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【短編小説】孤独に刃を向ける者

 ノートとペン立てを置くので精一杯なテーブルで、ノアは書き物をするフリをしていた。少し離れたところでは、絵描きがカンバスに向かっている。
 昔、それこそこの世界に「原初の魔女」が人類に魔法を与え、魔物を解き放ったばかりの頃、ギルドは本当に魔物退治のみを扱っていた。しかしそこから徐々に仕事の幅が広がっていき、山賊退治や害獣退治、街道を行く商人や街の立派な屋敷の護衛……と、戦いが関連する仕事全般を取り扱うようになった。
 魔物退治ギルドから、魔物退治の文字が外れて、今では「ギルド」という名前だけが残っている。
 そう考えれば、「ナナシノ魔物退治屋」というのは少々時代に合わなかったかもしれない。
 ――そんな思考に沈むノアの仕事は「絵のモデル」であった。これはギルドの仕事ではなく絵描き本人が直々に頼んできたものである。依頼詐欺ではない。
「ノ、ノアくん」
 うだつの上がらなさそうな男が、しどろもどろになりながら口を開いた。
「休憩する?」ノアはノートから顔を上げずに問いかけた。
「ち、違うんだ。あの、あの、あの、ず、ず、ずっと……」
 ――カンバスの中で、魔力が爆発した。


 話が長い。
「もう本当に迷惑してるんですよ、いっつもいっつもゴミを放り出して、反省する素振りも無くて、外に出てきたかと思えば絵の具を買うだけで……」
 とはいえ、夫人が憤慨する気持ちも分かる。ラスターは屋敷に視線をやりながら思った。屋敷といっても貴族の類いが自分の財力を見せつけるために造る建物ではなくて、こぢんまりとした犬小屋のような家だ。ただ、中も外もゴミが山積みになっているので「ゴミ屋敷」などと呼ばれている。
 本人の意志をはねのけてゴミを捨てようにも、絵描きはゴミを「芸術作品」と言い張って話を聞かない。それでいて、最近この屋敷を訪れた人間が行方不明になっているという怪談まで誕生してしまっては、近隣住人も関わりたくないというのが本音であろう。
「それで、すみません。俺の友人がこの屋敷の主に呼ばれたらしいんですよ。見かけていませんか?」
 夫人の長ったらしい愚痴になんとか割り込んだラスターに、彼女は眉根を寄せた。
「薄いラベンダー色の、くせっ毛の男なんですけどね。やや筋肉質でガタイが良くて、優しそうな顔したやつです。紫がかったグレーの瞳に、垂れ目で――」
 説明を並べていくと、夫人の口が段階を踏んで「あ、あ、あ!」と大きく開かれていった。
「ご存じで?」
「見たわ、見たわよ! 昨日の朝九時頃! 間違いないわ! だってあの人まるで騎士様みたいだったんですもの、ついにあの絵描きを追い出しに来てくれたのかと思ったのよ!」
「彼が屋敷を後にする様子は?」
「見てない……けれど、あなたはその騎士様を探しにきたんでしょう?」
 厳密には"元"騎士といえど、確かに今のノアにも騎士の風格がある。白馬の王子様としてそこら辺の原っぱを駆け回っていてもなんらおかしくはない。ラスターは夫人の勘違いを訂正すること無く、必要な情報だけを頂くことにした。
「はい。俺はその、騎士様の友人なんです。朝になっても戻らないと聞いて……」
「そうなの……それはとても心配よね」
「屋敷に勝手に入っちゃおうかなと思ったんですが、流石にそれは無礼かなと思っ」
「そーんなことないわよ! もう勝手に入ってその騎士様連れて帰っていいわよ! あいつが余所サマのことを無礼だのなんだのって言い出したら、アタシを呼んでちょうだい、『あんた、このザマで他人を無礼だのなんだのと非難できるもんだと思ってるの!?』って、バッチリ怒鳴りつけてあげるから!」
 内心ほくそ笑んだラスターは、ありがとうございますと軽く頭を下げ、その場を去ろうとした。
「あ!」
 背後で夫人が声を上げた。
「鍵! あいてるから! ゴミで扉が閉まらないの!」
 ラスターは会釈で夫人のアドバイスに礼を示した。まぁ、鍵なんざかけられていたところでラスターにとってはなんの障害にもならないのだが。


「あ、あ、き、聞こえるかな? ご、ごめんね? でも、こ、こうするしかないんだ」
 絵描きの男がカンバスに話しかけている。何も知らない人がこの光景を見たら、絵描きを哀れむか気味悪がるかすることだろう。
「え、絵が完成したら、き、君はいなくなっちゃうからね。み、み、みんな、ぼ、ぼくの傍にいてくれれば、いいからね」
 絵は返事をしない。返事をしても第三者には届かない。
「ふ、ふ、ふ。怖がらなくていいからね、ぼ、ぼ、ぼくが傍についてるからね」
 絵描きの男がカンバスを撫でた。
 描かれているのは、小さなテーブルで書き物をしている男であった。


