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【短編小説】影に戻る

 ――商業都市アルシュ・地区の診療所にて。
「ああ、よかった。あの人はちゃんとここについたんだ」
 アングイスの少し後ろにいる男はにこにこと笑っている。手には一輪の花があり、誰かの見舞いに来たように見える。
「しかしあのコバルトが直接的な人助けかぁ」
 アングイスはしみじみとしながら呟いた。
「本当に助かりました。あの人がいなかったら私の娘は今も瓦礫の下ですよ……」
「娘さんは元気にしてるのか?」
「はい。足を挟まれたので一応診療所にはかかりましたが、今はもう元気で」
「そうか。それなら何よりだ」
 アングイスが部屋に入っていく。男もそれについていく。カーテンで囲まれたベッドの影が見える。布団の影を見る限り眠っているようだ。
「コバルト、見舞客だぞ」
 カーテンを開けたアングイスはそのまま固まる。男は「ありゃ」と一言発した。
 ベッドの上には丸められたブランケット。その近くには紙切れが一枚――退院する、という殴り書き。
 アングイスは震える手で、紙切れを手に取った。そしてそれを、ビリビリに破って捨ててしまった。

   影に戻る

 ――酒場・髑髏の円舞ワルツ、開店前。
「それで逃げ出してきたの?」
「あいつは心配性なんだ」
 コバルトは平然とウイスキーを飲む。ノアはアイスコーヒー(店主が「久々に注文が来た」と言って慌てて豆を準備していた)に口をつけた。
「傷もほぼ塞がった、普通に歩ける。もうなぁんにも心配ない」
 診療所を自力で脱出したコバルトは、そのままこの酒場に逃げ込もうとした。しかしその道中でノアとばったり鉢合わせ。ラスターではなくてノアだったというのが不幸中の幸いと言えるだろうか。コバルトは適当なことを言ってノアを連れ出し、開店前の酒場・髑髏の円舞に立てこもることにした。
「本当に傷は大丈夫なの? 結構ひどいケガだったけど」
「ギルド側の人員が増えてね。外傷はある程度治癒の魔術で解決したのさ。今も診療所に残っている連中は心が病んでるやつらばかりだ」
「アングイスは君に休んでほしかったんじゃないかな」
「休む? 冗談じゃない。情報仕入れるのに支障が生じるだろうが。いくらネロを飛ばしてるからといってやっぱり現地を歩くに勝る手法はない」
 コバルトはどんどん酒を呑んでいく。自分で持ってきたナッツ(ネロのおやつ用のものだ。ちなみにこの酒場の飯はどれもまずい)をつまみながら、時々ノアにも数粒くれる。香り高く、意外とよい品質のナッツだ。
 外からアングイスの怒鳴り声が、残響となってこっちにも聞こえてくる。コバルトは席を立つと、酒場の入り口のドアに鍵がかかっているかを確認していた。コバルトの身長は百センチと少しくらいしかないので、扉の窓から影がはみ出る心配もない。声が近づいてくる。それがちょうど酒場の入り口付近でぴたりと止まる。アングイスはしばらく酒場の入り口で人の気配を探っていたが、結局意味はなかったようだ。
「ありゃ諦めたんだな」
 店主がそうつぶやいたので、ノアは「そうなんですか」と言ってしまった。
「偏屈ジジイを回収したくても、店のヤツにまで迷惑かけるわけにはいかないだろう」
「確かに、そうですね」
「偏屈ジジイのところは訂正してくれないのかい」
 いつの間にか戻ってきていたコバルトが、そう言って笑った。ノアだから笑うだけで済んでいる。もしもこれがラスターだったら遠慮なく頭をはたいているはずだ。
「訂正も何もあるか。言動が偏屈ジジイだろう」
 店主がノアをフォローすると、コバルトは目を見張った。
「おいおい、これでもまだ二十五なんだが?」
「かーっ、最近の若人はみんなこうなのかい」
 そんなことはない、とノアは心の中でつぶやいて、アイスコーヒーのおかわりを注文した。店主がグラスを片付け、新しいアイスコーヒーを準備する間、ノアはコバルトに告げた。
「……コバルト、あまり無茶はしちゃだめだよ」
 コバルトはそんなノアに対して、まるで誰かをからかっているような眼差しを向けた。ウイスキーは半分ほど減っている。
「俺は常に引き際をわきまえてるよ」
「本当?」
「んなわけないだろ!」という店主のツッコミが即座に飛んでくる。ノアも同じことを思っていた。
「これでも昔は暗殺者としてやってたんだ、引き際はわきまえてるさ。実際に引かないってだけで」
 コバルトはそう言って喉をぐうぐう鳴らした。
「死ぬ気だったの?」
 重苦しさが声に出る。ノアがあまりにも真剣だったからなのか、コバルトはそれを茶化したりはしなかった。目を細めて笑い、親が幼子をなだめるかのような雰囲気が宿る。
「俺は地区が好きだ。ここを守るためなら死んだって構わない」
 アイスコーヒーが差し出される。おかわりの分だ。ノアは何も言えなくなった。コバルトから純粋な意味での「好き」という言葉が飛び出てくるのも意外だったというのもあるが、そんな失礼な理由で息苦しさは覚えないだろう。コバルトがからかってくるとかしてくれれば、ノアもいつもの調子に戻ったかもしれない。だがコバルトはノアの方を見ず、ウイスキーのグラスを見つめていた。
「死なないでね」
 ようやっと出したノアの言葉を、コバルトは嗤った。
「お前さんも、ラスターと同じことを言うんだね」
 そして、喉をぐうぐうと鳴らした。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)