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【短編小説】焼けた夢 初日

 こちらの続きです。


 ギルドに足を運ぶや否や、シノがすっ飛んできた。ラスターが「何か新しい依頼か?」と問うと、シノは「こっちに来て」と言って、例の会議室へと入っていってしまった。
「ここで帰ったら、どうなるかな」
「子供のイタズラみたいなこと言わないの」
 てへへ、となんとも言えない笑い方をして、ラスターはノアに続いた。
「直々に依頼をお願いしたいの」
 ラスターが会議室の扉を閉めるのと同時に、シノはそう言った。
「この前の夢の一件、覚えてるわよね?」
「……あまり思い出したくはないかなぁ」
「悪夢に閉じ込められたのはラスター、あなただけじゃないの」
 確かに、とノアは思った。あのとき、商業都市アルシュのあちこちで眠りこけている人が転がっていたし、コバルトだって左腕を撃ち抜かなければラスターと同じような状態だったことだろう。
「ほとんどの人はうまく夢から目覚めてる。あたしがなんとかしたから。でも……」
「まだ夢の中にいる人がいる、ってこと?」
 シノは頷いた。
「厳密には、目は覚めて現実にいるんだけれどね」
「どういうこと?」
「ノアは、夢を夢だと気が付かずに一日を過ごしたことはあるかしら?」
 ノアは少し考えた。自分が見る夢はたいていどこかがおかしいことになっているので、目覚めてすぐに「ああ、あれは夢か」と分かる。ラスターの方を見ると「ある」と口元が動いていた。
「それのものすごーくひどい状態にいるの。あなたたちへの依頼は、その子の夢を少しだけ現実で演じてほしいのよ」
「何で俺たちに? 劇団員に頼んだ方がいいんじゃないか?」
 ラスターの問いももっともである。しかし、シノは即座に答えを返した。
「いくら夢だって、自分の記憶にないものを引き出すことはできないわ」
「待って」
 ノアはラスターを見た。ラスターも同じことを考えていたようだ。
「つまり、その、現実に夢をひっぱってきた人は俺とラスターの共通の知り合いってこと?」
「そうよ」
 やはり即答。しかし、
「……誰?」
 この問いについては、シノは少しばかり答えを躊躇した。
「依頼、受けてくれるかしら?」
「わかった、受けよう」
 ノアは依頼書を探したが、シノは「個人依頼だから」と告げた。ギルドを経由しない依頼だ。記録にも残らない類のものである。
「それで、その夢とやらを演じることに何の意味がある?」
「徐々に現実に引き戻されていくの。いきなり運動すると肉離れを引き起こすのと同じ原理で、無理に意識を引っ張ってきたら、心が壊れちゃうのよ。あたしが干渉してもよかったんだけど……」
「やっぱり、テコでも動かなかったのか」
 ラスターの一言に、シノはもちろんノアも飛び上がった。
「誰なのか見当がついてるの!?」
「そりゃね」ラスターはあくび交じりに答えた。
「で、俺たちは何をすればいいんだ?」
 シノの答えを聞いた瞬間、ノアとラスターは固まった。お互いの顔を見て、シノを見て、再び互いの顔を見た。
「魔術学校の、先生と生徒」
 ……この調子であれば、どっちがどっちの役をやるかなんて、ほとんど決まっているようなものだろう。