 足の踏み場が無い、と聞いたときに、百人中九十七人はこういう光景を思い浮かべるのだろう。
 ラスターは乱雑に転がる油絵の具のチューブをひとつ蹴飛ばしながら思った。決して安い画材ではないだろうに。特有の臭いの中に混ざるのは腐ったリンゴの甘い香りで、神経質な奴なら既に胃の中のものを戻していそうだ。
 乱雑に置かれたカンバスはほとんどが人物画で、中には最近行方不明になった絵描きがモデルになったものもあった。この絵描き、裏社会ではそこそこ有名だ。この画家は死体をモチーフとした絵を専門としており、新鮮な死体の調達をわざわざ暗殺者に頼むのだ。もっとも、ラスターはその仕事に携わったことは無い。
 人の気配は部屋の奥からする。突撃と同時に仕留めても悪くはないが、できれば穏便に済ませたい。
 ふと、ラスターは小さなテーブルに置かれたノートに目をやった。半端に開かれたページに文字が透けている。ブルーブラックのインクが綴るのは古代叙事詩の一節。ラスターはその中身ではなく、文字の綴られ方に意識が向いた。流れるような筆跡、ふわりとした曲線、そしてきちっと折られる角の鋭さ――しょっちゅう見ている彼の筆跡と、古代叙事詩の一節が彼の存在を嫌というほど語っている。
「『ここにいる』、ね……」
 ラスターはページを破いて、息をついた。魔力に関する知識はないが、影の魔物であるフォンが主人にノアの魔力の痕跡を告げる。
「咄嗟にこれだけできれば、上等だな」
 ノートを閉じたラスターは、そっと近くの部屋へと逃げ込んだ。


「な、な、なにもいなかったよ。き、き、きのせいでよかった」
 床に散らばる道具や作品をまたいで、絵描きは再びカンバスに戻ってきた。
「き、き、きみの言うとおりだったね」
 へへ、と笑う絵描きの男には歯がなかった。
 カンバスの中には書き物をしている男がいる。薄いラベンダー色のくせっ毛。やや筋肉質でガタイが良い身体に、優しそうな顔。紫がかったグレーの瞳、……。
「の、の、ノアくんは、ずっとここにいるんだよ」
 男が、カンバスの縁を両手で勢いよく掴んだ。
「ぼ、ぼ、ぼくの絵を褒めてくれた人は、み、み、みんなここで暮らすんだ」
 絵の中の男――ノアはぴくりとも動かない。
「ふ、ふ、ふ、みんな、いい人だから、の、ノアくんも、きっ、きっと気に入ってくれると、お、思うよ」
 


 自分が三流盗賊だったら、ここで笑い声を上げていたことだろう。ラスターは興奮した様子を見せるフォンをなだめて、悪趣味な部屋の調査を始める。人を呪う目的で使われる魔道具をひとつひとつ調べていけば、ここにある絵画の正体も分かってしまう。
 術者の実力はそれほどでもない。付け焼き刃の知識で来客を絵に閉じ込めただけの話。ラスターに魔術の知識はないが、これなら術者を適当に殴ればなんとかなるかもしれない。
 魔道書を一冊懐に忍ばせ、ラスターは部屋を後にした。もう充分だろう。必要な情報は全て揃った。後は――。
 最奥の扉に手をかけて、思いっきり引いた。
 外に比べれば小綺麗なアトリエ――あくまで、外に比べればだが――に、絵描きらしい男がいた。カンバスに何が描かれているのかラスターの位置からは確認できないが、大体察しはつく。
「こんにちは、本日絵のモデルに呼ばれた者ですが」
「え? え?」
 適当な嘘に困惑する男を見てラスターは笑いが止まらなくなる。彼が混乱している理由がどこから来るものなのか、じっくり聞いてみたいところだ。
 ゆっくりと距離を詰めながら、ラスターは男の傍にあったカンバスに視線をやる。やはり、見知った姿が画面に居る。
 ……カーマインの絵の具が潰れて、靴底を汚した。
 絵描きはさっと椅子から立ち上がると、ノアが描かれているカンバスを抱きかかえて、ナイフを突きつけた。
「う、う、動くな!」
「……絵を人質に取られても、緊張感がないぜ」
「き、君はこの絵の正体を知ってるんだろう? だ、だったらぼ、ぼくのこの行動の意味だって、わ、わかるはずだ」
「何だ? 画面にナイフを刺したらノアが死ぬってことか?」
 冗談めかして吐き捨ててやったつもりなのだが、絵描きは嬉しそうに顔を歪ませた。
「ご、ご、ご名答」
 ラスターの表情に緊張が走る。脚にくくりつけた短剣に手を伸ばすと、絵描きが「動くなァ!」と叫んだ。
「さ、刺すぞ! ほ、本当に刺すぞ! ぼ、ぼ、ぼくだって本当はこんなことしたくないんだぞ! お、お、おまえが! おまえがぼくの友達を奪おうとするから!」
 その言葉を聞いた途端、ラスターの頭めがけて猛烈な勢いで熱が奔った。瞳孔が開く。何としてでもあのバカ絵描きを殺してやりたいという衝動が足の裏から駆け上がっていく。喉笛目がけて短剣を投擲するのはたやすい、この角度であれば余裕だ。――あれがノアを傷つける前に、俺が殺してしまえばいい。
 その思考は一瞬だった。しかしその刹那、アトリエに響いたのは――。
「そこまでだ、ふたりとも」
 絵描きもラスターも、同じものを見た。
「もうおしまいにしよう、ルビト」
 絵が喋っている。
 正確には、絵の中のノアが、喋っている。
「ラスター、鍵を」
「鍵?」
「それらしきものは、ひとつしかないはずだよ」
 ああ、とラスターは納得した。憤怒の残骸がまだ頭蓋骨の底で燻っている。ルビトと呼ばれた絵描きは性懲りもなくノアにナイフを突きつけたが、バチン! と派手な音がして、ナイフが弾き飛ばされてしまった。
 衝撃に巻き込まれたカンバスが、床に落ちる。
 慌てた絵描きがナイフを拾おうとするのと入れ違いにして、ラスターはカンバスに手を伸ばし、「ここにいる」と書かれた紙片を貼り付けた。

