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【短編小説】崩壊

 憔悴しきった女が一人、地区を駆け抜けていく。時折足を止めては、近くを通りかかった人間に何かを訪ねて回っていた。人々の反応はさまざまである。首をかしげる者。横に振る者。関わりたくないと言わんばかりに、そそくさとその場を立ち去る者もいた。
 女の問いは単純明快で、回答が困難な類のものではなかった。
「子供を探しているんです……」
 その日、女は何十回と同じ問いを繰り返した。
 不可解だったのは、女が「子供の特徴」を述べなかったことである。
「お子さんの特徴を教えていただけますか?」
 当然、ノア・ヴィダルは問いかけた。人探しにあたって最も重要な情報である。しかし、女は視線を泳がせた。そして、もう一度同じ問いを投げた。
「私の子供を探しているんです。知りませんか?」
「…………」
 ノアはあたりを見回した。地区に住む子供たちが路地で遊んでいる。
「年齢は?」
 ノアは一つでも多くの情報を集めようとしたが、女は答えなかった。
「どのあたりで行方不明になったとか、当日の行動とか……」
「答えられないよ」
 ノアの背後から飛んできた声に、女はびくりと体を震わせた。ノアは「ラスター」と声の主の名を呼んだ。が、ラスターはそれを無視して、女に視線を合わせた。
「あんた、ここに子供を捨てただろう」
「私は捨ててない!」
「同じことだよ」ラスターは小指で耳の穴をほじりながら言った。
「今更取り戻したくなったのか?」
 女はラスターに飛びかかろうとしたが、ノアがそれを止めた。女とはいえ、全力で暴れられたときの力は相当なものになる。ラスターはのんきに爪を見ていた。
「あんたの家みたく、魔力ナシアンヒュームの赤ん坊を捨てるような家は珍しくないから」
「黙れ、黙れぇえええ!」
 ノアが小さく呻いた。女の爪が腕に食い込んだのだ。ラスターの顔が険しくなる。ノアは身体拘束魔術を発動させるも、女は護符か何かの類を持っているらしく、術が上手く作動しない。仕方がないので、ゆっくりと、わざとらしいくらいに優しい声色で女に問いかけた。
「落ち着いてください。何があったんですか? もしかして、勝手に子供を捨てられたのですか?」
 女の動きがぴたりと止まった。可哀そうに、彼女はしゃくりあげていた。喉から放たれた情けない慟哭の後、女はノアの支えを無視してその場に崩れ落ちてしまった。
 ラスターがゆっくりと首を横に振った。女はそれを見ていない。ノアは彼の言わんとすることが分かった。
 彼女の子供はもういない、と。
「子供を探しているんです」
 それでも、女は同じ言葉を繰り返した。
「子供を探しているんです。私の大事な子供を探しているんです。悪魔に魂を売ってもいい、教えてください。何でもしますから」
 女の腕が自らの胸元に伸びる。ノアは慌てて彼女の服を抑えた。
「……俺、熟女趣味はないんだけど」
 その上でラスターの足を踏み抜くのはなかなかに難しかった。

 どうすれば彼女を納得させることができるのだろうか、と考えても答えは出ない。手近な情報屋に事情を話してもラスターと同じ事を言う。
「地区に子供を捨てたんだろう? だったらもうどこにもいないよ」
 何より、女が「子供を捨てた」に過剰な反応を見せて暴れるのだから救いようがない。手足を可能な限りバタつかせる彼女を頑張って抑えようとするのはノアだけで、情報屋は「なんだこの女」という冷ややかな視線しかくれない。ラスターはそんな情報屋に対して何か上手く取り繕って、ノアの印象を下げないように頑張っている。
「ウチのリーダー、結構貧乏クジ引いちゃうタイプだから……」
 子供が「死んだ」と正直に教えてくれる者も居た。
「ここはね、昔孤児が結成した強盗団にめちゃくちゃにされたことがあるから」
 治安維持のためには必要なことだよ、と呟いたのはやる気の無さそうな女盗賊だった。
「つまりあなたが私の子供を殺したというの?」
