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【短編小説】ヒョウガの贈りもの #1

 時計の針が二時を示す。たいていの来客はこの時間帯をめがけてやってくることが多い。というのはあくまでノアの思い込みだ。しかし、それでも身構えてしまう。ほとんどの場合、特に何も起こらないのでノアは読書に戻るのだが、どうやら今日はノアの思い込みが現実になる日だったようだ。
 ノックの音を聞いて、彼はすぐに玄関に向かった。扉を開けると見知った姿がある。
「ひ、久しぶり!」
 少し背伸びをしているらしいヒョウガの後ろで、コガラシマルが軽く会釈をする。
「どうしたの? とりあえず上がって」
「ノアに、ごはんを作りに来たんだ」
 脈絡のない話の展開に、ノアは少し怯んだ。だが、ヒョウガが悪意からそのような申し出をするとは思えない。事実、何か紙のようなものを手のひらに仕込んで、ちらちらとそれを見ながらしゃべっている。コガラシマルの方を見ると両手を合わせて謝罪の意を示している。更に「無視スルーで」というジェスチャーまで繰り出された。
「オレには、そのくらいしかできないから」
「そんなことないよ。旅先でいろいろな依頼をこなしている話は聞いているし、報告書に必要な情報もすぐに手紙でくれるだろう? あれ、本当に助かってる」
「うん。だから、ごはん作りにきたんだ」
 何が「だから」なのかはよく分からないが、何かしらの「労い」で飯を作りたいらしい。コガラシマルはいよいよ頭を抱えていた。どうやらヒョウガは嘘が下手らしい。
「いいの?」
「うん。これから材料買ってくるから、楽しみにしてて」
「アルシュは広いけど、大丈夫?」
「大丈夫!」
 と返答するヒョウガの後ろで、コガラシマルがバツを作っている。ノアは少し小さく頷いた。