 ――カンバスの中で、魔力が爆発した。

「物体に生命を閉じ込める魔術は、元いた場所にその生命が存在した痕跡があれば術式が揺らぐんだ」
 割れた木枠を踏みつけて、ノアはゆっくりと絵描きに歩み寄る。床に座り込んだまま動こうとしないのを見る限りでは、もう諦めているのだろう。
「彼が来てくれるかは賭けだったけど……でも、時間の問題だった」
 ラスターはカンバスにへばりついた紙片をもう一度見て、思わず息をこぼした。わざわざ古代叙事詩を引用して「ここにいる」と書いたのは、絵描きにバレにくくするための細工だったらしい。
「それに……」
 ノアは、床に跪いて絵描きに視線を合わせて告げた。
「俺たちは、絵の中じゃなくても君の友達になれるよ」
 内心、「俺を巻き込むな」と毒ついたラスターは、周囲のカンバスから続々と人が吐き出されていく様子に目を見張った。洒落た老紳士、淀んだ雰囲気の男、こぢんまりとした貴婦人……。
「……こんなに居たのか」
 皆、本来の居場所に引っ張り出されたというのに意識も姿勢も随分としっかりしていた。そして、キョロキョロと辺りを見渡すことなく、しっかりとした足取りで絵描きの元へと向かう。ラスターの傍を通る人々は皆こちらへ会釈をしてくるので、ラスターもそれに応えてやった。妙な気分だった。
「衰弱が激しくないのは幸いだった」
 いつの間にか、ノアが隣に立っている。ラスターは小さくため息をついた。絵描きのほうに目をやると、最も近い場所で吐き出された老紳士の手を掴んでいた。
「それじゃ、帰ろうか」
 ノアはそう言って、ラスターの胸元に手を伸ばす。
「その前に……借りたものは、元の場所にね」
 ラスターは苦笑した。
「元の場所もなにも、こんなに散らかってたら分からないな」
 ラスターが魔道書をテーブルに置いたのを確認して、ノアは部屋を出る。ラスターもそれに続いた。
 一度だけ振り向くと、カンバスから脱出した人々がラスターの予想と違う動きを見せていた。ものを投げつけたり唾を吐いたりするのかと思いきや、絵描きを気遣い、寄り添い、優しくする素振りを見せたのだ。
「あんたもあのクチ?」
 廊下に散乱する物をまたぎ、なんとか玄関の扉をくぐった辺りでラスターが問いかけた。
「まぁ、……その、大した魔術じゃなかったから」
「じゃあ、脱出しようと思えばできたってこと?」
「うん」ノアは即答した。
 ラスターは沈黙を返す。ノアがこちらを覗き込む。先ほどとは別の感情がじわじわと腹の底から上がってくる。
「……来なきゃよかった」
「あ、でも、ラスターが来てくれて助かったよ? 無理に脱出していたら多分まともに動けなかったと思うし……」
「付け足されてもなんも嬉しくないっての! くっそ、んなことならあんたの絵が三流美術館に並ぶところを指差して笑ってやりゃよかった!」
 道ばたに靴裏の絵の具をなすりつけながら悪態をつくラスターに、ノアは「ごめんごめん」と笑う。その様も、まるでダダをこねる子供をなだめるようでラスターには気に食わなかった。
「……今日の夕飯、あんたの奢りで」
「はいはい」
「酒代込みで」
「はいはい」
 笑いをこらえながら了承の返事をするのも何だか気に入らない。ラスターは脳内で地図を広げる。ここらで一番高い店に引きずり込んでやろうという画策は、ノアの「このお店でいいんじゃない?」という牽制で泡になって消えた。


(そこへ足を踏み入れた以上、君も同じ世界の住人となるのは当然の摂理である)


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)