 力の宿らない顔で女が問いかけた。女盗賊は彼女を鼻で笑った。
「冗談言わないでよ。アタシはそーゆーのに手を貸したりしないし」
「じゃあ、誰が私の子供を殺したの?」
 女盗賊の顔が一気に不機嫌になる。ラスターが女盗賊に一言二言告げてやると、彼女に憐憫の情が見えた。
「気持ちは分からないでもないけど、その調子じゃ見つかるものも見つからないでしょ。子供の情報も教えたくないですー、でも見つけてほしいですー。無理だっての」
「おっしゃる通りでございます。……まぁ、でも」
 ラスターの手が素早く動き、女の服に触れた。子供のために暴れる彼女はそれに気が付かなかったようだ。
「何、それ?」
「紋章のブローチ。これを調べれば……」
「なるほどね。でもその間、あの暴れババアをどうするの?」
「……一発殴れば大人しくなるんじゃないの?」
 その時だ。
 女の腕がノアの顎を思いっきり打ち抜く。意図した行動ではなかったのだろう。よろけたノアに女は驚いているようだったが、すぐに路地の方へと駆け抜けていった。
 ノアも即座に治癒の魔術を展開し、無理やり意識を覚醒させる。ラスターが瞬きをした。ノアにしては術がちょっと不安定だ。素人目にも分かった。「休んでろ」と指示を投げようとしても無駄だった。ラスターが何かを言う前に、ノアは路地に飛び込んでいく。ラスターは女盗賊に軽く挨拶を投げてノアの後を追った。
 女はゴミによろけながら路地を走った。どこかに自分の子供がいるはずなのだ。盗賊連中が「いない」「無理」というのは魔術師に対するあてつけで、本当はどこかにいる。いるはずなのだ。そうでなければならない。そうでなければならない!
 ふと、女は脚を止めた。目の前に子供がいる。みすぼらしい服装ではあるが、髪の色は深い緑色で、くりくりとした目はダークブラウンに輝いている。
「ああ……」
 この時、女の目にはその子がわが子に見えていた。狂ってしまった……否、とうに狂っていた女の目には、全ての子供の見分けがつかなくなっていた。しかも、よりによって子供はとんでもないことを口走った。
「まま……?」
 正常な人間であれば、その子供が邪悪な嘘をついているのだとすぐに分かっただろう。だが、女はそうではなかった。
「え、ええ! そうよ、ママよ! あなたを探していたの!」
「ママ! 会いたかったよー」
 女は偽物の子供を抱きしめた。
「こんなに大きくなって! ああ、かわいい私の子!」
 薄暗い路地で、ノアは呆然としていた。ラスターが彼の肩を叩き、奪い取ったブローチを見せる。
「ミナーボナ家だ」
 即答だった。
「あんた、魔術師家系にも詳しいんだな」
 ラスターはそのまま、ブローチをいじり始めた。
「まぁ、ね。……すり寄ってくる人たちが多かったから」
 女は子供を抱きしめている。子供はうんざりとした顔をしているが、傍から見たときにボロが出ていない方がよいと判断したのだろう。にっこりと無理な笑顔を作り始めた。
「ミナーボナ家の子供といえば、半年前に生まれたっていうのは割と有名なニュースだよ。世間的には事故で亡くなったと聞いていたけど……」
「実態は、アンヒュームだったから捨てたってオチか」
 別に、珍しい話ではない。魔力がなかったという理由で子供を捨てに来る親はよくいる。ラスターは目を伏せた。ノアは何も言わなかった。
「問題は……母親は、子供を捨てたくなかった。反対していたってところなんだろうな」
 ラスターはブローチを見た。不細工な人魚をモチーフにしているらしい紋章からして、おそらく水の魔術が得意な家系なのだろう。
「ママ、僕はここに残るよ。ママと一緒に行きたいけれど、友達がたくさんいるんだ」
「まぁ、お友達が?」
 そんなのんきな話をしている二人は、何も知らない人から見ればほほえましい親子にも見える。だが、実態としてはあまりにもいびつだ。女は何かを取り出した。おそらく宝石のような、世間的にも価値のあるもの。友達思いの我が子に対するプレゼントだ。母の思いが込められた贈り物は、近いうちに質屋にぶち込まれるだろう。
