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【短編小説】賢者の剣 #2

 こちらの続きです。

 ――よそ見をしている場合かしら!
 あの一撃を回避したつもりでいたが、どうやら食らっていたらしい。左肩に受けた傷に、あの女の魔力の気配を感じる。それは植物の根のようにしてラスターの肌の上を這い、激痛を奔らせる。
 銀の腕輪の石は粉々に砕けていた。ノアからの聖夜の贈りものは、悪意のある魔術から持ち主を護る効果がある。しかし、その限度を優に超えていたということだろう。更に、ラスターの相棒である魔物のフォンは影の炎。呪術の効果をある程度軽減できるが、今回ばかりは焼け石に水だった。しかしそれでも貴重な水だ。身体を動かす気力すらない状態から、壁に身体を擦りつけて移動できるくらいにはなったのだから。
 とはいえ……手段ふたつで軽減しても、このザマ。
 遠くからハイヒールの音が聞こえる。ラスターは唇を噛んだ。油断するとうめき声が漏れそうになるからだ。躊躇なくゴミ捨て場の奥に身を隠したラスターは、酷い悪臭の中でひたすらに気配を消した。魔力に関してはフォンが上手く動いているから問題ない、はずだった。
 視界が明るくなる。ゴミ袋を掲げた女が嫌な笑みを浮かべている。しくじった。なぜ隠れる方を選んだ? 呪詛の魔力が溢れていては、姿を隠しても無駄だというのに!
「は――」
 零れた笑いの後に何か皮肉かジョークの一つでも投げてやろうかと思ったのだが、女は瓶を取り出した。彼女が瓶の中身をぶちまけた瞬間、ラスターを守っていたフォンが大きく身体をうねらせ、ペンダントの中へと戻っていく。
(聖水っ……!)
 ここまで読んでいたのか、偶然か、若しくは情報が渡っていたかは分からない。女の口元が動く。呪文を唱えている。身体を蝕む痛みが急激に存在感を増したところで、ラスターの意識は完全に途切れた。