   焼けた夢


 商業都市アルシュの地区、路地の奥。
「来たね」
 シノに連れられて、ノアとラスターは廃墟の一階にある部屋へとやってきた。二人が驚いたのも無理はなかった。そこにいたのがコバルトだったから、というわけではない。窓の外に広がる路地裏の開けた場所が、雑な教室に変貌していることに驚いたのだ。壁には古いチラシが掲示物のようにして飾られている。肝心の中身は風俗店のもの、というのが気になるところだが。
 そして、当然ながら再現されていたのは壁だけではない。生徒用の机と椅子。さらに箱を重ねた教卓までそろっている。
 生徒の席に座って、背筋を伸ばしているのはアングイスだった。
「夢を見てるのはアングイスだったんだ……」
「俺とあんたの共通の知り合いで、商業都市アルシュにいるヤツっていったらそんなにいないからなぁ」
 ラスターは肩を竦めた。そして、コバルトの方を見た。
「で、なんでこうなってる?」
「条件を考えればなんらおかしな話じゃないさ」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。
「あの魔物が先に見つけたのがお前さんだった、ってだけの話だね」
「つまり、アングイスも……」
 ノアはそこまで言って口をつぐんだ。余計なことを言ってしまいそうになった。素直に反省すると、コバルトはちょっと笑った。
「地区にいる連中なんてみんな訳ありみたいなところがあるのさ。特に魔力を持ってる奴らは」
「で、ノアが先生をやって、俺が生徒役なのはいいけど……コバルトとシノちゃんはどうするんだ?」
「俺とシノノメはいざってときの補佐だよ」
「ちょっと、その名前で呼ぶのはやめてって言ったじゃない」
「シノノメっていうのか、いい名前だなぁ。俺もこれからシノノメって呼ぼうかな」
 ラスターの悪ノリに、シノは即座に噛みついた。
「呼んでみなさい、そしたらあなたのことを趣味の悪い悪夢にぶち込んであげる」
 ノアはちょっとだけ冷静になった。自分がしっかりしないとならない。ついでに弟妹たちの世話をしている時のことを思い出した。
「話を戻すよ。……ともかく、俺とラスターがアングイスの夢を演じればいいんだよね?」
「そう。クオリティなんて気にしなくていいから、ともかくここを魔術学校にして」
「了解」
 ノアはそう言って、アングイスのもとに向かった。
「先生が先に行ってどーすんだよ」
 ラスターの声は、聞こえていなかった。
 建物を出て、先ほど窓越しに見た空間に向かう。自分は生徒側だったことしかないので、先生側の立場になるのは新鮮である。
「おはようございます! 早速出席を取りますよー」
 記憶の中にある学校の先生を、ノアは頑張って真似をした。アングイスに「何が出席だ、このニセモノめ!」と言われて叩かれたらどうしようかと思ったが、それは杞憂だったようだ。
「はい! はいはいはいっ! ×××はいるぞ!」
 おそらく、というか確実に自分の本名を口にするアングイスに、ノアは少し驚いた。
「×××さんは元気ですね」
 ノアは手元のメモに、それとなく何かを書き込むふりをした。
 教室と言っても、本来の魔術学校の面影はない。ノアは少し慎重になった。この制限がついている状態でここを「魔術学校」にしないとならない。
 アングイスはまるで初等部の学生のようにして、目をキラキラと輝かせている。ヘマさえしなければなんとかなるかもしれない。と考えていた矢先のことである。
「ところで先生、クラスメイトが誰もいないのだが……」
 しまった、と思う。
 生徒役のラスターが教室に入る前に、ノアが授業を始めてしまった。ノアが硬直し、なんと返答しようと迷ったその瞬間、辺りを見回すアングイスの横を、勢いよく駆ける影があった。
「先生っ! 遅刻しました!」
 既にノリノリのラスターが、席に吸い込まれるかのようにして着席する。機転が利いてくれて助かった。ラスターは親指をぐっと上げて、ノアに「大丈夫」だと告げている。
「ラスターさん、また遅刻ですか」
「む。遅刻とは不届き者だな」
「いや、違うんですよ。俺が遅かったんじゃなくて、先生が早かったんです」
 こういう言い訳を垂れ流すヤツもいたなぁ、とノアはちょっと懐かしくなった。
「……それでは魔術歴史学の授業を始めましょう。まずは原初の魔女の神話に関して――」
 アングイスが開いた本は教科書ではなく、朽ちたノートだった。それでも彼女は歴史の授業についていく。ラスターは懸命に板書を写しているが手の動きがどう見ても絵である。覗き込むとノアの似顔絵がかわいらしいタッチで描かれていた。
「この茶番授業、どれだけ続ければいいんだい?」
 建物の中から様子をうかがうコバルトは、少し苛立った様子でシノに問いかけた。
「あの子の覚醒状態から見るに、三日も経てば現実に戻ってこれそうだわ」
 コバルトは喉をぐうぐう鳴らした。確かに、朽ちたノートと板書の内容の差異にアングイスは戸惑っているように見える。
「その三日、っていうのは現実世界での三日か?」
「そうとも限らないわよ。現に、ノアはラスターの夢の中で何日も過ごしているから」
「あの夢か」
 コバルトは震えあがった。
「あの、砂糖を何倍にも濃縮したかのような、甘ったるい悪夢ゆめ
「幸せは嫌い?」
「あれを精霊族は幸せだと思うのか?」
「なぁに? 偏見?」
 シノが挑発的な笑みを見せると、コバルトも似たような笑顔を返した。
「異文化理解と言ってほしいね」
「どうだか」シノは授業に目をやった。この世界の歴史はいつだって原初の魔女の話から始まる。
「幸せってのは、なんだと思う?」
 コバルトの問いも授業のようだ、とシノは思った。
「みんな、難しく考えすぎだと思ってる」
「へぇ?」
「なんか、ついつい大きいものだって思わない?」
「財宝が自宅の庭から出てきて金持ちになるだの、超高級住宅でふんぞり返りながら暮らすだの、そういう妄想のことを言ってるのかい」
「そう、そういうの」
 ノアが手を動かした。居眠りをしているラスターの額にチョークが当たる。アングイスが楽しそうに笑う。
「でも、本当は違うのよ。大好きなケーキを食べることができるとか、好きな人と一緒に暮らせるとか、そういう……本当に小さいことでいいの」
 コバルトは目を細めた。そして汚れた地区を見た。ここの人たちはそういった、本当に小さい幸せですら不安定だ。
「あたしたちは、いつだって自分の手元にないような……大きなものを望んでしまうのよね」
「そうだな。実際にその通りだ」
 コバルトは息をついた。
「授かった実力ちからを愛するもののために使い続けたかった。好きな女と平穏な暮らしがしたかった。魔術を学んで家族に楽をさせてやりたかった。いがみ合う人々を和解に導きたかった。何もかも砕かれた幸福だが、みんな些細なものばっかりだ」
 コバルトは懐からスキットルを取り出した。中身は年代物のウイスキーだ。
「ねぇコバルト、あなたは今幸せ?」
 琥珀色の液体で喉を焼くコバルトは、少しの間を作ってからシノの問いに答えた。
「少なくとも、今は不幸じゃないね」
「……そう」
 シノは、嬉しそうな声を上げた。
「お前さんは?」
「あたし?」シノは首をかしげて、少し笑って見せた。
「あなたには答えが分かりそうなものだけど」
 そして、授業の様子に目をやった。
 ノアが丁度、教科書を閉じるところだった。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)