相手が動いていた。
「よかった。元気そうだね」
 昨日会った人間だ。名前は確かノアと言ったか。
「お、おお。しかし何故ここに?」
「あまりにも勢いよく酔い潰れていたから、二日酔いで動けなくなっている可能性もあるかなって思って」
 よく見ると、彼の手には水の入ったボトルがある。自分の見舞いに来たようなものだろう。
「アカツキはどうしたの?」
「あれは先に帰った」
「そうなんだ。ギルドの仕事があったのかな……」
 ふん、とシラヌイは鼻を鳴らした。
「あれ?」
 ノアの手が伸びる。シラヌイは思わず仰け反ったが、ノアが距離を詰めてくる。
「動かないで」
「何を、」
「頬のケガを治すだけだから」
「…………!」
 痛みが引く。アカツキの爪が引っかかってできた傷がなくなっていくのが見なくとも分かる。
「治癒の魔術の使い手か」
「最低限だけどね。あまり高度な魔術は――」
丁度いい・・・・!」
 突然の大声にノアは少し驚いたようだった。シラヌイはぱん、と手を打った。声も大きければ拍手も大きい。
「丁度いい? それって、どういう――」
 シラヌイは何も言わなかった。元より問いに答えるつもりはない。肩を揺らして歓喜の感情を僅かに露わにしただけだった。

 ――そして、ノアの意識はそこで途切れた。




気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)