「また遊びに来てよ、ママ」
「ええ。ええ。もちろんよ」
 女は笑った。笑いながら、どこかへ駆けていく子供を見送った。
「…………」
 ラスターは、ブローチをポケットの中へしまった。ノアはそれを見ていたが、何も言う気力が湧かなかった。
「見ましたか?」
 頬を紅潮させた女が、喜色満面の笑みでノアたちに話しかけてきた。
「今のが私の子なんです。父親に似たのですね。あんなに小さかったのに……もうすっかり大きくなって……」
 女は懐から黒いハンカチを取り出して、そっと目頭を押さえた。
「半年であんなに大きくなれるもんなんだな」
 ラスターがさりげなく現実を突きつけるが、女には見えていないようだった。
「ええ。本当に」
 などと言われてしまえば、脱力する他ない。
「お友達思いなんですよ。私とは一緒に行けないと言われてしまいました。でも仕方ありませんよね。結果として私は子供を救えなかった、あの子は今までずっと一人で、お友達と協力して生きてきたんですから。私よりもお友達を選ぶのも当然です。ですが私は嬉しいのです! わが子がまっとうに成長しているのを見て喜ばない親がいますか? いないでしょう?」
 ラスターはノアをちらりと見た。この状況においてはさすがのノアですら真実をつきつけるかどうかを葛藤しているようだ。普段のノアなら嘘を許容している。だが、今回ばかりは話が違う。
 女はこれから、地区の適当な孤児を「我が子」と言って貴重品を配るだろう。地区の孤児は素直な天使ではない。悪知恵をつけた猿のようなものだ。女を騙して金品を得ることに罪悪感など覚えない。
「ともかく、私は本当に嬉しいんです……お二人も見ていたでしょう?」
「生後半年で、子供があんなに大きくなりますか?」
 ノアが、震える声で切り出した。女はノアの言っていることを理解できていないような表情をした。
「実際、大きくなっていたじゃないですか」
 女は自信満々に言い放った。
「いいですか、よく聞いてください。半年で子供はあそこまで大きくなりません。あの子供はあなたを母親であると勘違いしたんです」
「そんなことない! あの子は私をママと呼んで、あんなに嬉しそうにして……」
 女の言葉がしぼんでいく。ノアはいたたまれなくなった。
「金か?」
 だから、彼女が何と言ったのかを聞き取れなかった。
「え?」
「金がほしいのですか?」
 ノアはラスターの方を見た。ラスターも仰天している。
「そうですよね、私としたことがウッカリしていました。探してくれたんですものね。見つけられなかったくせに!」
「落ち着いてください、金品が欲しいわけではありません! そもそもあの子はあなたの子供では――!」
 ノアの言葉が途切れる。左目のあたりに痛みが奔った。女の金切り声が聞こえて、ノアは地面に膝をついた。手で体を支えたとき、こぶしほどの大きさの石に触れる感触があった。痛みのない目で正体を見ると、それは魔力石だった。宝石ほどの価値はないが、魔術用品店に行けばそこそこの値段で売れる。
 ノアは目を見張った。水の魔力が暴れそうになっている。ラスターの方を見ると、暴れる女を押さえつけようとしている最中だった。
 魔力石には魔力を込めることができる。主に魔力不足に陥ったときの応急処置用ではあるが、錬金術にも使えるので用途としては幅広い。普通は自分と魔力のリンクを切断するための工程が必要で、これを用いることで術者が激情にとらわれたとしても石の魔力は暴走せずに済む。が、あろうことか女はそれを怠っていたらしい。ノアは目の痛みそっちのけで魔力を封じた。今にも爆発しそうだった石はおとなしくなったものの、内部に含まれていた魔力は大半が喪失している。
「離して! 離して! 私は何も悪くない!」
 ラスターのペンダントから影の魔物・フォンが現れる。女の生気を吸って彼女を黙らせようとしたのだろう。その時だった。
 遠くから、何かが爆発する音がした。

 地区のA区域は若干混乱していた。
「子供が爆発したんだ!」