 ランプの炎が強く揺れた。
 ノアは伸びをして、呪傷の解除に関する書物を閉じた。ラスターの友人――コバルトの身体を蝕むそれは、やはりノアの力でも容易に解除ができる類いのものだった。あれだけ強く語っておきながら、やっぱりできませんでした、痛みを取るので精一杯です、なんてことにならなくてよかったと思う。
 ラスターは夕暮れと同時にどこかへ出かけていった。珍しい話でも何でもないので、ノアは普通に戸締まりをして寝ようとした。そのときだった。
 最初、ノアはそれを聞き間違いだと思った。動物か魔物が森で騒いでいるのかと思った。しかし違う。コンコン、という乾いた音は玄関から聞こえてくる。
「ノアさん、ノアさん、大変です」
 それは若い女の声だった。
 ノアがドアを開けると、見知らぬ女がいた。だが問題はその女の背に居る見慣れた顔だ。
「ラスター!?」
 女の背で気を失っているラスターにノアは驚いた。そして、彼の身体からもの凄い量の呪力が立ち上っているので更に驚いた。あんまりにも驚いたものだから、ノアは女が何か言ったことにしばらく気がつかなかった。
「この方のお住まいはこちらで良いのでしょうか?」
 少し苛立ちを見せた女の態度に、ノアはようやっと反応を示す。
「あなたは――」
 ノアは、少し躊躇った。
「私? 私はただの通りすがり」
 彼女が誤解しているのならそれでいい。ノアは何も聞かなかった。ラスターの身体に触れた途端、指先に痺れを感じる。相当な魔力だ。解除はさほど難しくはないはずだが……一体何があったのだろうか?
 ノアがラスターの身体を抱えたそのとき、女は自然に室内へと入り込んできた。
「こんな夜分に、若い女を閉め出すなんてことはしないわよね?」
 ノアは少し答えに窮したが、「少々お待ちください」と告げて、ひとまず居間のソファーにラスターの身体を横たえた。
 ランプの炎が再び揺れた。ノアは妙な緊張を覚えながらラスターの様子を窺った。酷く汗をかいている。左肩に呪いの術式が根を下ろしているが、どうやら他にも転移しているらしい。
「その呪い、解いてあげましょうか?」
 ノアは顔を上げた。そして、振り向いて女の方を見た。
「呪術に詳しいのですか?」
「少し、ね」女はそう言って微笑んだ。胡散臭い笑い方だった。
「代わりに、教えてほしいことがあるのよ」
「……俺に答えられることでよければ」
 ラスターが呻いた。何かを伝えたがっているように聞こえたが、その訴えを打ち消すようにして女が口を開いた。
「賢者の剣がどこにあるのか教えてもらおうかしら」
「知りません」
 ノアは即答した。考える素振りすら見せることなく。
「冗談?」
「いえ。父は……カルロス・ヴィダルは、そもそも賢者の剣を完成させたかすらも分からないんです。俺たち家族も、父の死後にその存在を……父がそういったものを作ろうとしていたことを知りました」
 女は舌打ちをした。徐々に本性があらわになっている。ノアはラスターの方を見た。口元が動いている。逃げろ、というフレーズだけは読み取れた。
「隠し事をしていない? アタシ、結構短気なのよ」
 女から魔力の気配を感じた。ノアは冷静に答えた。
「俺も知らないんです。弟も妹も、母ですら知りません」
「なら、仕方ないわね。賢者の剣に関して、アタシの知らない情報を三つ教えてちょうだい。さもなくば――」
 ラスターが、呻く。傷から魔力が立ち上っている。
「……分かりました」
 ノアは冷たく言い放った。彼女の魔力と、ラスターに根付いている呪いの魔力が一致する。薄々そんなことだろうとは思っていたが。ノアは女の方を見ることなく、愛用のロングソードに手をやった。女の気配がぴくりと動いた。本物の賢者の剣が現れると期待したのだろうか。
「一つ目は……賢者の剣は、誕生日プレゼントになる予定だったんです」
「あんたの創作話を聞きたいわけじゃないのよ」
 女が苛ついた。
「本当です」ノアは剣先を、ラスターの左肩にそっと添えた。
「父は自分の発明品を家族へのプレゼントにすることが多々ありました。第百二ヴィダル定理が、炎魔術に興味を持っていた俺の弟へのプレゼントだったように、賢者の剣も同じようなものでした。渡せずじまいですけれど」
 続いて、剣先を左腕、左太股、腹、右太股……と移動させていく。女はため息をついた。掌の中にこっそりと呪術の術式を作っておいておく。秘密を全て語り終えたところでノアにも同じ呪いをかけておけば、あとは剣を探すだけである。
「二つ目は……剣のある場所は知りませんが、ない場所なら分かります。俺や家族の居宅周辺です」
「その根拠は?」
「父は俺たち家族に危険が及ぶことを何よりも嫌っていました。だから、俺や家族が現在住んでいる家の周辺には、隠していないと思います」
 ノアは立ち上がり、おもむろに剣を振った。
「三つ目は……俺はあなたたちのように、魔術を特化させていません。代わりに、中級止まりとはいえほぼ全ての属性魔術を扱えます、つまり」
 そこでようやっと、女は異変に気がついた。
「俺はこの程度の呪術なら、容易に解除ができる」
 部屋で魔力がはじける。女の手中にあった呪力が霧散する。ノアの純粋な魔力には炎も水も、風も大地も存在しなかった。圧倒的な質量の無だけがそこに濃縮する。女は息を呑んだ。
 ――情報と違う。
 醜い情報屋は「大した実力がない」と言っていた。
「よくも俺の仲間に酷いことをしてくれたね――!」
 部屋が軋んだ。女は思わず飛び退いた。魔力が薄く、薄く研がれて、刃となって壁と、家具と、そして女の頬に僅かな傷をつけた。
「出て行け。……そうすれば命は取らないから」
 ノアの静かな怒りに怖じ気づいたかのようにして、玄関のドアが勝手に開いた。
「……そんなに怒らなくてもいいじゃない、冗談が通じない男はモテないわよ?」
「相手に通じていない時点で、その冗談は冗談とは呼べない」
 ノアの手が動いた。彼の手の中で炎が揺らめいている。女は顔を憤怒に歪め、そそくさと退散した。
「また会いましょうね」
 女が外に出た瞬間、扉は勢いよく閉じられた。思わず悪態をついてその場を後にした女は、その様子を窺う人影の存在に気がつかなかった。

To be Continued


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)