 ――商業都市アルシュ。
 ソリトス王国各地のみならず全世界から様々なものが集うこの都市において、アマテラス料理に使われる食材の入手は想像よりも容易である。ヒョウガはメモを手にして、順調に素材を買っていく。
「それにしても、あれは少々わざとらしかったのでは?」
「何が?」
 購入したばかりの食材をコガラシマルに手渡しながら、ヒョウガは返事をした。冬の魔力が潤沢に満ちているコガラシマルは、いわば「生きた食糧保管庫」。懐に氷菓子を忍ばせていても溶けることがないのでわりと重宝する。
「その手紙・・を見ながら話していたことが、ノア殿には筒抜けであった」
「はぁ!?」
「……まさか自分の立ち振る舞いが完璧であったと?」
「すごく練習したのに」
 唇を尖らせるヒョウガの後ろから、突然声が飛んできた。
「まぁでも、大事なのは気持ちだろ?」
 ヒョウガがその場で数センチ浮いた。驚きすぎて浮いた。振り向いたコガラシマルが刀に手をかけたのを見て、声をかけた本人は即座にホールドアップ。
「違います! ナナシノ魔物退治屋所属のクールイケメンビューティー盗賊ラスターちゃんです!」
 そう。「商業都市アルシュに不慣れな二人に同行してほしい」とノアから頼まれたラスターは即座に二人を尾行し、ここで声をかけたのだ。少しの間三人には硬直した時間が流れたが、コガラシマルが小さなため息とともに手を刀から退けた。
「ラスター殿、脅かさないでくれ」
「いやいやいや! 後ろから声かけただけで刀抜かれたらたまったもんじゃないっすよ」
「ら、ラスター。久しぶり。どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、二人は商業都市アルシュに不慣れだろ? 案内役として俺が同行してあげた方がいいかなぁとかなんとか」
「え、でも大丈夫。あとはアマテラス料理の調味料を買うだけだし……」
「その調味料が一番難しいんじゃないか?」
 う、とヒョウガが言葉に詰まる。実際、最初に寄った店には臨時休業の札が下がっていた。他の食材を見て回る間に調味料を扱っている店があれば……という魂胆で先に食材を購入したというわけだ。
「まぁお任せくだされ。俺にかかればちょちょいのちょいよ」
 こっち、とラスターは自然にヒョウガの手を引いた。ヒョウガはおとなしく従う。コガラシマルも一緒についてきた。商業都市アルシュは常にせわしない。商人たちは自分たちの品物を売るのに忙しく、それを買うためにやってきた客たちも同様に忙しいのだ。
 ラスターは路地に入った。急に賑わいが遠のいていく。
「ここは、アルシュの地区だ」
「地区?」
「アンヒューム……つまり生まれつき魔力を持たない連中が主に住んでいるエリアのことさ。地図に存在を乗っけたくなかった時代の名残で土地に名前はない。だからただの『地区』ってこと。アマテラスにはそういうのなかった?」
「ない。アマテラスは実力さえあれば魔力もなにも関係ないから。逆に言えば、魔力があっても役立たずはのけ者にされる」
 ヒョウガの言葉を聞いて、ラスターはアマテラスに楽園の幻想を見た。アンヒュームであってもチャンスがあるのなら、ソリトス王国の王都よりもずっと健全と言える。コガラシマルの表情が硬くなったのを見て、ラスターは話題を変えることにした。ちょうど店も見えてきた。地区にしては随分と立派な構えで大きな店舗だ。
「ほい、ついた。地区にはアンヒュームの文化がある。そりゃあ商業都市の表に比べたら規模はかなり小さいが、それでも結構面白い店があるぜ。例えば、アマテラス食材専門店とか」
 厳密にはアマテラス食材を専門としているわけではない。国外の料理に使われる調味料をそろえた専門店、というのが正しい。
「ここなら大抵何でもそろうと思うぜ。どうだ? 地区の店も表に負けないだろ」
「ラスター殿、ヒョウガ殿は既に店内に飛び込んでいった」
 ラスターは沈黙を返した。言われてみれば、店の奥にヒョウガの背中が見える。餌を探し回るリスのような動きで、小瓶やら粉の入った袋やらを買っている。
「……ヒョウガって、料理得意なのか?」
「ああ」
 なぜか自身満々と言わんばかりにコガラシマルは肯定の返事をする。まるで自分が褒められているかのような仕草に、ラスターは「ぶれないなぁ」と思った。
「ヒョウガ殿の料理は全世界で一番美味い。某は食事を必要とはしないが、ヒョウガ殿の食事であれば毎秒でも食べていたいものだ」
 それを世間では「拷問」というのだが、ラスターは黙っていた。コガラシマルならヒョウガに踏まれることすら「ご褒美」といってごまかしてきてもおかしくない。彼にそういった趣味があるかはどうかはさておき。
「そんなに美味いのか」
「ああ。本人は自覚がなかったのだが、某が毎秒美味い美味い言い続けていたら自信になったようだ」
 ラスターは思った。精霊ってみんなこうなのだろうか。
「それで? なんでまたノアを元気づけようと?」
「……手紙が来たのだ。至急商業都市アルシュに戻れと。ノア殿を名指しして、彼に精神的なやすらぎを与えてほしいと」
「手紙、ねぇ。誰から?」
「送り主は分からぬ。ただ用件だけが記載されていた」
 そんなことがあるのだろうか、とラスターは思った。いやがらせをするにしても目的がよく分からない。ヒョウガの料理が致命的にマズいなら話は分かるが、実態はその逆と来た。もっとも、本当はヒョウガの料理が極悪の出来で、コガラシマルがバカ舌という可能性もある。
「ところでラスター殿。ヒョウガ殿、随分と遅くはないか?」
 ラスターは店の方を見た。
「いろいろ見ているんじゃないか?」
「……そうであれば、よいのだが」
 ラスターは店にすっ飛んで行った。天井すれすれまで伸びている棚の中にはよくわからない調味料、ハーブ、手軽に楽しめる異国料理キットなどがぎちぎちに詰め込まれている。店をざっと見て回る。人の気配自体がない。
「やあ店主。ちょっと聞きたいんだが」
 奥の会計所で帳簿をつけていたらしい店主は、ラスターの声に顔を上げた。
「角の生えたお客さんなら、そこの出口から出て行ったよ」
 ラスターはため息を歯の裏に当てた。すー、とかすれた音が鳴る。
「ありがとう店主、助かったよ助かってないけど」
「どうも」
 ラスターは元の出口から外に出た。コガラシマルの眉間にしわが寄っている。
「いないんですけど」
「いない! 何故!」
「ここの店って向こう側にも出口があるんだけど、あっちから出るとこっちに来れない仕様なんだよ」
「なんという!」
 ラスターはコガラシマルの手元を見た。刀で住居を斬らないように見張る必要があると考えたのだ。
「まぁ落ち着け。この辺りは地区の中でも安全なエリアだ。危険性はないから安心して、冷静になってヒョウガを探――」
 ふと、ラスターの耳が女の笑い声をとらえた。それは隣にいた精霊も同じだったらしく、ラスターよりも早くその声の方へと向かい始める。この反応を見るからに、ヒョウガの魔力を感じ取ったのだろう。少し遅れてラスターも同じ方へと向かう。入り組んだ地区の裏路地にコガラシマルを押し込みながら、ラスターは先に進む。
 開けたエリアは娼婦たちのたまり場になっていて、その真ん中でヒョウガは文字通り「遊ばれて」いた。


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)