 そんな証言をする人たちがあちこちにいる。十歳前後の子供だろう。魔力の爆発をモロにくらって、その衝撃で頭を打ったらしい。近くには魔力を含まない魔力石が転がっていた。
 そこに女が一人やってきた。髪を振り乱しながら突進してきた女に人々はおののいた。彼女のために人混みはさっと道を作っていく。
 女は子供の傍に跪いて、顔を確認した。そうしてからわあわあ泣き出した。人々は不思議そうに顔を見合わせて、ひそひそと話を始める。
「あの女はなんだ?」
「子供の親か?」
「まさか!」
 人々は笑いをこらえながら、吐き捨てた。
「あの子供ガキはリッシャート家の家来が捨てに来てたじゃないか!」
 偽の我が子を亡くした女に、彼らの言葉は届いていない。
 そんなうわさ話を耳にしつつ、少女は一人ため息をついた。ケガ人がいれば出番があったが、死人を治す方法はない。仕事の必要がないことを嬉しく思うべきなのか、悲しく思うべきなのかは分からないが。
「アングイス!」
 ふと名前を呼ばれて振り向いたアングイスはぎょっとした。見知った顔がふたつ。ラスターはぴんぴんしているが、ノアは左目のあたりを抑えている。爆発で何かが目にぶつかったのだろうか。
 アングイスは軽快な動きで人混みをよけて歩き、ノアに座るよう指示した。すかさずラスターが、近くに置いてあった木箱を椅子代わりにするよう促す。
 ノアに手をどけるように言う。ノアは恐る恐る、左目から手を離した。
「眼にぶつからなくてよかったな」
 アングイスの第一声に、ノアはほっと息をついた。
「目の上の……眉のあたりだな。少し傷になって……腫れているが問題ない。骨にもダメージはなさそうだ」
「ありがとう、アングイス」
「ずいぶんと疲れているみたいだな。治癒の魔術を展開できないくらいに」
「いろいろあってね」
 アングイスがラスターの方を見た。ラスターは手をひらひらと動かした。話を流してくれという依頼だ。
「……今回は特別だぞ」
 アングイスは声を潜めて、治癒の魔術を展開した。彼女の治療はたいていの場合死ぬほど痛い。死んだ方がマシだと言って舌を噛み切ろうとした人もいると聞く。だが、今回ばかりは彼女の言う通り例外らしい。ゆっくりと引いていく痛みにノアは驚いた。
「こんな治療もできるんだ」
「内緒だからな。ここの連中はケガをしたい理由はあっても、ケガをしたくない理由がないんだ。私がその、ケガをしたくない理由にならないと、あいつらはすぐに死んでしまう」
「分かった。俺とアングイスの秘密だね」
 アングイスは唇を尖らせた。
「視界はどうだ?」
「大丈夫。ありがとう」
 人混みはもうずいぶんと散っていた。女はまだ泣いていた。偽物の我が子の遺体にしがみついて泣いていた。ここで「そういえば、この子は私の本当の子ではないというのは本当ですか?」というようなしたたかさがあれば、彼女はここまで傷ついていないだろう。しかし、彼女の中ではあの子供が本当の我が子になっていた。今更都合のいい真実ウソを適用させることはできなかった。
 墓場の管理人がやってきて、遺体をどうするかを女に聞いた。女はしばらく黙っていたが、やがて深々と頭を下げた。管理人はため息をついてから、ズタ袋に子供の遺体をねじ込んだ。
 女はそのまま、ふらふらとどこかへ歩いて行った。ノアとラスターのことはもう忘れてしまっているらしい。
「あ、」
 ラスターが声を上げた。
「どうしたの?」
「ブローチ、返すの忘れてた」
 ミナーボナ家の紋章がデザインされた金のブローチが、ラスターの手の中で輝く。ノアは首を横に振った。
「あの状態じゃ、仮にブローチを持っていたとしても受け入れてもらえないよ」
 ボケた顔の人魚が、光に口元を歪ませている。それは微笑みというよりは嘲笑に近しい印象があったので、ラスターはこれをさっさと手放さなければ、と思った。



 今、一番必要なのは、
 慰めではなくて、
 新たな視点だと思っている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)