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【短編小説】怪物のオムライス -All is over-

 ぽかぽか亭と書かれた看板が、薄暗い部屋の中で異様に浮いていた。
 壁には心無い中傷の文言が書かれ、床もペンキで汚れている。それなのに、テーブルと椅子が綺麗に並んでいるのはあまりにも不自然だ。当然店内に客らしい人の姿はなく、部屋に漂うのは料理の気配とはほど遠い、嫌悪感をかき立てる類いのものである。
 そんな店の中で、たった一人席に着いている者が居た。端から見ればウエイターを待っているようにも見えるが、食事をするならもっといい場所が他にある。青年はじっと、ほの暗い闇の中で何かを待っていた。
 扉が、開いた。
 蝶番の軋む音だけが、響く。
 青年は顔を上げなかった。彼は後からやってきた客が誰なのかを概ね分かっていた。
「なぁ、ノア」
 だからこそ名前も言い当てられる。共に魔物退治屋として組んでいる相方に、ラスターは問いを投げた。
「こいつのやったことって……店開いて、飯作って、客に食わせて、それと……他に、何かあるか?」
 ノアは、初めて彼の虚ろな声を聞いた。妙な緊張を飲み込む。ノアは慎重に、しかし平静を装って問いに答えた。
「……何も。他には、何も」
 真っ先に憂鬱の声が聞こえる。絶望が空間に満ちていく。ノアは窓を開けたい気分になったが、行動には移さなかった。
「王都のウワサは聞いていた。だが……ここまでされなきゃならないことなのか?」
 ノアは、彼の名前を呼ぼうとして……ラスター、と呼ぼうとして……やめた。
 壁の文字を読む。詐欺師。××野郎。×ね。マズい。帰れ。……暴言というものにはこんなに多種多様な表現があったのか。ノアは素直に傷つく素振りを見せた。そんな振る舞いをした後で、「そんなものを見せたところでなんの意味になるのだ」と他人事のような感想を抱いた。
 酷い有様の店内であるが、一際派手に壊されている箇所がある。それは「ぽかぽかコーナー」という掲示がされていたらしく、ノアは思わずその壁を撫でた。
「写真だよ」
 ラスターの声が、背中に投げられる。
「客とのツーショットを飾ってた壁さ」
 ラスターの言う通り、千切れた写真の残骸が壁にこびりついている。ノアはここに来る前、コバルトから見せてもらった写真を思い出した。
 ……外から、人々の声がする。昼時のレストラン街は非常に賑わう。甘い物に目がないらしい女が甲高く叫ぶ声がした。「クリームブリュレパフェが食べたい!」
 ノアは腹に力を込めた。滅茶苦茶に叫んで何もかもを壊してしまいたくなった。ラスターがずっとここにいて、何の影響も受けていないのが不思議なくらいだ。腹の奥底で燻る負の感情は、いつ喉から飛び出してもおかしくない状況だというのに。
 ノアは、ラスターの元に近づいて、彼の向かい側の椅子を引いた。とても心地よい音がした。日常というものは、どうして些細な欠片だけを残すのだろうか。
 ラスターの視線がこちらに向いた。ノアは無理に微笑んで、席に腰掛けた。
 そうして、昨日の出来事を思い出した。




(ノアはこの店のことを知らない。だが、店主のことを心配する者の存在は知っている)



(伝聞を重ねるうちに大袈裟になる話もあれば、その逆もある。ラスターはそれを分かっている)


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)